第五話

 肺が痛くなるほど走り続けて、やっと漁港にたどり着いた。


 ちらほら村民が集まっている中につくもの姿を探すが、どこにも見当たらない。


 五色の布が垂れた舟が、港に引き入れられて波止場にもやいで繋ぎ止められている。その舟の側に朔実や万智、白と爽果が立っていた。


 爽果の姿を見て、山田は足を止めた。ぼんやりと立つ爽果が胸に両手を寄せて、何かを持っている。自然とそこに視線が引き寄せられた。


 とりあえず、白に呼びかける。


「先生!」


 すると、白が顔を山田のほうへ向けた。


「おー、山田君」


 手を上げて振り、山田を呼んだ。


 近づくにつれ、爽果の姿がよりはっきりと見えた。


 仕立てたばかりの十二単が、何年も着続けたように裾がほつれ、袖が破れて、腰紐もちぎれて脇に垂れている。髪もボサボサに乱れているが、表情は下を向いているので分からなかった。


「爽果……」


 万智が爽果の背中に手を当てている。けれど、爽果は俯いたきり、何も話さない。


「まずは病院で診てもらおう。おいが送っていくから万智はんも来てほし」

「はい。すみません」


 朔実の言葉に万智が頷いて、爽果を抱き寄せた。


 嵐の中、爽果がどれほどの思いをしたのか、山田には計り知れない。みんなの顔つきで同じ事を考えているのが見て取れた。


 そこに、朔実から連絡を受けた成継がやってきた。


「爽果ちゃん、見つかったって……爽果ちゃん!」


 言葉にならない驚きが、成継の顔に浮かんだ。


「見つかって良かった。あの嵐の中で、命があっただけでも……」


 成継が爽果の手の中にあるものに気付いた。


「それ……、まさか橘の? え? まさか、本当に?」


 次第に、成継の表情が明るくなっていく。


「それ、誰が持たせてたんだ? まさか、御郷島から、だなんて言わないだろうね。親父が持たせたのか? とにかく、持ち帰ったのは確かだから。爽果さん、それを貸して」


 成継が爽果の手から果実を取った。


 白の目が果実に釘付けだ。山田も爽果の手から奪うように取られた果実をよく見る。


 鮮やかな黄色の小ぶりのみかん。どう見ても、“橘の宝玉”だ。成継の言うように、最初から持たされていたのだろうか。


「それ、どうするんですか」


 白が興味津々な様子で訊ねた。


「そりゃ、もちろん。奉納するんですよ。元から持っていたとしても、無くさずにこうして持って帰ったことに意味がありますから」


 じゃあ、私は親父にこれを見せますよ、と去って行った。


 万智は呆然とやりとりを見ていたが、朔実が迎えに来たので、爽果を連れて病院へ行ってしまった。


 山田と白は、とりあえず、状況を颯実そうまに説明する為、西山の家に戻った。




 山田は颯実に爽果と万智が病院に行ったことを伝え、そのあと吉宝神社に赴いて、奉納されただろう橘の実を白と一緒に見せてもらうことにした。


 道すがら、爽果の様子がおかしかったことなどについて、白の意見を聞いてみた。


「爽果さん、なんだか様子がおかしかったですね」


 白もそれに気付いているようだ。


「そうだね。何かに心を奪われてるみたいな感じだった」

「衣装がボロボロになってた割に、舟の五色の布は比較的綺麗だったし……」


 同じようにボロボロになってもおかしくない、と山田は続けた。


「まるで、何日も彷徨っていたような雰囲気だったね。それに、あの実。本当に“橘の宝玉”だと思う?」

「先生は、維継さんが持たせたんじゃないって、言いたいんですか?」

「昨日、濃い霧は神隠しに関連がある話をしたよね」


 山田は頷く。


「もしも、あの濃霧で爽果さんが全く違う場所に辿り着いてたとしたら……? 時間の流れが違う場所にいたとしたら、衣装がボロボロなのは納得がいく」

「まさか」


 山田は信じられなくて笑った。


「霧の中に御郷島があったとしたら……その島から橘の実を持ち帰ったとしたら? 爽果さんはおわたいを成功させたことになる」


 そのとき、村内放送が流れた。


『大切なお知らせがあります。村民のみなさんは、吉宝神社にお集まりください』


 立ち止まって、山田と白は放送を聞いた。


「爽果さんが持ち帰った果実のことでしょうか?」

「うん。それと捜索中の爽果さんが無事だった報告かもしれない」


 放送を聞いた西浜の村民がまばらに表に出てきた。


「なんのお知らせっじゃろよね」

「朝、港が騒がしかった説明じゃねか」


 顔なじみ同士が肩を寄せ合い、歩きながら話をしているのが、聞こえてくる。


 爽果が無事だったことにまだ気付いてない様子だった。


 西山に避難していた老人達も混じっている。爽果が病院に行った頃、丁度自分の家に帰ったのだろう。一息つく間もなく呼び出されて、不満そうな声も聞こえてくる。


うあめ大雨やらなんやらでぶんと全然落ち着けん。おい達をわざわざ呼び出すほどだから、よっぽどんでしえ大事な知らせっなんだろうな?」

どしこいくら吉宝さあでもなぁ」


 老人達の止めどない不満を、通りすがりに耳にして山田は気分が悪くなった。


 早くこの場から離れたくて足早になる。同じように会話が聞こえているはずのシロ先生を見上げる。口さがない老人達の会話など耳に入ってないようだ。


「奉納ってどんなことをするんだろうね」


 などと、楽しそうにしている。


 白のアルバイトに就いて、時折感じるのは、白が本当は他人にあまり関心がないかもしれない、と言うことだった。だから、ひととのコミュニケーションに関して、結構割り切っているような気がする。


 山田は自分が青臭いのは分かっている。ずっと、綿子の死を引きずっている。むしろ、綿子が憑いてなかったら、他人に対してここまで感情的な人間になっただろうか。綿子の死が基準になっていて、彼女の死のフィルターを通して他人の言動に一喜一憂している。


 あとは、経験値が低い。白と比べてはいけないけど、圧倒的に人と接触せずに生きてきたことを痛感させられる。それは綿子のせいでもあるが。

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