おわたい 第三話

 爽果の家に辿り着いた頃には、しとしとと雨が降り始めた。


 辺りは薄暗く、午前の早い時間なのにまるで夕方のようだ。


 土間に万智の靴だけなく、やはり万智が漁港でおわたいを見ていたのだと分かった。


颯実そうまさんがとねさんと一緒に留守番をしてるんですね」


 玄関口で話をしているのを聞きつけた颯実が奥から出てきた。電話で爽果のことを聞いたのか、不安そうな顔つきだ。


「お帰りなさい。母さんも一緒ですか?」

「いいえ、こちらにまだ帰ってきてないんですか?」

「ええ、まだ。朔実さんから電話をもらって……、爽果のこと、聞きました。爽果は見つかったんですか」

「今、警察が動いていると聞きましたけど……」

「俺はばあちゃんがいるんで、ここから離れられないんですよ。母さんから連絡がなくて」


 つくもと山田が顔を見合わせる。


「戻りますか?」


 ますます雨脚が激しくなっていく。外を覗く山田の横から白も顔を出す。


「行こうか。颯実さん、傘を借りますね」


 白が傘立てから傘を一本抜いた。


 傘を借り、二人は外に出た。あっという間に足下がびしょぬれになった。キャンバス地の靴に雨が浸透して、靴下まで濡れる。山田は雨の飛沫に目を細める。眼鏡のレンズに雨が当たり、視界が悪い。


「すごい雨ですね」


 雨だけでなく、風も半端なく吹き始め、傘がたわむほどの風雨に翻弄されてしまう。遠雷の音が次第に近づいてくる。


「通り雨っぽくないな」


 急な天候変化に山田と白は呆然としながら、傘などないも等しい状態で、坂を下っていく。


 村のほうから、微かにサイレンの音が聞こえてきた。村内放送で何か注意喚起している。


 下りきったところで、大勢の村民に混じって万智が歩いてくるのが見えた。傘を構えているが、差している意味がないくらい、風が強すぎる。


 雨合羽を着ている村民が山田達に気付いた。


 万智も小走りで近寄ってくる。顔色が悪いのは寒さのせいだけではなさそうだ。


「先生、ここにいらっしゃったんですか」


 安心した様子で息をついた。


「それより、爽果さんは……?」


 白が心配そうに訊ねた。


「警察が捜索隊を出すと言ってましたけど、津波警報が出たので、どうにもできなくて」

「さっきのサイレンは津波警報の合図でしたか……。みなさんは?」


 白が、足を止めて万智と彼を見つめている村民に目を向けた。


「うちの家に避難することになって、残りの人達は中山と東山に」

「そういうことでしたか……。全員避難されてるんですか?」

「草津さんのご家族が公民館に残ったくらいで、浜のほうには誰も残ってないと思いますよ」


 結局、戻るしかなく、さきほど下ってきた道を再び登っていくことになった。


 爽果の家に、わらわらとびしょぬれの人達が集う。


 万智が大急ぎで、家中のタオルを持ってみんなに手渡した。


「いやぁ、参ったな……おおごとでしになった」


 村民が口々に言い合っている。中には、こそこそと口さがなく非難する声もあった。


「やっぱい、おわたいのせいだ」

「ほかいさあの祟りたたいだ……」


 聞こえてくる度に、万智の表情が曇っていく。颯実も面白くなさそうに、眉を顰めた。


 山田はおわたい振興会の考え方と村民との間に小さな齟齬があったんだろうと感じた。それが今になって不満と不安になって噴出している。


 けれど、一番辛く不安なのは爽果の家族だ。照男を亡くして、まだ二日しかたってない。さらに、爽果も行方不明だ。


 心ない人達だ、と山田は苦々しく思った。


 座敷のスペースを空ける為、颯実が山田達の部屋の布団を片づけた。白が、ぼんやりと突っ立っている山田の荷物を自分の荷物とまとめている。


 颯実が雨戸を閉め切って、座敷と仏間を仕切っているふすまを取り去っていく。十五名ほどの村民が、思い思いに座り込み、顔をつきあわせて話し込んでいる。その内容は一様に暗いものだった。


 ほぼ、六、七十代の老人が多く、三十代に至っては一人もいない。


 山田は改めて、これが準限界集落の現状なのだと思い知った。


 白は彼らに混ざって座り、会話の中に入っている。


 老人達も白が照男の客であるのを知っているので、邪険にできない様子だ。


「みなさん、おわたい経験者なんですね」

「そうだ。でも昔のおわたいはこげなんじゃね」


 そうだな、と他の老人も頷きあう。


「どんな感じだったんですか?」

「そうさなぁ、おいはとおくらいじゃったから、だいたい覚えちょっ。藁舟を編んで作って、それそいに紙でできた人型とみかんを いっしょにいっどき乗せて、沖に流した。戻ってこなかとが正式な方法じゃった」


「戻ってこないのが正式なんですか」

「だってな、ばあちゃんが戻ってこなかったってゆちょったし、戻ってこれないだろ、親潮があっとに戻ってきたらおかしい」


「そういうことなんですね。じゃあ、その前の前のおわたいでも戻ってこなかったんですね」

「おう、戻ってこないとゆより来れないよな、なぁ?」


 他の老人も顔を見合わせて頷いた。


 彼らは口伝えで家族から、おわたいで舟は戻ってこない、海に流すだけの祭りだと言われ、信じているようだった。


 認知の齟齬がある。山田は白の隣りに座り、会話に耳を澄ませた。


「だいたいな、乙女とかそげなものを流すなんち、必要ないだろ。確かにつんと御郷島おんごっじまに渡すって聞いたきっけども、そりゃおとぎ話じゃねか。御郷島おんごっじまなんち島はないんじゃっで」


 まっ黒に日焼けした老人がぼやいた。


「島を探したことがあるんですか?」

「何言ってゆてんだ。見つけたみしくっもなにも漁に出たら、分かっだろ。ここら辺りで小島はない。御郷島おんごっじまだってない」

「御郷島は神の島だって聞きましたよ」

「そや吉宝さあが言ってゆてるだけで、ただの言い伝えだ。実際にあるわけない」


 どうも大半の村人は、おわたいに関する認識が、吉宝さん達とはずれているようだった。


 こんなふうに考えていれば、確かに今回の祭りに対して不信感が募るだろう。金集めの為に村の信仰が歪められたと思っているのだ。


「村に若いわけもんがいないなら、出て行ったいた子供こどんらを呼び戻せばよかじゃねか。照男さんのとこにだって立派じっぱ息子むひこがいるんじゃっでなぁ」

「嫁に行ったいっならまだしも息子むひこがいるならなぁ?」


 自分たちの子供を呼び戻せなかったろうに、老人達が好き勝手に言っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る