第五話
風呂から上がった山田は、爽果に声を掛けられて居間に案内された。こたつに当たる
こたつの上には年賀状が広がっていた。爽果が一枚一枚手に取って眺めている。
「ほかい様のこと、聞けました?」
昼間に果樹園で話したことを思い出したのか、爽果が訊ねた。
「あんまり」
「みんな、十五日のことで頭がいっぱいなんですよ」
「そうだね。おわたいのことのほうが気にかかっている感じだったですね。ほかい様はあまり関心ないみたいでした」
「おわたいとほかい様は切っても切り離せないのに」
爽果は年賀状を見ながら言った。
「切っても切り離せない?」
「そうですよ。昔、おばあちゃんが言ってましたけど、おわたいのあと、吉宝さんがほかい様の縄を替えて、みかんを供えるのが習わしなんですって」
「縄……。ちゃんと祀ってあるんですね」
山田の言葉に爽果が顔を上げた。
「どうだろう……ほかい様を縄でぐるぐる巻きにするんですって。お祀りって言うか、変わってるって言うか……」
「ぐるぐる巻きですか」
白が口を挟んだ。
「そうです。ほかい様を見て、子供心になんでだろうって思いましたもん」
「ふむ……」
白が口を尖らせて考え込んでいる。
しばし、沈黙が訪れる。
山田は、その沈黙を埋めようと、何気なく爽果に訊ねる。
「あの、爽果さん。爽果さんはなんで乙女役を引き受けたんですか?」
年賀状を見ていた爽果が、顔を上げて山田を見つめ、はにかむような笑みを浮かべた。
「そうだなぁ、お父さんの頼みだったからかな」
それを聞いて、爽果にとって父親はとても大きな影響力を持つ人だったんだな、と山田は感じた。
「でも不安じゃないんですか? だって、前のおわたいと全く違うわけだし」
「不安じゃない、は嘘だけど、ちょっとは、ね。でも、お父さんがおわたい復興の為にいろんな事をして、仲間を募って、やっと形になったんだよ。応援したいよね」
「おわたい振興会ですね。形になるのに一体どのくらいかかったんですか?」
「吉宝さんを説得して、種をもらって、だから……十年くらいかけたのかなぁ。国に補助金の申請出したり、それだけで結構何年もかかったし、一番大変だったのは、
山田は野田教授のことを思い浮かべた。
「野田教授ですか。一体どういうコネがあって、頼めたんですか」
「最初はJAの上の人に相談したらしいんだけど、千年前の種でしょ? みんな、嫌がっちゃって。失敗したくないじゃない。そしたら、福岡にみかんの研究してる先生がいるって聞いて」
「それで野田先生に。彼は柑橘類の研究に詳しいからね」
さっきまで考え込んでいた白が口を挟んだ。
「まさか、私がその大学に行くなんて考えてなかったですけど、そういう縁があって、福岡に出ようと思ったんです」
爽果が白に言った。
「よく、照男さん、反対しなかったですね」
爽果が苦笑いを浮かべる。
「うーん、多分、私がみかんアレルギーだからだと思います。母がアレルギーじゃないですか。これでも結構大変なんですよ。父もそれを見てるから、わたしにはみかん農家以外の人と結婚してほしかったみたいです」
山田は照男の複雑な感情を考えてみたが、父親が娘を思う気持ちに到底想像が及ばなかった。
「でも、みかん農家を継ぎたいって言ってましたよね?」
「うん、継ぐよ。お父さんがどれだけみかんを大切に大事に思ってるか知ってるもん」
言い切ってしまう爽果の笑顔が山田には眩しかった。父親を尊敬している爽果の目はキラキラと輝いていて、なんとなくうらやましくなって、自分の父親とどうしても比べてしまう。
「お父さん、わたしが小さい頃は、なんでも真似して口に入れたりするから、みかんというみかんを家の中に入れなかったりしたんだよね。おばあちゃんなんてみかん食べ過ぎてみかん嫌いなんだよ。家でみかん好きなの、お父さんだけでさ」
「とねさん、食べ過ぎで嫌いになったんだ……」
「何回聞いても笑っちゃうけど、私は気を遣うお父さんが可哀想で、隠れて、畑の小屋まで行って、みかん食べたの」
それを聞いて、山田は思わず声を上げた。
「え? でも、アレルギーじゃあ……」
「うん。私が引きつけ起こしてるところにお父さんが来て、もう大騒ぎになったらしいよ。病院で私が目を覚ましたら、お父さん、顔をくしゃくしゃにして、泣いてたって」
ふふ、と爽果が思い出し笑いをした。
「だから、そういうの見て育つとね、なんだか、みかん農家継ぎたいなって」
「そうなんですか……」
そんな過去があったから、爽果は父親の跡を継ぎたいという気持ちを強くしたのだろう。自分とは全く真反対だと、山田はそう考える自分を苦々しく思った。
「それで乙女役を引き受けたと」
白が呟いた。
「はい、それに、御郷島ってなんだか憧れませんか?」
山田は不思議に思って聞き返す。
「憧れる?」
「うん。誰も行ったことがない島だよ? 神様が住んでいる島だって、おばあちゃんに聞いてから、どんな島なんだろうっていつも考えてたから」
「でも、ただの言い伝えですよね? 本当に行った人はいるんですか?」
山田の意地悪な言葉に、爽果が可愛らしく頬を膨らませる。
「こう言うのってロマンじゃない。あるかもしれないし、ないかもしれない。でもあるって考えたら楽しくない?」
「そうですよね……、こういうのはロマンですよ。山田君には分からないかぁ」
白が山田をからかった。
「誰も行ったことがない島の話が言い伝えられることはないですよ。どこかに存在するかもしれないって考えもありますけど、近くの村や文献に、御郷島なんてオリジナリティのある島はないです。そうしたら、大昔にその島に行ったことがある人がいてもおかしくない。その人間が御郷島に行ったと伝えたから、口伝で残っているんだと考えたいですよね」
「そうですよね!」
爽果がわざとらしく大きな声で同意した。
「分かりましたよ……」
山田は閉口して、肩をすぼめた。
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