第四話

 万智はせわしなく老人達に茶を注いだり、みかんを持って来たりして、世話を焼いているのを横に、文句を言いつつも彼らは万智の持て成しを当たり前のように受けていた。


 それを眺め、山田は気分が落ち込んだ。


「じゃあ、ほかい様も言い伝えなんですか?」


 老人達が何を言っても気にしてない様子で、つくもが質問を続けた。


「ああ、あやあれはぼっ駄目じゃ」

「どういうことですか?」

「あんたはきたこっ聞いたことがあるか? ほかいさあがうとて歌っているだろ? きぞ気味り」

「数え歌の節回しと同じですね」

「そうそう、いちりっとかいででもっくぃちんがらびんたのほかいさあおんごっじまやちょんがめ」


 みんな、この数え歌を知っていた。懐かしそうに歌う老人もいる。


「ありゃ、ほかいさあがおい達の真似をしちょっんだ」

「ほかいさあにてんご悪戯したら、祟られる」


 頭を振って、これがとんでもなくいけないことだと言いたそうにしていた。


「祟るとは? 例えば、どんなことですか」

「いなくなったり、死んだり、いろいろだ。ばあちゃんがゆちょった」

「実際に祟りに遭った人を見た方はいらっしゃるんですか?」

「ばあちゃんとかだな。おいは話しにきた聞いただけだ」


 白が口を尖らせている。


「あの……」


 不意に話しかけられて、山田は「はいっ?」と声が裏返った。


 万智が茶を盆に載せて跪いていた。


「あ……、ありがとうございます」


 万智は相変わらず顔色が悪い。


 娘が行方不明になったのに、他人の世話をしている上、好き勝手なことを言われて黙っているのだから無理もない。


「すみません、寒かったでしょう?」


 そう言われて初めて、山田は自分の服が濡れているのに気付いた。白の様子に気を取られていた。


 熱い茶と一緒にフェイスタオルを渡される。


「あの……」


 山田は何か気の利いたことを言おうとして、けれど余計に何を言ってあげればいいか分からなくなって口をつぐんだ。


 だれかがテレビを付けて、報道番組が画面に表示された。


 鹿児島南部に集中豪雨。津波警報が出ています。住人の方は高台に避難してください。


 そんな文言が流れ始める。


 万智がテレビのほうに顔を向けてニュースを見ている。


「雨、いつ止むんでしょうね……」


 山田がテレビをぼんやりと見つめる万智に声を掛けた。山田の声が聞こえてないようだった。


「母さん」


 廊下から、颯実そうまが万智を呼んでいる声が聞こえた。


 万智が視線を廊下に向けて、立ち上がり、村民の間を縫って出て行った。


 二人が台所へ引っ込んだのを見届けて、山田は白と村民の会話に耳を傾ける。


 老人達が白相手に一方的に世間話をしていて、すでにおわたいやほかい様の話はしていなかった。


 白は老人達の子供の頃の話を、笑顔で相づちを打ちながら聞いている。


 山田は壁に背もたれて、まんじりともせず夜を過ごした。




 気がつくと、いつの間にか座敷にいる老人達は横になって、眠っていた。


 自分の隣に座っていたはずの白の姿がない。トイレに立ったのかと思い、そっと立ち上がった。


 窓は全て雨戸が閉め切られていて、室内は真っ暗だった。雨戸に当たる雨の音が心なしか聞こえない気がした。雨はもう止んだのだろうか。時刻をスマホで確認すると、六時を過ぎている。


 玄関の引き戸のガラスから差し込む光が、真っ暗な廊下の闇を切り裂く。トイレに行くと誰も使っていなかった。きびすを返し、玄関に向かう。


 玄関の土間にはたくさんの靴が綺麗に並べられているが、その中に悪目立ちするシロ先生の靴がない。


 土間に降りて、生乾きの靴を突っかけると、閉め切られた玄関の引き戸を開いた。


 冷たい空気に頬がピリピリと痛む。澄んだ空気に肺が洗われるようだ。


 空を見上げると雲ひとつない。昨日からの雨が嘘のように晴れていた。


 木々の間から、太平洋が見える。朝日が水平線から頭を出している。嵐の後に見る太陽は神々しかった。


 山田は突き動かされるように坂道を下っていった。地面は雨でぬかるんでいて、泥で靴が汚れた。


 まだ、中山や東山から村民は降りてきてないようだ。座敷で寝ていた老人達と同じように深い眠りに落ちているのだろうか。


 山田は辺りを見回して、白を探した。探しているうちに中浜まで坂を下っていた。


 自然に足が漁港に向かう。


 漁港にはたくさんの折れた枝や、暴風雨に飛ばされたゴミが散乱している。港の突端にひょろりと背が高く痩せた白の姿があった。


「先生! どうしたんですか?」


 山田は声を掛けて駆け寄った。


「何をしてるんですか?」


 すると、白がスッと水平線に向かって指を差した。


 何だろうと、山田は海に目をやる。


 防波堤の向こう側に、頼りなげに小舟が波間に揺れている。五色の布が屋形船の柱に巻き付いて乱れていた。


 山田はハッとしてもう一度しっかりと小舟を見た。ゆらゆらと揺れる小舟には、人影があった。


「先生」

「山田君、だれか呼んできてくれる?」

「はいっ」


 山田は、坂を走って西山の家に登っていった。




 慌ただしく玄関に靴を脱ぎ散らかして、山田は万智を呼びながら、台所に駆け込んだ。


 ダイニングテーブルに座ってぼんやりしている万智と、朝食を食べているとね、それを介助している颯実そうまが、驚いた顔をして山田を見た。


「どうしたんです?」


 颯実が唖然としつつ、山田に訊ねた。


「万智さん、颯実さん! 爽果さんの舟が、今、漁港に!」


 それまで色彩のなかった万智の目に光が宿り、口を両手で押さえて、立ち上がった。


「爽果……!」

「それ、本当ですか!」


 颯実も立ち上がり、山田を見つめた。


「はい、この目ではっきり見ました。先生が見つけてくれて……」


 万智と颯実が顔を見合わせる。


「母さん、俺はばあちゃんを見てるから」


 万智が頷いて、山田の横をすり抜けて玄関から外に出た。つっかけの音が足早に遠ざかっていく。


 山田も慌てて外に出たが、すでに万智の姿は見えなくなってしまった。


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