第六話

 翌日の七時に爽果が戻ってきて、朝食を作ってくれた。


 こんな時まで上げ膳据え膳なのが申し訳なくて、山田は自分でできることは自分ですると申し出た。


 通夜で徹夜をしたのか、爽果の目の下にはクマができている。きっと心が疲れ切っているはずなのに健気に弱々しく微笑んだ。


「お客さんだから。それにここコンビニもないし……。こうやってご飯作ったり何かしてると気が紛れるんです」


 葬儀は十一時からと告げて、爽果はまた公民館へ行ってしまった。


 朝食を食べてしまうと、十一時まですることがない。


 山田は荷物の側に膝を立てて座り、読みかけの文庫を開いた。


 つくもが昨日採集した情報をイヤホンで聞き直している。


 維継さんが教えてくれたおわたいとほかい様の話を、山田も思い返す。いまいちよく分からなかったが、白は理解できたのだろうか。


 レコーダーで聞き直している内容を、白がノートにまとめている。一体どんなことを書いているのか気になって、山田は白に話しかけた。


「先生、昨日の取材のメモですか?」


 聞こえていないのか、白に何度も呼びかけて、やっと顔を上げてくれた。


「え?」


 イヤホンを取って、山田に目を向ける。


「昨日の取材メモですか?」

「ああ。そうだよ」

「あのー、見せてもらっても良いですか?」


 断られるかもしれないが、山田はダメ元で聞いた。


「いいよ。字が汚いから読めるか分からないけど」


 快く承諾してもらえて、山田は白の側に這っていった。


 手渡されたノートには、乱暴に書き殴られた○と□などの記号、その中におわたいとか補陀落渡海とか昨日聞いた単語を書き留めてあった。たくさんの矢印も飛び交っている。


 正直言って、白にしか分からないメモ書きだ。


 山田はノートを返し、白に昨夜考えたことを話す。


「僕は、御郷島に渡って橘の果実を持って帰ってきた乙女が……、『吉宝年代記』に書いてあることを信じるなら、何故、幸を齎した乙女が、全員ほかい様として封印されたのが理解できないんです。封じられたのは本当に乙女なんでしょうか」


 白がため息をつく。


「そうだね。ただ、こういうふうにも解釈できる。ほかい様は乙女ではなくて乙女が連れ帰ったまれびと神を封じているかもしれない」

「神を封じてなんになるんですか? まがツ神だったんでしょうか。それなら、禍ツ神を帰せばいいだけじゃないですか?」


「神は、一面だけの存在じゃない。二面性がある。もしくはいろいろな顔を持っている。幸も禍も一緒くただったら、禍だけ分離させるのは難しいし、禍だけ封じるのも難しい。禍を齎すからと言って、まれびと神を御郷島に帰すときに幸も帰すことになったら、元も子もないだろう。欲しいのは幸だけなんだから。分離できないなら、両方をこの地に留めておこうと考えるのは安直かもしれない。乙女が戻ってきたら、五十年の豊漁が約束される、という口伝があった。でも、五十年も豊漁になるのは稀じゃないかな。多分長くて数年間豊漁だったことが、村人の成功体験として残ったんじゃないかなぁ」


「成功体験、ですか……?」

「今まさに、その成功体験が、三宅村を突き動かしてるじゃないか」

「おわたいで乙女が戻ってきたら村が豊かになる……」

「とねさんが歌ってくれた数え歌の内容、覚えてるかな?」

「はい……、いちりっとかいででもっくぃちんがらびんたのほかいさぁおんごっじまやちょんがめ、でしたっけ」


「照男さんが、分かるところだけ教えてくれたね。ででもっくぃはみかんを持ってくる。ちんがらはどうもめちゃくちゃという意味らしい。びんたのほかいさぁはほかい様の頭じゃないかな。どうして頭がめちゃくちゃなのかは分からないけど、もともとほかい様の頭のことを歌っているんだろうね」

「ほかい様の頭をどうしたんでしょう」

「石像の頭がどうかなったとか? まれびと神を石像に封じて、石像の頭を取ったとか?」


「頭を取る理由が分からないです」

「そうだねぇ……。もっと詳しく話ができる人がいたら良いんだけど……」

「村の記録を江戸時代まで遡って、町の資料館で調べるしかないんですかねぇ」

「そうなるかな……、これじゃ埒があかないし。まさか、口伝すら虫食い状態で伝わっているとは思わなかったよ」


 話し込んでいる間に約束の時間になった。


 十一時から葬儀なので、二人は喪服に着替えて、十時半に爽果の家を出た。




 通夜の時は沈鬱な空気が漂っていたが、昼間の葬儀では痛々しい雰囲気が軽くなったように、山田は感じた。ひと事だからそう感じるのかもしれない。


 弔問客が焼香をしている間、万智と爽果と爽果の兄が立ち上がって、頭を下げている。


 葬儀前に挨拶を交わした爽果の兄、颯実そうまは、前日の夜には隣町の旅館に到着していたらしい。


 村の大半の住民が葬儀にやってきたのが、人数で分かる。昨夜より明らかに椅子数も多いし、親族の椅子も埋まっている。


 親族以外の村民が焼香を始めた。車椅子に座った維継と、介助している成継。おわたい振興会の会員である青年団一同。順々に焼香を済ませていく。


 役場の草津も葬儀に来ていた。


 焼香の為に前に進み出た草津が、急に立ち止まった。


 その様子に気付いた爽果が顔を上げて草津を見た。


 爽果だけでなく、葬儀に来ている人間全員の視線が草津に集中した。

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