第四話

 月明かりだけが暗澹たる海を照らしている。


 山田は、海に沈んでいった爽果のことを思った。いまだに信じられない。


「寒いね」


 つくもが呟いた。


 気がつけば、山田も寒さに震えていた。


「これからどうしようか。とにかく国道に行かないと、こちら側には道が無いから」


 二人で寒さを堪えながら、これからどうすべきか考え込んだ。


 そのとき、どこからともなく遠雷の音が聞こえてきた。


「雷?」


 山田が顔を上げると、あの夜の鬼哭が村中に響き渡った。心なしか空が赤黒く染まっている。すさまじい音が東山のほうからする。


 山田と白は顔を見合わせる。尋常でないことが村を襲ったと思った。


 二人は何が起こったのか確かめるべく、東山へ急いだ。




 西浜と西山の三叉路で、国道にいったん出る。このルートで東山や東浜の道へ入ることができた。


 轟音はまだ続いていた。村民の悲鳴も聞こえてくる。


 道が暗いせいか、逃げ惑う数人の村民は、山田達に気づきもしなかった。夜闇に紛れて東山へ向かおうとしたが、東山のみかん畑の上部、太陽光発電機の施設から下が、ごっそり土石流で消失していた。


 国道は土砂で塞がれ、唯一のライフラインが断たれていた。


 同時に東浜への道は家ごと流されて、がれきの山になっている。村の東側全域が土砂に埋もれてしまった。


 二人は事態に青ざめながら、中浜の道を走った。


 中浜も、家々が土砂になぎ倒されて柱がへし曲がり、倒壊している。


 土砂はそのまま海になだれ込み、中浜から港に出る道も埋もれてしまっていた。


 村は見る陰もなく、無惨にも変わり果てていた。


 生き残っている東浜の村民は、一人もいないように思えた。


「万智さん!」


 土石流を呆然と見つめていた山田が、我に返ったように声を上げた。


「先生、万智さんが公民館に!」

「行ってみよう」


 山田と白は、万智の安否を確認しに中浜の公民館へ急いだ。


 がれきを乗り越えてようやく公民館に辿りついたが、公民館は半分押し潰され、到底、万智が生きている可能性はないように思えた。


「そんな……」


 山田は愕然として、潰れた公民館を眺めるしかなかった。


 さっきまで生きていたのに。短期間で夫と子供を失った。そして今度は自分自身も。こんな惨いことがあってはいけない。


 山田は泣きそうになるのを堪えて、これからどうすべきか考える。


 あの鬼哭は土石流の前触れだったのだ。空が赤黒く見えたのはその前兆だったのかもしれない。


 三宅村の半分が今や土砂の下だ。


 生き残っている人がいるかどうか、今や分からなくなった。もはや、殺す殺される以前の問題になりつつある。山田は唯一無事だった西浜や西山を確認しなければと思い立った。


「先生」


 山田は白を見た。白も深刻な表情を浮かべている。


「とにかく、吉宝神社の維継さんに知らせないと」


 さすがに先生も逃げる選択肢が無くなってしまったと観念している様子だ。


「仕方ないね」


 二人は捕まる覚悟で、西浜の吉宝神社へ急いだ。


 漁港の道を左に曲がって、吉宝神社の一の鳥居を抜けようとしたとき、懐中電灯の光が前方に見えた。


 隠れる場所はない。


 山田と白は立ち止まって、懐中電灯を持った村民が来るのを待った。


 光に照らし出された山田達を見つけ、村民が寄ってきた。


「おまえら、爽果はどげんした?」

「爽果さんは海に落ちました。万智さんは……」


 山田は潰れた公民館を思い出して言葉が続かなかった。


「そうか……。じゃあ、爽果はほかい様に捧げられたもおんなしだな。てっきり土砂で死んだとおもちょった。こけここに何しに来た? いかなこてまさかほかいさあにあたわるさをしにっんじゃねじゃろな」


 訝しげな村民の声音に、山田は首を振る。


「ぼく達は維継さんの無事を確認しに来たんです」


 懐中電灯を向けられ、眩しくて彼らが何人いるのか、人相はどうなのかすら分からない。


 けれど、「先生! 山田さん!」という声に、山田はハッとした。


「万智さん!」


 生きていたのだ。それだけで山田はほっと胸をなで下ろした。


「とねさんと颯実もあとからほかい様に捧げる。いっばんさっ最初はおまえらからだ」


 安堵した矢先に村民から無情に告げられた。


 後ろ手に拘束され、腰にも綱をつけられて、白と万智と数珠繋ぎに引かれていく。


 漁港の西側は土石流から免れた、数隻の漁船が港に停泊している。


「どげんすっ。沖に連れっいって落とすっか?」

「そうだな。こけこっちに落として見つかったら怪しまれる。沖に行けば、潮に乗って太平洋側に流される」

たしけを呼ぼうにも、こっちは土石流に埋もれちょっし、どっちにしろ、海路しか残ってない。たしけをっならうんから隣町にっしかないな」


 村民がこそこそと話し合っている。万智がその内容を、山田と白に声を潜めて教えてくれる。


「沖に私達を落とすみたい。どうも国道が使えないから、助けを呼ぶのに漁船を使って隣町に行くつもりみたいですよ」


 白が、難しい顔をして囁く。


「困りましたね。手が使えないと、落とされたときに泳げません。じっとしていれば、人は自然に浮きますけど、冬の海ですから何時間も耐えるのは無理ですね」


 山田は綱で引っ張られながら、縛られた手をなんとか抜こうと動かしたが、漁師の使う結び方は固くて、全く歯が立たない。


 このまま冬の海に落とされたら、きっと心臓発作を起こすか、低体温症で死んでしまうだろう。


 死を覚悟するしかないのか……。山田は、綿子の魂を解放するという願いを達成できぬまま、死んでしまうことが酷く心残りだった。


 こういうときに限って綿子は姿を現さない。けれど、綿子が助けてくれると期待してはいけない。今まで綿子に助けられたことがあったか。たった一度、公民館で綿子が窓ガラスを割って助けてくれたかもと感じた、あのときだけだ。


 もうすぐ、綿子と本当の意味で会えるかもしれない。そのときに綿子は山田に何を伝えてくるだろう。死は怖いけれど、綿子に会えるならそれも良いだろう。何故自殺したのか、そのときに教えてもらえば良い。


 山田は肩を落とし、諦めきっていた。

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