第一章
第一話
二人が三宅村の地を踏んだ時には、すでにお昼を過ぎていた。
三宅のバス停で下車し、迎えにきてくれた爽果の案内で、村唯一の狭い国道を二十分ほど歩いて、やっと村の入り口に辿り着いた。
旧正月まで、まだ三日あるというのに、五十年ぶりの『おわたい』目当ての観光客で、村は賑わいを見せている。
三宅村唯一の民宿『ゑびす』は、大繁盛で満室だった。急に思い立っての訪問だったから、宿泊する場所がなく、それで、爽果の実家に世話になることになったのだった。
爽果の実家に荷物を置いたあと、爽果に「是非、父のみかん畑を見て欲しい」と言われて、村を見渡せる西山の果樹園に立っている。
一通り、“橘の宝玉”の説明を受けた後、果樹園から村を見下ろし、白が呟く。
「陸の孤島ですねぇ」
「そうなんです。すごく不便で。みんな村を出ちゃうから、若い子も少ないです。かく言う私も大学に行く為に村を出ちゃったし……。遠いからなかなか帰ってこれなくて。『おわたい』の巫女になってほしいって父に頼まれたのは、帰省する良いきっかけになりました」
眼下の三宅村は、東西の山に囲まれ、なだらかに海に向かって伸びる三本の道路、その道路を挟み家屋が並ぶ。テトラポッドに囲まれた漁港の左右には砂浜がある。夏場は海水浴場として利用されていそうだ。
遠くには、冬の薄曇りの空と、その空色を映した太平洋の水平線が混じり合っているのが望める。
「三本の道で区切られた場所は東浜、中浜、西浜と呼ばれてて、山側に棲む人の家は向こうから東山、隣の中山、私のうちがある西山って呼ばれてます」
爽果は東山を指さす。その先に太陽の日差しに照り返る、太陽光発電機が望めた。
「あれも助成金が出るからって、国道が通っている東山、そこに住んでる拓蔵さんが建てたんですよ。台風とかで送電線が切れたら、ここ、本当の意味で孤立するから」
それを聞いて、白がなるほどと相づちを打つ。
「今までそういうことはあったんですか?」
「私が小学生の時に遭ったから、太陽光発電機を設置したんだと思います。台風で地崩れとか昔は珍しくなかったみたいです。さすがに今は崖もコンクリートで補強されて、災害に遭うことは少なくなったみたいですけど」
白が後ろで気分が悪そうにしている山田を振り返る。
「大丈夫?」
山田は周囲から漂ってくる腐肉の臭気に吐き気を覚えつつも、気分が悪いと言えない。
「気にしないでください。それより、ほかい様ってどこにあるんですか?」
『ほかい様』のことも、爽果がレポートに書いていた。
「障りがあるって本当ですか?」
白がどことなく楽しそうに爽果に訊ねた。
山田もそのほかい様に強い興味を覚えてついてきているだけに、気分が悪くても我慢して白と並んで立った。
爽果が二人の様子の変化に苦笑いを浮かべる。
「ほかい様が障るのは小さい頃から言われてることで、本当に障るかどうかは分からないです。でも三宅でほかい様にいたずらしようって考える子供はいないですね。それに……」
「それに?」
「あそこの辺りは気味が悪いんです。変な音が聞こえてくるって言うのもありますけど」
「変な音……」
「多分洞窟にぶつかる波の音が反響してるんだと思うんですけど」
「ふーん……」
白が興味をそそられてたまらないという、表情を浮かべた。
ほかい様のことを知りたいのは、山田も白と違わない。
違う点があるとするなら、白は好奇心を満たす為にほかい様の話を聞きたがっているが、山田はあくまで怨霊になってしまった綿子の為にほかい様のことを知りたかった。
ほかい様が何故障るのか、その謎を究明すれば、綿子の魂を怨念から解放できる糸口になるかもしれない。
ちょうど、西山の果樹園の真下にほかい様の洞窟があるらしく、爽果が山の下を指さした。
白が緩やかな下り坂になっている山肌から、真下を覗くように身を乗り出す。坂の先には柵が設けてあって、そこから崖になっているようだった。
「今から見に行きませんか」
ワクワクが止まらないといった様子で、白が爽果を振り返った。その目がキラキラしている。
「今からですか? どうかな……
「ぜひ吉宝さんに頼みましょう!」
爽果が白の好奇心の圧に戸惑っているのが分かる。
山田は白の知識欲に感嘆してしまう。研究対象がやや違うので、彼のゼミを受けたことはなかったけれど、噂では興味があるものに対する熱意がちょっと変わっていると聞いていた。
まだ、白の助手のアルバイトを始めて日が浅いので、どこがどう変わっているのか、目の当たりにしたことがない。
ただ、奇妙なお願いをされた。
『私が危険な場所に行こうとしたら止めてね』
危険な場所とは何だ、と山田は思ったけれど、要するに地理的に危ないところを指しているのだろう。たとえば、雪山の単独登山だとか、切り立った崖中腹にある遺物とか、インディ−・ジョーンズ張りの危険を冒すことかもしれない。
しかし、そんな危険な場所に行くことなど、まずないだろうからと山田は考えていたが、今にも崖から降りて、真下のほかい様の元へ行きたがっている様子の白を見ると、そのままの意味ではないかと勘ぐった。
「じゃあ、このあと、吉宝さんに聞いてみます」
「お願いしますね!」
山田は爽果に向き直って、ほかい様の障りのことをもう少し知りたいと思って訊ねた。
「爽果さん、ほかい様が障るって具体的にどういうことなんですか?」
爽果が、困ったように首をかしげる。
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