第五話
「大丈夫、なんとかなりますよ」
綱を引かれて順々に漁船に乗り込み甲板に座らされた。誰も喋らない。冷たく凍える海風に、薄着の山田と白は鼻をすすりながら震えていた。
「山田君」
白が小さな声で耳打ちした。
「私達の足はありがたいことに自由だ。隙を見て転ばせることはできるかなぁ」
足の長い白なら、山田より前に出れば村民の一人に足を引っかけることもできそうだが、標準体型の山田では少し足の長さが足りない。しかも、山田、白、万智の順で数珠繋ぎになっている。思うとおりしたいなら、白を先頭にしなければいけない。
いくら白が多少体力に自信があっても、格闘技などに優れているわけではない。山田は体術どころか運動全般が得意でないと来ている。
エンジン音と波音で、漁船に乗り込んだ村民に、山田達のひそひそ声は耳に入らないようだ。結局、隙を見て、体当たりするのが良いだろうという話になった。
港の方向を見たが、村の明かりは全て消え、暗い山陰だけが、月明かりにうっすらと輪郭を見せている。村が今どのようになっているか全く知りようがなかった。
もうすぐ沖に出る。徐々にエンジン音が止み、漁船が停止した。波に揺られて、上下に漁船が揺れる。
「おい、立て」
綱を引っ張られて、山田達は立ち上がった。
「先生……!」
取り決めた合図と共に、山田と白が一緒になって村民にぶつかった。漁船が大きく揺れて、村民もろとも、山田達三人は海に投げ出された。
錐で刺されるような痛みが頭に走る。あまりの冷たさに意識が遠のく。山田は、必死で足をばたつかせて首を海面から出した。
けれど、白と万智の動きに引っ張られて、まともに浮いていられない。このままだと確実に三人とも溺れてしまうだろう。
そのとき、落ちた村民の絶叫が聞こえた。村民の様子を窺うような余裕はなかったが、耳にあの数え歌が聞こえてくる。
いちりっとかいででもっくぃちんがらびんたのほかいさあおんごっじまやちょんがめ
少女達の歌声と、歌の合間に高らかな笑い声が響く。漁船に乗った村民を海へと誘っている。
山田のすぐ隣で、美しい少女が、長い黒髪を波間に漂わせて、数え歌を歌っている。
にーりっとかいででもっくぃちんがらびんたのほかいさあおんごっじまやちょんがめ
あはははははははははは。
少女達の誘う声の合間にザブンと海に飛び込む音が聞こえる。
おいでよー。来てー。
さんりっとかいででもっくぃちんがらびんたのほかいさあおんごっじまやちょんがめ
きゃははははははははは。
早く。こっちに来てー。
断末魔が歌に合わせて聞こえてくる。
六つ目まで歌うとまた一つ目に戻る。六人の少女達が笑いながら、溺れている村民に群がっている。その中に爽果の姿はない。
美しい少女達が月明かりに照らされる。長い黒髪が、ゆらゆらと水面に揺らいでいる。首から下は、悍ましい灰色のサメの体だ。
艶然と微笑み歌う少女達の口元が大きく開かれて、海で足掻く男の肩にむしゃぶりついた。
何層も重なった鋭い牙を持つあぎとが耳まで裂け、光のない黒く塗りつぶしたような
ふらふらと誘われるままに海に飛び込む者、揺れる甲板に立っていられなくなって海に落ちていく者。全員が群がってくる少女達の餌食になった。
おいでよー。いっしょにあそぼうよー。
よんりっとかいででもっくぃちんがらびんたのほかいさあおんごっじまやちょんがめ
きゃあははははは。
何百年ものあいだ、首を土や岩の下に埋められ、封印されていた恨みを晴らすように、海に次々と落ちる村民達を、手当たり次第に鋭い歯で裂いた。
体を捩らせながら巨大なサメが六匹、人を四方八方から引き裂いていく。絶叫と血飛沫が海を染める。
山田はもうろうとする意識で、次は自分たちの番だと覚悟した。
遠い昔に三宅村で巫女として捧げられた少女達。御郷島で橘の実を食べて、人の世に戻ってきた。不老不死になり、御郷島に適した体に変容した。その彼女達が人を食らっている。大きなサメとなって、波間で翻って巨体を海面に打ち付ける。漁船は六匹の巨大なサメに襲われて、あっという間に転覆した。
人の肉を引きちぎって、むさぼり食らう様を、薄れていく意識の中で、山田は見ていた。
なんとか足をばたつかせていたが、次第にその力も弱まって、白達と共に海の底に沈んでいく。暗くて冷たい海の中へ。死へと近づいていく。
ぼやけていく視界に、長い黒髪が揺れている。海の中で山田と同じ目の高さに綿子が浮いていた。揺れる黒髪で顔が隠れて見えない。
「綿ちゃん、僕は死んじゃうみたいだ……」
山田は口からコポコポと空気を漏らしながら、何度も綿子の名前を呼んだ。
山田の氷のように冷え切った手を、綿子の手が握る。ゆっくりとゆっくりと、手を引かれるうちに、山田は気を失った。
打ち寄せては引いていく。足がひたひたと冷たい水に浸かっている。穏やかな波の音が鼓膜を打つ。
「寒……」
潮水でべたべたになった肌に、冷たい砂地が当たっている。体の芯まで凍える。息を吸って吐く。それを繰り返しているうちに、意識が次第にはっきりとし始めた。
閉じた瞼の裏に光が差し、瞼の血の色が透けて見えた。朝なのか、昼間なのか分からない。
確かに、山田は暗い海の底へと沈んでいった。それなのに浜に横たわっている。
ずぶ濡れの体は氷のようだ。歯の根が合わず、ガチガチと噛み鳴らした。
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