不老不死の実 第三話

「君達」


 つくもが、不気味な少女達に声を掛けた。一歩一歩、野生動物に近づくようにそっと近寄っていく。


 山田は白を見て、総毛立った。尾てい骨まで痺れて震える。とんでもないことをしようとしていると直感し、慌ててシロ先生の腕を取った。


「先生、行っちゃ駄目です!」


 少女達の無邪気な笑顔に魅入られたように、海へ行く足を止めようとしない。


 よろよろと海に入ろうとする白に、突然、爽果が飛びついた。


 爽果の顔を思わず見て、山田は息を飲んだ。


 瞳孔が開き、黒目が大きく虚ろだ。爽果が口を開くと、何層もの鋭い歯が見えた。面立ちは爽果のままなのに、どこかおかしい。

 

 山田は認めたくないという思いに心が揺れる。

 

 けれど、爽果の顎が外れそうなくらい大きく開かれた、獰猛なあぎとを見て、嫌でも思い知った。


 これは爽果ではない。得体の知れない何かだ。爽果は多分、あのおわたいの日に死んでしまったのだ。


 海に引きずり込もうと白の腕を引っ張る爽果の腹を、山田は夢中で蹴った。びくともしない爽果がなおも腕を引く。山田は爽果の手に爪を立てて離そうとした。


 爽果の手から血がにじむ。辺りに生臭い魚の臭いが漂う。


 怖気を我慢して、山田は力尽くで爽果の人差し指を握り、へし折った。その拍子に爽果の手が白の腕を放す。


 山田はその瞬間を見逃さず、思い切り爽果の体を蹴った。二回思いきり蹴ると、爽果の体がよろめき、そのまま頭から海に落ちた。


 爽果が海面に浮いてこないか、用心しながら覗き込むと、六人の少女の顔が海面に沈んだ。


 バシャンと音を立てて尾びれが海面を翻ると、そのまま見えなくなった。


 呆然とその様子を、山田は眺めていた。


 朝、漁港で漁師が話していた人面魚だ。白い少女の顔を持っている魚だった。


 白も我に返ったようで、海面を見つめて、突っ立っている。


「見た?」

「見ました」


 呆然と言葉を交わしたが、山田は爽果が海に落ちたことを思い出し、我に返った。


「みんなに爽果さんが海に落ちたって知らせないと」


 村に戻ろうとする山田の腕を取り、白が引き留めた。


「村に戻ったら、殺されちゃうよ?」

「でも」

「もう爽果さんは人間じゃないよ」


 白の言葉に、山田は息を飲んだ。


「元々、おわたいという民間信仰は、招福を願う儀式だったはずなんだ。きっかけがあったと思う。あれを見て」


 白が洞窟のほかい様を指差した。


「どうして穴を掘ったと思う? そこにが埋まってたからだよ」


 山田は震える声で訊ねる。


「何が?」

「ちんがらびんたのほかいさあ。幸を留め置く為に頭を封じてたんだ」

「頭……」


 村に知らせる気力を失い、山田は白を見上げた。


「そう、頭だ。六人の乙女の頭を埋めて、ほかい様としてこの地に留め置いた」

「何の為に……」

「ほかいびとは村々を言祝ことほぐ為にこの地を訪れた。村人はそのほかいびとを御郷島へ送り出し、代わりにまれびと神を招来するつもりだったんだろう」


「ちょっと待ってください。ほかいびととまれびと神の繋がりが分かりません」

「ごめんごめん、まれびと神とは神様だけじゃなく村を訪れる部外者も指して言うんだよ。ほかいびとはまれびとだった。そのまれびとを海の彼方にあるとされる常世の国、楽園または竜宮に送り込み、招福を願った。だから、本当は戻ってこなくて良かったんだよ。じゃないと『かえす』の意味が分からない」


 山田は白の言葉を何度も呟く。


「ほかいびとを御郷島に送る……? じゃあ、ほかい様は、ほかいびとのこと? と言うことは乙女とはほかいびと……」

「村人はまれびととして、ほかいびとの少女を乙女として御郷島に送った。合意なのかどうかは分からないけど、そうすれば、もっと幸が来ると信じたんだ。もしかすると、ほかいびと自身がまれびと神として振る舞っていたのかもしれない。だけど、ほかいびとが戻ってきてしまった。それも、御郷島にある不老不死の橘の実を持って。幸は確かにやってきたんだろうけど、禍も来た」


「村人が橘の実を食べた?」

「そうだと思う。記紀にも書かれている不老不死の実だ。そのことを知っただれかが食べたんだろうね。でも果実だけじゃなかった。戻ってきた乙女自身も禍の一つだったんじゃないかな? 彼女達は御郷島で橘の実を食べたんだと思う。御郷島は、言うなれば常世の国と同義だ。しかも常世の国は必ずしも楽園じゃない。常に夜の国——常夜の国、黄泉の国とも言われている。だから、不老不死の橘の実を食べた——ヨモツヘグイをした乙女は変容して不老不死の存在になった」


「どうして乙女でないといけなかったんですか? ほかいびとであれば誰でも良かったんじゃ?」

「いいかい、山田君」


 興奮して頬を上気させた白が早口でまくし立てた。


「前に乙女である必要性の話をしたと思う。巫女は処女でないと神と交信できない。神降ろしはたいてい巫女が担う。ちなみに海の彼方にあるとされている竜宮の主は誰だと思う?」

「綿津見神ですよね?」

「そう、吉宝神社のご祭神、綿津見神だ。巫女が神降ろしするのはその綿津見神だ。一説では綿津見神の巫女が豊玉姫だと言われている。豊玉姫は綿津見神の娘で、父である綿津見神を神降ろしする役目を担っていた。しかも巫女でないと御郷島に行けなかった。巫女だったから戻ってこれた。爽果さんのように。でも村人は戻ってくることを想定してなかったから、御郷島に『かえす』ことにしたんだ。禍だけをね」


 と言うことは、幸と禍、二つの面の一つをここに留め置いたというのか。それが頭ということなのか。


 山田は綿子のことを思う。


 ほかい様のように綿子の怨念を封じれば、元の綿子に戻れるんじゃないか。でも、それは肉体があったから出来ることだろう。綿子にはもう肉体が無い。ましてや、不老不死でもない。普通の人間は頭だけでは生きていけない。


「ここに残った幸は歌を唄った。不老不死だったからずっと唄い続けた。それが数え歌になった。封じたきっかけは掘り起こす人間がいたからかもしれない。封じるしかなくなって、石像を置いて注連縄で封印し、ほかい様は障ると言い伝えた。ほかい様の障りは方便うそなんだ」


 普通、幸を封じることなどないのでは。封じるなら禍だ。首だけでも充分に邪悪だったのかもしれない。だから……。


「神社を作り、祀りあげた上で封じたってことですか。怨霊を神に見立てて鎮めるように……。まるで御霊信仰ですね」

「今となっては、ほかい様と吉宝神社、どちらが先だったかは分からないけど、村人は、幸は欲しいが、禍は要らなかった。帰すんじゃなくて、必ず禍を『返す』だったんだよ」


「その禍が人面魚……なんですか?」

「封印を解いたのは、おそらく爽果さんだと思う。豊玉姫の本性はサメだと話したね。ほかい様と呼ばれた乙女達は、御郷島で橘の実を食べて変容した。人面魚は首だけだったから、サメの胴体が生えたのかもね。君はサメが人間の食べ物を食べると思うかい?」

「サメは魚を食べるんじゃないですか?」

「だけど、サメになった爽果さん達が人間と同じものを食べるとは、私は思わない」

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