第六話
目を開けると、側に
ゆっくりと体を起こして、自分の両手が自由になっているのに気がついた。
寒さで体の震えが止まらない。吐く息が白い。ここは天国なのか、それとも極寒地獄なのか。
呆然としている間に、白がもぞもぞと
白も意識がもうろうとしているようで、しばらく黙っていた。山田も唇がかじかんで喋られない。
気付くと白が海を見ている。釣られて山田も海を見た。
浜から少し離れた波間に、爽果の頭が浮いている。黒髪が海藻のように頬にへばりついている。
微笑みを浮かべ、爽果がこちらを見ていた。
「爽果さん、御郷島に帰らないといけないんじゃないですか?」
寒さに震える声で、白が問うた。
あはははははははは。
爽果が高笑いして、とぷんと海に沈んだ。
次の瞬間、激しい波飛沫と共に、巨大なサメの尾びれが
まもなく、隣町から自衛隊員と救護隊が乗った船が着港し、生き残ったけが人や村民を救助してくれた。
山田達も浜から本部が設置された西浜に連れてきてもらった。
万智が隊員に西山の家族の安否を聞いている。
「西山のご自宅は無事ですよ」
救護隊は手分けして無事な家屋の確認をしたのだろう。
万智は続けて、爽果を見なかったか、と訊ねた。
隊員が、「神社に避難場所を設置していますから、そちらにお尋ね下さい。まずは隣町の病院で診察してもらいましょう」と、万智に答えた。
救護隊員の言葉に従い、山田達は他の村民といっしょに船で隣町へ移動した。
生き残った村民は、昨夜、西浜で留守番をしていた年寄りばかりで、その数も少なかった。七十代以下の漁業組合員は土砂の下敷きになってしまったのかもしれない。今も捜索は続いているようだ。
山田達を沖に沈めようとしていた村民は、数少ない若手の男達で、万智を連れて神社に行っていたので助かったのだろうが、結局、あの得体の知れない存在に殺されてしまった。
病院では簡単な診察を受け、暖かい待合室に座って、三宅村にいったん引き返す船の知らせを受けるまで待った。さすがに、荷物を西山の家に置いた状態で福岡に帰ることはできない。
塩水に濡れた服も今は乾いていたが、肌は相変わらずベタベタとして、早く風呂に入りたい気分だ。
相変わらず鼻水が出るので、風邪をひいたかもしれない。同じように白も鼻をすすっている。いっしょに診察を受けた万智は高熱が出て、病院に一泊することになった。
ベッドに横になった万智に、白が声を掛ける。
「先に西山のお宅に戻って、我々は福岡に帰る予定です。お世話になりました」
「颯実に伝えておきます。短い間でしたけど……」
万智の微笑みには影があった。彼女は爽果がいなくなったことを知らな
い。
山田は爽果のことを打ち明けることができないのが苦しかった。真実を告げないほうが残された家族の為になることもある。
待合室で山田はぼそりと呟く。
「爽果さん……どこへ行っちゃったんでしょう」
白が小さな声で、「爽果さん達は無事に御郷島に帰ったのかな」と漏らした。
「どうしてですか」
白の言葉に山田は疑問を抱いた。
彼女達が御郷島に帰るほうが幸せだ、と考えているのだろうか。確かに人の世界では生きていくのは難しいかもしれない。
「爽果さんはもう人間ではなくなってしまった。”橘の宝玉”を食べたせいで、御郷島の存在になってしまったからね。多分、不老不死の果実を食べてしまったから、これから永遠に彼女達は生きる。それに、あの七人の乙女達は人に害をなす存在になってしまった。本当なら船に乗せて御郷島に返さないといけなかった。本来の姿——サメになった姿を見られた豊玉姫が竜宮に帰ったようにね」
白が少し寂しそうに言った。
三宅村の災害のニュースが、待合室の大きな液晶テレビで報道されている。
「鹿児島県南端にある三宅村で、大規模な土石流が発生し、多くの尊い命が奪われました。東山の中腹に設置された太陽光発電機の土台に、違法廃棄物が使用されていたことが原因だとされています」
山が半分崩れるほどの土石流は、太陽光発電機の会社と癒着した産廃業者の不法投棄によるものだった。設置した太陽光発電機に関わる会社と産廃業者が責任を問われることになりそうだ。被害に遭った東山の所有者は、あの夜、山崩れに遭い、家ごと流されて、遺体はいまだに見つかっていない。
あの災害でも無事だったのは、西山と西浜のみ。それでも生き残った村民の数はおおよそ人口の三分の一だった。
照男が変死したのを皮切りに、あとはドミノ倒しのように、たくさんの人達が亡くなった。もはや、すべてを目撃した者で生き残ったのは万智家族と吉宝神社の維継と成継の妻だけだ。
だから、村民が山田達を殺そうとしたことを、万智以外、知るものもいない。全ての真実が今や土砂の下に埋もれてしまった。
沖に流されて転覆した漁船からは、サメに襲われた漁師達の遺体が発見されたとも報道された。
複数のサメに襲われた。おそらく二メートル級の巨大なサメだろうと専門家が説明している。
山田は人の味を覚えたサメが、果たしておとなしく御郷島に戻るのだろうかと、疑っている。きっと、爽果達は、まだこの世界のどこかにいる。
それだけでない。
山田が海に沈んだときに、綿子が自分の手を引いていったことを、うっすらと記憶している。
今まで綿子が目の前に現れても、彼女がアクションを起こすことはなかった。三宅村でのことが引き金になって山田に関わりを持つようになったのだろう。
おわたいを中心に起こった事件、爽果が関わった非日常の出来事が、綿子に影響を及ぼしたのだろうか。
綿子は、今回、山田に何を伝えるつもりでいたのだろう。以前なら自分のことが憎いんじゃないかと、邪推していた。
「綿ちゃんは僕や先生達を助けてくれた……」
山田は、爽果のことをきっかけに、綿子が自分を助けてくれたと信じている。多分、山田に死んでほしくなかったのだろう。
中学二年の時、綿子の葬式に参列した。当時の山田は綿子が死んだ理由が分からなかった。葬式以来、惨い姿でずっと訴えていた綿子。凄惨な姿で現れながら、彼女は何を伝えたかったのだろう。
ずっと、母親を訪ねることもしなかった。何故しなかったのか。綿子の顔を見せてくれなかったことに腹を立てていたのだろうか。それとも自殺したことを認めたくなかったのか。
綿子は気が強くて明るい少女だったから、自殺するような性格ではなかったと思う。その綿子が怨霊と化して自分の前に現れた。
目をそらし続けて、綿子の惨い姿から逃げていた。
ニュースをぼんやりと眺めながら、山田は綿子の死と向き合う為に、福岡に帰ったら母親の家に行こうと心に決めた。
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