第四話
「ふだらくとかい?」
照男も驚いたように聞き返した。
「はい。補陀落渡海です。思い出した。仏教の観音信仰をベースにした行の一つです。海の遙か彼方にある
照男がなるほどと手を打つ。
「——で、補陀落渡海のことを歌った童唄があるんです。考えてみたらそれを改変して作ったのかもしれない」
山田は神妙な面持ちで白を見つめる。
「確か、いちりっとらん いっかげっこし ちんがらほけきょの たかちおや ちょんがめ」
照男が感心したように息を吐いた。
「
「多分、元々はこの童唄だったのが、三宅村の民間信仰と結びついて、歌詞が改変されたんでしょう」
「でも、その童唄の意味、全然分かりません。なんていう意味ですか」
山田が素直に訊ねた。
「元々はこういう歌だよ。一里渡来、来渡、来渡せ、秦から法華経 夢の国。補陀落渡海を元に歌われたものです。捨身行の補陀落渡海は江戸時代を最後におこなわれなくなったんだけど、歌は今も鹿児島県の一部に伝わっていますね」
「ほお」
「そうなんですね」
照男の感嘆に被さるように、爽果の声がした。
気付くと、ふすまが開け放たれて、料理を載せたお盆を手に、爽果が立っていた。
「意味が分からなかったから、すっきりしました。ねぇ、おばあちゃん」
「ばあちゃんも食べるか?」
「たもいようか」
「
台所から、照男の妻、
「はーい、ちょっと待ってて」
「わたし、取ってくる」
そう言って、爽果が立ち上がり、台所へ行ってしまった。
「よく覚えてますね」
山田は白の記憶力に驚いた。
「いやぁ、付け焼き刃だよ。鹿児島に行くって決めたときに、資料を漁ったのが幸いした」
「そういえば、先生、民間伝承や民間信仰の研究してましたね」
「うん。たまたま鹿児島県の民間伝承を調べてたから、爽果さんのレポートを見て、興味が湧いたんだよ」
卓の上に豚肉料理や魚料理、刺身、菜園で採れた野菜を使った料理が並べられた。
「さ、冷めないうちに食べて食べて」
万智に促され、山田と白は箸を取った。
「さすがは学者
照男が嫌味でなく、素直に感心している。
白がくしゃくしゃの頭をかいて、さらにくしゃくしゃにする。
「いやぁ、一応、おわたいの儀式の内容とほかい様の話を聞いていたから、事前に調べられたんですよ。ただ、御郷島のことは調べても分からなくて」
それを聞いて、照男が嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「御郷島は、三宅に昔から伝わる島のことだ。吉宝さあが
「海を練った? まるでオノゴロ島みたいですね」
「オノゴロ島?」
爽果も照男も不思議そうに聞き返した。
山田はすぐにその島が、記紀に記載されている最初に神が作った島のことだと分かった。それならば、御郷島が神の島だと伝えられているのも合点がいく。
「そうか……、御郷島は、オノゴロ島が転訛したものかも」
白が豚の角煮を頬張りながら、山田を見た。
「だね。おわたいも、多分、お渡りが転訛した言葉だろうね」
照男が話しについて行けずにきょとんとする。
「そんてんかちゅうのはなんじゃっとな?」
白の授業を受けているだけに、爽果にはピンときたようで、「お父さん、転訛って訛ったって言う意味だよ」と耳打ちする。
「ああ! どげな意味かと前から
「本当にそうかはまだ分からないですけどね」
白が苦笑いをしながら、また髪を弄った。
「ばあちゃん、おわたいはお渡りと
ざぶとんに座って、取り皿の刺身を黙々と食べていたとねが、白を見た。
「おんごっじまにわたらがっこ、おわたいゆもんが」
今度は白がきょとんとする。
「おばあちゃん、方言が強くて、わたしもわかんないことがあるんです。お父さん、おばあちゃんはなんて?」
爽果に促されて、照男がおかしそうに笑った。
「御郷島に
爽果も納得がいったようで笑う。すると、
「渡られるって言ってるから、あれじゃない? 神様がってことじゃないの」
「え? 乙女じゃないの?」
爽果の言葉に、万智が続ける。
「舟で、神さんと乙女が戻ってこられるじゃない。行くだけじゃなくて戻ってくるのも含めておわたいっていうんじゃないの」
すると、とねが頷きながら言った。
「おわたいしたぎぃーな、かならっけ」
「ほら、おばあちゃん、必ず帰すって言ってるし」
白が興味深そうに、「戻ってきたら、再び、舟を海に流すってことですか」と訊ねた。
「そういうふうに聞いちょっ」
「そうなんだぁ……」
爽果も初めて聞いた様子で呟いた。
「行って戻って、また帰す……」
山田も小さく口の中で、言葉の意味を吟味した。爽果のレポートの内容を思い出す。
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