第二話
「障るというか、昔、ほかい様に近づいた人が死んだとか。
「レポートにも書いてましたね。御郷島とは海の彼方にある楽園だとか」
爽果のレポートは、山田も見せてもらった。
冬休み前に提出されたレポートには、三宅村に古くから伝わる、『おわたい』という民間信仰が来年の旧正月におこなわれる事が書かれてあった。おわたいとは、人型の紙人形とみかんを藁船に乗せて海に流す儀式で、藁船が無事に御郷島に渡り、三宅村に戻ってきたとき、舟にみかんが残っていれば、これから先の五十年間の豊漁が約束されるというものらしい。
今度のおわたいでは紙人形ではなく、爽果を乙女役を立てて、舟に乗せるというイベントをするとのことで、レポートを読んだ
「楽園というか、なんて言うんだろう……神様の島って呼ばれてます」
「神の島へ渡り、神を乗せて戻ってくると言うことですね。神を乗せて戻ってくることと、共に禍がやってくること、二つの側面がある信仰であれば、まれびと神信仰がありますけど、気になるのは、舟に乗って海の彼方にある楽園へ行くことを目的にしている。これは確か仏教にそういう
最後のほうはブツブツと呟くように、白が考え込んでいる。
「仏教に? じゃあ、おわたいは仏教から派生した信仰なんですか?」
山田の素朴な疑問に、白が答える。
「あくまで推測だから」
確かにそうだ、と山田は納得する。
今手元にあるのは材料の分からない料理だ。料理名だけははっきりしているけれど、その料理を構成しているものが分からない。
分からないのに、断言できるわけがないのだ。ひたすら、その料理の材料に近い、もしくは似たものを列挙していくしかない。
白が、ふと顔を上げた。
「そういえば、農学部の野田教授が言ってましたけど、この“橘の宝玉”は、千年前のおわたいで乙女が持って帰ってきた果実だとか? 教授が発芽させた苗を育てたのが、爽果さんのお父さまと聞いてますが」
「そうです。このみかん、千年前の種が育って実ったんですよ」
爽果が誇らしげに三本の“橘の宝玉”が実る果樹を見つめて、説明した。
「乙女役を引き受けることを、電話で伝えた時に父が言ってたんですけど、“橘の宝玉”を村おこしに使うらしいです。おわたいの儀式もそれが目的だって言ってました。乙女役を立てたのも、江戸時代まではそうしてたからとか。ただ、藁船を流すだけだと、目立たないし、イベントとして華がないからなんですって。わたしは藁船でいいと思うんですけど、今年から毎年やるんだって、父は張りきってました」
白が口を尖らせて、爽果の言葉を吟味している。
「でも五十年に一度の儀式じゃないんですか?」
山田は不思議に思って訊ねた。
「出て行った若い人達や、漁業とか果樹農業に興味がある人を呼び込みたいみたいです。Iターン、Uターンって言うんですよね?」
準限界集落である三宅村は、村の再起を願って、今回の儀式や貴重な果実をブランド化しようと図っているのだろう。
山田は、民間信仰であるおわたいをブランド化して、儀式の内容をねじ曲げてしまうのはどうかと思う。村おこししたいという気持ちは理解できるが。
「じゃあ、これからは“橘の宝玉”を特産物に生産していくんですか? 毎年おこなうイベントとしておわたいを復興するってことは、そういうことも含まれてるんですよね?」
「村の人とおわたい振興会って言うものを結成して、国からも助成金をもらったから、これから三宅村は忙しくなるぞって父が言ってました。父は振興会の会長をしてるみたいで」
「じゃあ、おわたいのことはお父さまが詳しいんですか?」
それまで爽果の話を聞いていたシロ先生が口を挟んだ。
爽果が首をひねる。
「うーん、父が詳しいかそこまでは分からないですけど、おわたいをよく知ってるのはうちのおばあちゃんと吉宝さんのとこの
お婆さんと聞いて、白の表情が明るくなった。
「昔のことは村のご長寿に聞くといいって言いますからね。五十年に一度と言うことはお祖母さまは少なくとも七十を越えているのでは?」
「おばあちゃんは九十七歳です。でもずいぶん前から認知症で、昔のことを覚えてるか、怪しいです……」
そこで爽果の表情が明るくなった。
「そういえば、わたしが小さい頃に教えてくれた数え歌をよく歌ってますよ」
白の表情がさらに明るくなる。
「数え歌ですか!」
白の中で、知りたい優先順位が変わったようだ。今すぐ見に行けないほかい様よりも、まずは入手しやすい情報を聞き取りに行くことにしたようだ。
「数え歌教えてもらえますかねぇ……お祖母さま……えー、お名前は?」
「名前はとねって言います。大好きな歌みたいだから、教えてくれると思います。でも、おばあちゃんの体調が良いときだけとは思いますけど」
「体調が良いといいですねぇ」
そう言いながら、笑顔で白が元来た道を引き返していく。爽果もその後ろについて行ってしまった。
山田は崖下にあると言うほかい様のことが気になって、しばらく斜面の先を見ていたが、爽果に呼ばれて、慌てて二人を追っていった。
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