おわたい 第七話
「それは説の一つだよ。ただ、もっとわかりやすくて可能性が高い伝承があるんだ」
「それはなんですか?」
山田は白の明るい顔を眺めた。
事物に纏わる可能性が分かる
「山田君は
一応、記紀はどちらも読んではいるが細かくは覚えていない。素直にそれを告げると、堰を切ったように白が説明を始めた。
「田道間守という男が、垂仁天皇の命で常世の国に渡り、不老不死の実である『ときじくかくのこのみ』を持ち帰る話がある。同じように常世の国から不老不死の果実を持ち帰ることが、本来のおわたいじゃないかと思うんだ」
『ときじくかくのこのみ』とは一体どういう実なのだろうか。
「それとおわたいがどんな関係があるんですか?」
多分、白の頭の中で、どんどん展開していく考えが、大量のアドレナリンを噴出させているのか、楽しさを隠せないといった顔つきで、彼が答える。
「おわたいで持ち帰った、橘の実だよ! 『ときじくかくのこのみ』は橘の実なんだ」
やっと山田にも白の言っている意味が理解できた。
「不老不死……、それが“橘の宝玉”ですか」
「うん。しかも、日本だけでなく、世界中に同じような話があるんだ。例えば、北欧神話の黄金の林檎、仙女が催す
「御郷島から持ち帰ったのは『ときじくかくのこのみ』……」
「この考えを当てはめるならね」
吉宝神社に残っているのは、山田と白だけになった。おそらく他の村民は草津の葬式に参列しているのだろう。
さすがに空腹を覚えて、山田は自分たちが朝食を食べ損なっていることに気付いた。
「先生、その話は爽果さんの家に戻ってからしませんか」
白が腕時計を見て、ちょっと残念そうな顔をした。まだ喋り足りないのだろう。
「そうですね。とにかく、この説で符合することがたくさんあるので、戻ってノートにメモしないと」
ウキウキした足取りで、白がさっさと鳥居を潜り、西山へ向かい始めた。
山田は慌てて白の後ろについて行った。
こたつに潜り込み、熱い茶を飲んでいると、白が話を振ってきた。
「さっきの話の続きなんだけど」
何の話か思い出そうと記憶を辿っている山田の返事を待たずに、白が話し出した。ずっと話したくてうずうずしていたようだ。
「御郷島から持ち帰ったのは『ときじくかくのこのみ』なんだ。それは話したね。その橘の実は常世の国のもの。いわゆる神の食べ物だ。神の食べ物だからこそ、不老不死を人に
「それじゃあ、本当に不老不死になるのか分からないですよ」
「君が食べてみたら良いよ」
山田は「うっ」と言葉を失った。あの汚臭のする果実は口に入れたくない。到底、人が食べるものとも言いがたい。他の人が何も感じていないから、おそらくあの異臭を感じているのは自分だけだろうし、綿子が踏み潰したことにも何か意味があるのだろうし、とにかく口にしないことが吉だ。
「僕は遠慮します」
すると、食べてみたらと言ってのけた白が、あからさまに落胆した。
「先生、僕で人体実験するのはやめてください」
「そんなつもりはないよ」
「うそだ」と、山田は思いながら睨みつけた。
白は白々しく茶をすする。
「常世の国は海の彼方にあると信じられているのは知ってる?」
「そういうふうに解釈している研究者もいますね。先生もこの前言ってましたよね」
「うん。海の彼方の神の国、または理想郷と言う考え方は、沖縄のニライカナイと同じものじゃないかな。それを踏まえて考えると、昔、おわたいを考えた三宅村の人達は、常世の国である御郷島へ渡り、不老不死の果実を持ち帰る儀式をすることで、これからの豊漁を判じたんじゃないかな」
「内陸じゃいけなかったんですかね」
白が山田の言葉に笑う。
「山田君はしょっちゅう目にするものに対して想像を膨らませたりしないの? 山の側に住む人達は山に。川の側に住む人達は川に。海の側に住む人達は海に。君みたいに内陸に住む人達は住んでいる土地に。それぞれがそこに神が宿るんじゃないかと想像を膨らませる。天を見れば天に。目にするあらゆるものに神の存在を感じる。アニミズムの考え方だよね。昔の三宅村の人達は、海の彼方に理想郷である御郷島が存在していると信じた。御郷島へ舟で渡るときに、舟に清い少女を乗せたのは、乙女が巫女の役目を担っていたからかもしれない」
「男じゃ駄目だったんですか?」
「吉宝神社のご祭神を覚えてる? 今日祝詞を奏上してたときに、成継さんが言ってたよ」
「綿津見神ですね」
「海の神は女神と通俗的には言われてるけど、日本神話では男神であることが多い。巫女はその神を連れてくる役目を担っている。でも、舟で渡り、戻ってくるおわたいでは、
「でも帰すんでは?」
「そこなんだよね。なんで帰す必要があるんだろう。必ず帰すには理由があるはずなんだけど、とねさんも維継さんもその理由を知らなかった。あまりにも長く正式な形でのおわたいがおこなわれなかったことの弊害かもね」
そこに、颯実が籠に入れたみかんを持って来た。
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