第五話

「過去三回おこなわれたおわたいは藁船でやったんですよね?」


 照男が頷く。


「そのときは、海に流したあと戻ってこなかったんですよね?」

「うん」

「戻ってこないときはおわたいの儀式はどうなるんですか?」


 照男が、とねを見た。


「どげんなっのか、っちょっか、ばあちゃん」

「わかいらない」

「わからないんだって」


 とねの側に座った万智が通訳してくれた。


 そのあと、山田が何を聞いても、とねは「わかいらない」としか言わなくなった。


「まぁ、過去のおわたい三回は吉宝さんが知ってるから、そっちに聞けばいい」

「そういえば、吉宝さんだけ、三宅姓じゃないんですね」


 山田が素朴な疑問を投げかけた。すると、とね以外のみんなが笑い出した。


「え? なんで笑うんですか」


 山田が不思議がって、一緒に笑っているつくもを見た。


「だって、山田君。吉宝さんは吉宝神社のことだよ」


 すると、照男も面白そうに笑いながら付け加える。


「吉宝さあは、吉宝さあとこん維継いつぐはんと、むひこ息子成継なるつぐはんのことだよ」


 山田は首をかしげる。


 爽果が説明する。


「全員三宅姓だから、地域と下の名前を呼ぶんです。例えば、お父さんは、西山の照男って呼ばれてます」


 山田は、「あ、そうか」と納得した。


「じゃないと誰が誰か分からないからか……」

「そう、だから、同じ名前の人はいないんです。村外から嫁いでこられた人は名前がだぶったりしますけど」


 白が笑顔で、「人口の少ない地域で、村民全員の苗字が同じというのはよくあることだよ」と言った。


「じゃあ、みんな親戚なんですか?」

「いや、それは微妙に違うんだ。よそから移ってきて住み着いた一族だったりするね。福岡にもそういう歴史のある地域があるよ。帰ったら調べてみたら良い」

「そうします」


 照男が万智に目配せして、「あれ、持って来てくれ」と声を掛けた。


「はいはい」


 万智が立ち上がり、台所へ引っ込んだ。しばらくして、剥いたみかんを皿に載せたものを持って戻って来た。


 山田は万智が座敷に入ってきた途端、漂い始めた悪臭に顔を顰めた。嫌な予感がする。


 あっという間に魚の臓物が腐ったような臭いが座敷に充満して、山田は胃液が喉に上がってくるのを感じた。


 万智が皿に載せているみかんは“橘の宝玉”だ。


「おう、こっちに置いてくれ」

「先生、これ」


 万智がみかんの皿を白と山田の前に置いた。


「こいが、おいが育てた“橘の宝玉”、食べてみてくれ」


 照男が万智の手からフォークを受け取って、白に手渡した。


「シロ先生、父が育てたみかん、すごくおいしいって。食べてみてください」


 爽果も上機嫌で勧めてくる。


 手渡されたフォークを持ったまま、白が困った顔をする。


「私、みかん食べられないんです」


 照男が眉根を下げる。無言で、今度は山田を見つめた。


「山田君も食べてみて。おいしいんだから!」


 “橘の宝玉”を食べたことがなくても、照男の作ったものに全幅の信頼を寄せているのだろう、爽果が切ったみかんを山田の鼻先に持って来て勧めてくる。


 思わず、山田は嘔吐いて咳き込んだ。


「ごめんなさい、ちょっと……」


 山田は吐き気を我慢しながら、なんとか答える。


「僕もみかんは苦手で……」


 ますます照男と爽果が残念そうな表情を浮かべる。


「みかん農家じゃって、家内も爽果もみかんが駄目でね。うんめんだがなぁ……」

「照男さんは食べられたんですか?」


 白が訊ねた。


「おいはしょがっ正月に振興会の連中ともったよ。八朔はっさくみたいに酸味は強めだが、甘酸っぱくてうまかった。ちゃまだまだ出荷でく出来っ量じゃねが、でねん来年はもちっと実がなっとも。“橘の宝玉”もブランド化できたら、村の特産物として売り出せる。なんせ千年前の実じゃっでな。せんせ先生おんなし大学の野田せんせ先生のおかげだよ」


 白が大根の煮物を取り皿に取る手を止める。


「野田先生が?」

「“橘の宝玉”の種を発芽させたのは、野田せんせじゃっでな」

「確かに千年前のみかんだって言ったら、付加価値は充分にありますね」

「そなんだよ。今はまだ三本だが、種があれば、増やせるからな」

「爽果さんからも聞きましたけど、おわたいも復興するらしいですね」

「そなんだよ。爽果に乙女役を頼んで正解じゃった。爽果も乗り気でね、 しょがっ正月からおわたいの準備をかせ加勢しっくれてる」


 照男が爽果を見やった。


「ほう……、大がかりなんですねぇ」


 白は感心したように相づちを打った。


「うん。江戸じで時代までおこなわれてた正式のおわたいをめとし毎年催して、観光客を集めて、村の活性化も図ろうとおもてね。“橘の宝玉”が蘇ってから吉宝さあとかたいごったんだよ。そいでおわたい振興会を発足してね、助成金もおりた。こややっば役場の草野はんの提案なんだ。で、名乗り上げてくれたのが、吉宝さあと青年団の朔実、最後においだ。一応、おいが会長になって、おわたいを復興すっこっにしてな。で、復興いっばんさっ最初のおわたいの乙女役を、爽果に頼んだわけなんだ」


 照男は続けて、


「おわたいは御郷島から幸運を持ちもどっ帰ってくる儀式じゃっでな。そよそれを売りにすれあけ人も来るじゃろ? おわたいを完全に再現できたら根付かせて観光客を呼び込める。無形文化財にだってなれる歴史のあるまついだしな。こいで、こん村もやいやいどんどんせわすなるぞ。古代の幻のみかんだ。たし貴重ねみかんを食べてみたいって人もいるじゃろしな。なぁ、ばあちゃん」


 話し終えると、手元にあるみかんの皿を、とねの前に押し出した。


か、ばあちゃん」


 とねが首を振る。


「たもろごちゃね」

「た《食》もろごっちゃねって、ばあちゃんはアレルギーじゃねだろ。家内も爽果もみかんのアレルギーでね」


 照男が苦笑いを浮かべた。


「うちの女どもはみんなみかんががならんだよ。まっで困ったもんだ」

「お父さんがいなかったら、うちはみかん農家やめたかもね」


 万智が屈託なく笑った。


「そこは私に任せてよ。みかん大好きな人を見つけるから」


 爽果が胸を張って父親に言った。


 なんだかんだ言いつつも、ちゃんと家業はなりたつんだな、と山田は釣られて笑う。


 それにしても、“橘の宝玉”から悪臭をするのは自分だけのようだ。


 この悪臭は、夢の中で綿子がみかんを踏み潰したせいなのだろうか……。では、なぜ、そんなことをしたのだろう、と山田はどうしても腑に落ちなかった。


「さぁさぁ、おなか空いたでしょ。食べて食べて」


 万智に勧められるまま、山田と白は万智の手料理に箸を付けた。

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