第三話

 寒空の下、果樹園から伸びる坂道を下り、しばらく道なりに進むと、大きな平屋の家が見えてきた。多分戦前に建てられた家屋なのか、良い感じにひなびた佇まいだ。


 広い庭には、軽トラと軽自動車と普通自動車の三台が停められている。


 爽果の後ろに付いていきながら、山田は庭を見回す。


 庭の片隅には鶏小屋があり、鶏は放し飼いにされて、庭中を歩き回っている。


 鶏小屋の横には小さな菜園があり、家族が食べるには十分そうだ。大根の季節なのか、大根の葉がわさわさと茂っている。


 山田達は鶏を避けながら、開け放たれた玄関から屋内に入った。


 三和土たたきが広く、昔ながらの段差のある上がりかまちの手前には、ステップが設えてあった。


 山田と白が靴を脱いで上がりかまちに足をかけて家に上がる。


 白は左側のふすまを開けて中に入っていった。


 靴を揃えようと思い、山田が振り返ると、爽果が手早く二人の靴を揃えていた。


 山田の靴はコンバースの紺色のシンプルなスニーカーで、白の靴は蛍光色の黄色いラインが入ったスニーカーで派手だ。


 二人の靴が並ぶと、白の個性が際立つ。


「すみません」


 山田が爽果に声をかけると、ふと山田を見上げた爽果が笑顔で、「気にしないでください」と答えた。


 爽果は気がきく、礼儀正しい女性だ。おそらく彼女の両親もきちんとした性格なのだろう。


 爽果が、山田が脱いだ紺色のダウンジャケットを受け取る。玄関のコート掛けに自分のコートと一緒にダウンジャケットも掛ける。


 家屋の奥から、いい匂いが漂ってくる。


「母が先生達の食事を作ってるかも」

「え、気を遣わなくて大丈夫なのに……すみません」

「母も父もお客さんが来るの、好きなんです。だから気にしないでください。先生と座敷で待っててください」


 そう言って、爽果は廊下の奥にある台所に行ってしまった。


 山田が座敷に入ると、広い卓を囲んで爽果の父親の照男が、向かい側に座った白にビールを勧めているところだった。


 三宅村に着いて、すぐに爽果の家に赴いたとき、お互い自己紹介は済ませている。


 照男はもう飲んで待っていたらしく、コップに半分ビールが残っている。


 白がコップを傾けて照男のもてなしを受けていた。


わいんか?」


 エラの張った四角い輪郭に、白髪交じりの太い眉毛が豪胆そうな爽果の父親が、ビール瓶を掲げて、自分の横に座るように促した。


 こう言うときは受けるほうがいいと言われたけれど、ビールが飲めない山田は、丁寧に頭を下げて、謝る。


「すみません、お酒に弱くて……」

「そうか。まぁ、こけここに座って。今、ちゅはん昼飯を家内がっから」

「あ、はい。ご馳走になります」


 平たいざぶとんに腰を下ろして、山田は座敷の縁側を見やった。小さな声で、老婆がお手玉を弄りながら歌っているのが聞こえた。


 これが数え歌なのだろうか、と白に目配せをする。


 すると、白が目を細めて、縁側に顔を向けた。


「数え歌ですか?」


 照男が頷く。


「ばあちゃんがよくとてるよ。きゅ今日ごっ機嫌がよかな」

「話をしても?」


 照男が祖母に声を掛けた。


「ばあちゃん、せんせ先生がその歌を聴きたいっててるぞ」


 聞こえてないのか、祖母のとねはブツブツと歌っている。


 白が体勢を変えて、膝立ちのまま畳を這ってとねの後ろに正座した。


「すみません、数え歌を聴かせてもらえますか?」


 ふっと、とねが顔を上げて、庭を眺める。ちゃんとお願いの意味を理解したのか、少し声を大きくして歌い出した。


「いちりっとかい ででもっくぃ ちんがらびんたのほかいさぁ おんごっじまや ちょんがめ」


 お手玉を高く飛ばして、落ちてきたお手玉を手のひらで受け止める。


「にーりっとかい ででもっくぃ ちんがらびんたのほかいさぁ おんごっじまや ちょんがめ」


 とねが、お手玉をまた飛ばして受け止めるを六回続けた。


 七つ目を歌わないので、白が覗き込むようにとねを見て訊ねる。


「七つ目の歌はなんですか?」

「うたはなかまっ」


 薩摩弁で答えられて、白が照男を見た。


「ああ、七つ目の歌はないんだよ」

「ない?」


 白が不思議そうな表情を浮かべた。


「一から六までしかないんだ」

「それは昔からですか」

「うん。おいがめ頃からないな。ばあちゃんもとたこっことがない」

「一から六までの歌ですか……。何故なのかな……」


 数え歌は少なくとも十まで通して歌われるものだ。


「歌詞の意味も方言が強くて分かりにくいけど、考察しがいがあるね」


 白が山田に向かって言った。


「歌詞の意味を教えてもらっても?」


 白が照男を振り返った。


「意味か……。『いちりっとかい』は数を数えてるというのは分かるが、意味は分からんな。『ででもっくぃ』はみかんを持ってくるで、『ちんがら』は分からん。『びんた』は頭のことだ。『ほかいさぁ』はほかい様。『おんごっじま』は御郷島。『ちょんがめ』はこれも分からん」


 白はそれを聞いて破顔する。


「じゃあ、『いちりっとかい』は数を数えているけれど、多分一つ二つの意味じゃないかもしれないね。歌詞に『おんごっじま』があると言うことは、御郷島への距離のことじゃないかな。『いちり』は多分、一里のことじゃないかなぁ……」


 白が一瞬考え込んでから、すぐに何か閃いたように山田を見た。


「そうか! 補陀落ふだらく渡海とかいだ!」

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