第六章 不老不死の実

不老不死の実 第一話

 祭壇が片づけられた公民館に連れてこられて、山田達はおとなしく掃き出し窓の側の畳に座った。


 しばらくして引き戸が開かれ、健次郎が入ってきた。


悪いわりが、ほかいさあのこともある。穏便に済ませるこっができなくなった。ほかいさあに祟られたら、おい達は立ちゆかなくなるけなっからな。ここで生きて行くいっには、ほかいさあを怒らせたらいかんだ。せんせには悪いわりが、道連れになってもらう」


 そう言って、健次郎が外に合図をした。


 担架が二つ運び入れられる。毛布にくるまれた二人の遺体を、床に敷いたビニールシートの上に静かに降ろした。健次郎と担架を担いでいた六人の組合員がそそくさと外に出て、引き戸の鍵が閉められた。


 しばらくすると、車のエンジン音が響き、静かになった。


 息を潜めてじっとしていると、つくもが立ち上がって遺体の側に寄った。


 山田は白が何をしようとしているのか察知すると、止めようと声を掛けた。


「先生!」


 山田の言葉を、無視して毛布をめくる。


 興味本位に亡骸を晒すのは冒涜だと感じた山田は、白の肩を掴んで遺体から引き離そうとした。


「待って待って、ちょっと見て」


 肩を引かれて、上体を捩った白が、山田に遺体を示して見せた。


「なんですか……?」


 山田は白が指さす先を見てウッと息が詰まった。


 毛布を剥ぎ取られた成継と朔実の遺体の頭が、原形を留めず変形していた。微かに潮の匂いが漂ってくる。生臭い、魚の腐った臭いに似ていた。


「これ……」


 二体の亡骸の頭は、どう見ても魚だった。眉間が離れて、腫れて飛び出した両眼。顔に埋もれた鼻梁。分厚く横に間延びした口。耳まで裂けた口角。耳すら退化したように小さく、額も後退している。髪はほとんど抜け落ちてしまって、面影すら残っていない。


「これって……」


 言葉を失い、山田は呻いた。


「まるで魚だね」


 白が呟いた。


「なんで……」


 山田は三体の遺体から“橘の宝玉”を連想した。匂いがそっくりだった。


「うん……考えてたとおりだ」

「何がですか」


 万智も近寄ってきて、「ひっ」と悲鳴を上げ、「主人と同じ……。草津さんも……。二人ともこんなふうに」と震える声で呟いた。


「山田君。村の人達と振興会の人達の違いって分かる?」

「え?」


 思いも寄らないことを聞かれて、山田は間が抜けた返事をしてしまった。


「おわたいを推進してたとか、してないとか……」


 まるで、とても残念な子供を見る目で、白が山田を見た。


「おわたい振興会の中にも、やっぱり同じように違いがある。分かる?」


 なぞなぞのような質問に、山田は頭をひねる。


「分かりません」

「朔実さんがアナフィラキシーの話をしてたけど、まさにそんな感じだね」

「アレルギーですか……? アレルギー……、あっ」


 山田はアレルギーと聞いて、あることを思いだした。


「みかんアレルギー?」


 万智も短く声を出す。


「私と爽果のアレルギーが?」


 三宅村に来て、照男に勧められた“橘の宝玉”のことを思い出した。


 先生も山田も食べなかった。万智と爽果もアレルギーで食べなかった。とねも好き嫌いで同じように食べなかった。颯実に至っては“橘の宝玉”を食べる機会がなかった。


 照男は先だって正月の時に、おわたい振興会の人達と食べたと聞いた。山田達より早く三宅村に到着した野田教授も食べていた。


「“橘の宝玉”を、正月にみなさんに持て成す前に、照男さん、食べたんじゃないですか?」


 万智が記憶を辿るように眉を顰めて考え込む。


「多分……、収穫する前に味見をしてたはず」

「ですよねぇ……」


 白が同意した。


「まさか、みんながこんなふうになったのと“橘の宝玉”が関係してるって言うんですか?」


 山田は、“橘の宝玉”で、こうなったことがにわかには信じがたい。


「食べてみないと分からないことだけど、今はそれが一番しっくりくるんだ。発症すると言えばいいのか……頭が変容するまでの日数は人によって違うんだろうけど」

「どういうことですか? なんでみかんでこんなことになるんですか」


 白が悪いわけではないのに、山田は動揺して先生をなじった。


「まぁまぁ、落ち着いて」


 白がのんびりとのたまった。こんな異常事態なのに、何故平然としていられるのか、山田には信じられなかった。


「“橘の宝玉”は、千年前の橘の実から発芽して収穫された。もともと、その橘の実自体、実はこの世の人間が食べてはいけないものだったとは考えられないかい?」

「どういうことですか」


 白が、毛布を元通りに遺体に掛ける。


「田道間守は常世の国に行き、不老不死の橘の実を持ち帰る。その橘の実は常世の国の食べ物だ。ほら、ヨモツヘグイというのがあるだろ?」

「あの世のものを食べることですね。食べたらこの世に戻れないって言う」


 山田はイザナギとイザナミの話を思い出した。


「うん。もともと“橘の宝玉”は、常世の国の食べ物だから、この世の人間が食べてはいけなかったんだよ。この世で食べてしまった場合、何が起こるか分からない。変容したのは、御郷島に適した体になるためだろう。御郷島で食べたなら、変容しても生きていたんじゃないかな。その代わり、この世に人間として戻ることはできない」

「なんで魚みたいに変容するんですか」

「多分だけど……、御郷島は海の彼方にある楽園、常世の国、竜宮だと考えることができる。橘の実を食べた人間が魚のような姿に変わるなんて、まるで竜宮へ帰る為みたいに思わないかい?」


 白の推察は突拍子もないけれど、ここにある二体の遺体を見てしまったら、先生の推察を信じるしかない。


 それは万智も同じようだった。


「じゃあ、あの人は、人間が食べちゃいけないものを育ててしまったんですか?」


 白が万智を見返す。


「そうなりますね」


 万智がガックリと肩を落として、畳に突っ伏した。


 山田はずっとぼうっとしたまま黙っている爽果を見た。母親が泣き崩れているのに、何の反応もない。掃き出し窓から暗く沈んだ外を、じっと見つめている。


 白が、爽果へ顔を向け、静かに訊ねた。


「御郷島で橘の実を食べましたか?」


 それまで黙っていた爽果が、白を見やった。


 爽果の、感情ががれた表情に、山田は総毛立った。爽果が行方不明になった間、何を見て何を聞いたのか、計り知れなくて、それが爽果を変えてしまったような気がした。


 瞬間。


 バチンと音を立てて、電気が消えた。

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