第二話

 背中に感じるのは軟らかな土の感触だ。驚いた弾みに地面に転がってしまったのだろう。


 山田は周りを見渡して、自分が叫んで転んだ元凶を探した。


 その様子を見たつくもが、「また見えたの?」と訊ねてきた。


 今はいない。今は見えないと、白と視線を交わした。


 夢の中に出てきたセーラー服の少女は、双子の姉の綿子だ。先ほどの気味が悪い夢は綿子が見せた悪夢だったのだろうか。


 白に助けられながら、山田はゆっくりと立ち上がる。


 周囲には、黄色い果実を実らせた木々が、小高い山裾に整然と立ち並んでいる。


 村を案内するという爽果に連れてこられたのだ。


 枝葉に実る黄色いみかんに、山田は一抹の不安を感じる。それは夢で見た黄色く不吉な果実と同じものだった。


「それ……」


 山田が一区画に設けられた果樹の実を指さした。


「あ、これが例のみかん。“橘の宝玉”って言うんだよ」


 爽果がにっこりと笑いながら説明してくれた。


 ここは、漁業に次ぐ、三宅村の地産物、三宅ミネラルみかんの畑である。その一画に設けられた、奇跡の果実、“橘の宝玉”の果樹園でもあった。


 “橘の宝玉”は、山田が通う福北大学の農学部教授が発芽させた、千年前の橘の実だ。


 教授から、この橘の実は三宅村に伝わる『おわたい』という民間信仰で使用されるのだと教えてもらい、白は俄然興味を示した。


 冬休み前に提出された爽果のレポートにあった、おわたいと同じものだと分かった時点で、白は旧正月に旧来の形で復興されるらしいおわたいに参加するべく、山田を連れて、鹿児島県の南端にある三宅村へフィールドワークの為に訪れることを決めたのだ。


 爽果は無条件で単位を上げるという白の申し出にあらがえなかったらしく、山田と白の二人を村に招待した。


 西山の果樹園から、眼下に広がる太平洋と真下の岩場、東側の山の中腹に設置された巨大な太陽光発電所、その裾野に伸びる村唯一の国道が見える。


「シロ先生、あの道がここに来るときに通った道です。それから、この真下の岩場に洞窟があって、レポートに書いた『ほかい様』の石像があります」


 爽果が指さしながら、説明してくれた。


 山田は説明を受けながら、ぼんやりと先ほど見てしまったものを思い出していた。


 山田には霊が見える。それも自殺した綿子の霊だけが限定的に見えるのだ。


 綿子は怨霊で、理由は分からないが、山田に取り憑いている。


 それを、シロ先生——白は知っている。あまり評判は良くないが時給の良い、白のバイトに応募したときに伝えた。


 山田が突然叫んだり、転んだり、挙動不審な態度を取る原因を伝えておかないと、きっとまたバイトを辞めさせられることになると案じたからだ。


 けれど、白には綿子がどう見えるのかまでは伝えてない。目にしたら、きっと気味悪がるに違いない。


 自殺の仕方が原因なのだろう、直視できない状態で、山田の前に突然現れる。


 スイカのように頭部が割れて潰れた綿子の姿は無惨だ。山田はいまだに綿子の姿に慣れないでいる。


 山田は怨霊になった綿子を救って、成仏させる方法を探す為に民俗学を専攻したのだ。


 心霊現象や怨霊などの研究ができる学部が分からなかったこともあって、悩んだ挙げ句、福北大学の人文学部を受験した。綿子を救う方法を探す流れで、必然的に大学院に進むことになった。


 そこで、山田は白と出会ったのだ。


 それにしても、まだ気分が悪くて嘔吐えづく。夢の中で踏み潰された柑橘の、生臭い魚の臭いがまだ辺りに漂っているからだ。


 山田は見るからに顔色が悪いのだろう。白が心配するように振り返る。


「大丈夫? 顔色悪いよ?」


 ちっとも大丈夫ではなかったけれど、気分が悪いからと、勝手に爽果の家に戻るわけには行かない。慌てて、白に向かって首を振って否定した。


 白は眉尻を下げて「本当に?」という表情を浮かべたが、山田は無理に笑ってみせた。


「立派なみかん畑ですね」


 気を取り直した白が、爽果に言った。


「父の自慢の果樹園ですから」

「みかん農家だと、みかん食べ放題ですか?」


 白が本気なのか、冗談なのか判断がつかない質問をした。


 それを爽果が笑って受け流す。


「でも、私、柑橘系アレルギーなんです。みかん食べられなくて。シロ先生はみかん好きですか?」


 すると白がきっぱりと言いのける。


「私、柑橘系や酢は苦手で」


 そう言いながら、後ろに立つ山田を振り向いた。


「山田君はみかん好きですか?」


 みかんは嫌いじゃない。でも、悪臭のする“橘の宝玉”は無理だ、食べられない。山田は本当のことが言いにくく、苦笑いを浮かべる。


「僕も苦手です」


 爽果も苦笑する。


「父が残念がるだろうなぁ……。母もアレルギーで祖母はみかん嫌いなんです」

「みかん農家なのに?」


 白が驚いた口調で返した。


「だから、みかん大好きな父が養子に入ってくれたんです。アレルギーだけど、わたし、父が育てたみかんが大好きなんですよ」


 山田は、爽果の父の思い入れが強い橘の低木を見やった。


 果樹にはまばらに黄色い実がなっている。


「千年前の奇跡の実だから、一個ずつ化粧箱に入れて特別販売するんだそうです」

「大量に作る予定はないの?」


 白が素朴な疑問を、爽果に投げかけた。


「安定して収穫できるようになったら、“橘の宝玉”の木を増やすんじゃないですか? みかんって、実が生るのに最低五年かかるから、あと五年たたないと分からないかも」

「桃栗三年柿八年、みかんは五年かぁ」

「そうですね」


 爽果が含み笑った。


 二人が和気藹々と話す後ろで、山田はひたすら吐き気を我慢していた。

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