第二章

第一話

 卓の上に、万智が大量の料理を置いていく。まだ台所では何かを作っている様子で、爽果も行ったり来たりと忙しそうだ。


 今回、初めてつくもについてフィールドワークに来た山田は、過剰な歓待に戸惑って、大量の料理を見つめた。


 こんなに食べられないと思っていると、玄関が開けられて、男の声が聞こえた。


「どうもー、照男はんはいるか」


 声を聞いて、照男が玄関を向いて破顔する。すぐに席を立ち、廊下に出て行った。


「おー、よく来たよく来た! おっかはん! 吉宝さあとこん成継はん来たぞ」

「はーい、いらっしゃーい」


 万智が濡れた手をエプロンにこすりつけながら、廊下に出てくる。


 その様子が開け放たれたふすまからよく見えた。


「おー、野田せんせ先生もよくいらっしゃった」


 照男の声にそれまでむしゃむしゃと料理を口にしていた白が顔を上げ、箸を置いた。いそいそと立ち上がるのを見て、山田も急いで食べるのをやめ、白の後ろに付いていく。


「野田先生、どうも」


 廊下に出た白が、野田教授に頭を下げた。


 痩躯で白髪交じりの野田教授が、眼鏡の奥の目を細めて頭を軽く下げる。


「白君も来てたか。どうだ? “橘の宝玉”は見たかい?」

「見ました見ました。爽果さんに果樹園に案内してもらって」


 コートを脱いで廊下に置いた野田教授が機嫌好さそうに座敷に入る。


「いやぁ、外は寒いねぇ」


 暖房の効いた座敷の卓の前に敷かれた座布団の一つに腰を下ろした。


「食べてみた?」


 野田教授が白に尋ねた。


「いやぁ、私、酸っぱいものは食べられなくて」

「食べてみたら良いのに」


 白を残念そうに見つめ、「好き嫌い多いよ、君」とプライベートでも交流があるようで、野田教授が苦笑している。


 山田は跪く白の背後に座って、二人のやりとりをひと事のような気持ちで眺めていた。


「あ、野田先生、彼が新しい助手の山田君」


 おお、と野田教授が声を上げて笑う。


「奇特な学生さんだねぇ」


 白のアルバイトの噂を、野田教授も知っているようだ。


「君もあんな噂のあるアルバイトによく応募したね」

「野田先生、そりゃないですよ」


 白と野田教授が気安げに笑い合っているのを横目に、山田は白とのなれそめを思い起こした——。




 山田が白のバイト募集の張り紙を、学部の掲示板で見つけたのは去年の秋口だった。


『あの人に付いたら、何かしらあるよ』とはっきり言う人もいたが、高額アルバイトがどうしても必要だった山田にとって、選択の余地はなかった。


 昼間のアルバイトを首になったばかりで、夜間の警備の仕事だけではにっちもさっちもいかなかったからだ。


『アルバイト急募! 書類整理、取材随行、他。時給千五百円。要相談。白』


 学部の掲示板に貼られた、黄色く日に焼けたアルバイト募集の用紙に書かれてあった、電話番号を迷いもせずメモした。


 隣で山田を見ていた学生が、『これに応募するんですか?』と興味津々で訊ねてきた。


 するつもりだと答えると、学生はなんとも言えない表情を浮かべて、『頑張ってください』と言いながら、そそくさと去って行った。


 教員が募る時給千五百円のアルバイトが如何に破格か、誰も知らないはずがないのに、紙が黄色く変色しても取り下げられていないのは、なり手がいないということだ。


 噂は本当なのかもしれない。けれど、父からの仕送りがないので、なんとかして学費も生活費も自分で稼がねばならない。


 不意に現れる綿子の怨霊に驚いてアルバイト先で失敗が重なると、いくら山田が真面目に勤めていても、雇い主の受けは良くなかった。雇い主が大丈夫でも同僚からクレームが来る。そうすると、雇い主は問題行動のある山田をやめさせざるを得ない。


 昼間のバイトを首になるたびに、預金通帳の残高が気になるし、警備員の夜勤を頑張って学業に支障が出て困るのは山田だ。なるべく夜間ではなく昼間の仕事で割りの良いところを探すとなるとなかなか見つからないか、競争率が半端ない。


 だから、不吉な噂のせいで他になり手がない、白のアルバイトは最後の砦のようなものだった。


 白の講義はたまたま研究対象の違いで受けたことはなかったが、構内ですれ違うことはよくあった。


 くしゃくしゃとした髪の長身で痩せた男で、年齢不詳。いつも茶色のくたびれたジャケットを着ている。スラックスの裾はほつれているし、蛍光色のスニーカーが結構目立っていて、上下のミスマッチが目を引いた。


 風変わりで野暮ったい格好で人当たりが良い。しかも、面白い民話や民間信仰などをレポートに書いていたりすると、結構容易く単位をくれるときがあって、生徒の受けもいい。性格が悪いという話は聞いたことがない。


 あくまで、アルバイトをした数名の学生が行方不明になる、事故で死んでしまうという噂があるだけで、それを信じている学生が怖がって、アルバイトに応募してこないのだそうだ。


 確かに数年に一度そういうことが起こるのは確かだそうで、ゼミの教授から小耳に挟んだことがあったのだ。


 山田は意を決して、白に電話をした。


 用件を伝えると、白はすぐに研究室に来てくれるかと言ってきた。面接して問題なかったら、採用すると電話口で言われたのだ。


 五階建ての古い研究棟の五階の片隅に、白の研究室がある。


 エレベーターのない、研究棟の階段を五階まで昇って廊下の先まで行くと、突き当たりの研究室のドアにつくも匡介きょうすけという白いネーム板が掛けられていた。


 山田は、ドアをノックしてから、「失礼します」とドアを開いて中に入った。


 室内は雑然としていた。机の上の資料の山が、今にも崩れそうになっているのが目に入った。


 その崩れそうな資料の向こうに、くしゃくしゃの頭が見えた。


「あ、電話した人?」


 声を掛けられて、山田は我に返って返事をした。


「は、はい! 山田やまだようです!」

「あー、良かったぁ」


 ほっとした口調で、白が立ち上がって、山田を資料越しに見た。


「なかなか応募者がいなくて、困ってたんだ。あ、そこに座って」


 そう言って、パーテーションで区切られた、唯一整頓されているソファに座るように勧められた。


 山田が遠慮がちにソファに腰掛けるのを見てから、棚にあるポットのお湯でインスタントコーヒーを入れた。コーヒーの入った紙コップを二つ、山田の前のテーブルに置く。


 向かいのソファに座り、「いやぁ、ほんと助かった」と、白が何度も呟いている。


 ニコニコ笑いながらコーヒーをすするシロ先生に一抹の不安を感じ、山田は恐る恐る言葉を掛けた。


「あのー……、面接は……」


 すると、白はもう面接は済んだと言わんばかりに、「採用」とだけ言った。


「コーヒー冷めちゃうよ?」

「はぁ……」


 山田は素直に紙コップを手に取ったが、本当に採用されたのか不安に駆られたのだった。

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