第九話

 朔実と別れ、西浜の吉宝神社へ、成継と向かった。


 道すがら、初日に成継が話していた、おわたいの舟を防波堤の陰にいったん引き船をして、そこからまたUターンして漁港に戻るのだと、という説明をもう一度された。


「だから、流されるなんて心配もないよ」


 安全第一に考えていると成継が話しているのを、爽果は黙って聞いている。


 爽果がそんなことを心配したりはしているとは思えない。これは亡き父の遺志なのだから、必ず成功させるだけだという顔つきでいる。


 成継と爽果の表情ははっきりと見えないが、隣を歩いている山田はチラチラと爽果を盗み見ては、そんなふうに感じた。


 吉宝神社の手前に建てられた成継の家に上がり、昨日、維継と話をした座敷に通された。


「さてと」


 全員が座に着くと、成継が明日のおわたいについて話し始めた。


「明日は六時におわたいを始めることになってる。前回のおわたいも朝早く始めたからそれに倣うことにしたんだ。さっきも説明したけど、乙女役には舟に乗ってもらって、漁船で曳いて、防波堤の陰に待機する。すぐ戻っても素っ気ないから、だいたい十五分くらい停船してそれからUターンすることになってる。ここまでで分からないことはある?」


 成継が爽果に訊ねた。


 爽果は首を振り、質問はないと答える。


「すみません」


 山田の隣に座っているシロ先生が口を挟んだ。


「なんでしょう」

「おわたいは成功したと思わせるんでしょうか? それとも形だけ?」

「成功したと思わせたいですね」

「じゃあ、“橘の宝玉“を持たせるんですか?」

「それは、引き船に積んでおく予定です。戻るときに持ってもらうことになってます」


「爽果さんに聞きましたが、おわたいが成功して御郷島から持ち帰った果実は、ほかい様に供えることになっているんだとか?」

「ああ、それも説明するつもりでした。舟から上がってもらった後、その脚でほかい様のところに行って、ほかい様をお祀りする儀式をおこないます」

「じゃあ、爽果さん一人で?」

「おわたいに関しては。一人でできないと判断したら、私に言ってくれれば、あとでやっておきます。ほかい様のお祀りは形式上のことですしね」


「注連縄を外して、新しい注連縄を巻くんですか?」

「そうですね。これは父が毎年旧正月にやってきたことですから」

「じゃあ、別におわたいに合わせて五十年ごとというわけじゃないんですね」

「そうです。ほかい様はこれまでは毎年お祀りしてますね」

「じゃあ、ほかい様の儀式はずっと変わらず同じ事をしていると?」

「そうですけど?」


 おわたいではなくほかい様の祀り方の話になって、成継が少し不機嫌になった。


「今はほかい様ではなくて、おわたいのことを話しています」


 深いため息をついて成継が続けた。


「おわたいの説明に戻りますね。さっきも言ったとおり、ほかい様をお祀りしたら、これでおわたいの儀式は終わり。ただし、ほかい様の儀式については従来通り、秘儀と言うことになっています。去年までは親父がおこなってたけど、脚を悪くして、とてもじゃないがあの岩場は危ないから」


 確かに維継では、あの足場の悪い岩場を歩くのは無理そうだ、と山田も思った。


「でも、今まで吉宝神社の神主がおこなっていたお祀りを、作法を知らない乙女役の爽果さんに任せるのに不安や心配は無いんですか?」


 つくもの質問に、成継が面倒臭そうにため息をついて答える。


「江戸時代におこなわれたおわたいの儀式では、乙女役がそれを引き受けていたんですよ。口伝ですから、みんなは知らないだけです」


 白は新しい情報に目を輝かせる。


「そうなんですね! やはり、ほかい様を連れてきた乙女の存在は重要なようですね。もしくは、ほかいと呼ばれた乙女を最初にあの場所に連れていったかも知れないですね」


 山田は、白の見解を聞きながら、『ほかい様のほかいは、ほかいびとのほかいと関連性があるのではないか』という白の推察を思い出した。


 言祝ことほぎと障り、その両面を持つ存在がほかい様なのだろう。さらに、ほかいという名の乙女が最初の乙女だったとしたら、ほかいが連れ戻ったのは、幸と禍の二面性を持つまれびと神だったのかもしれない。


 禍をもたらす面を持つまれびと神について思いをはせていたが、成継の言葉で我に返った。


「駄目です。秘儀と言われてますから」


 ふと、爽果が白を見つめていることに気付いた。


「先生、わたし、縄のこと注連縄だって言いましたっけ? 誰から聞いたんですか?」


 山田は「しまった」と、白を見た。


 白は悪びれもせずに答える。


「見たんですよ。六体の石像を注連縄でぐるぐる巻きにしてましたね」

「いつ見に行ったんですか」

「あれからすぐ」


 爽果がそれを聞いて深くため息をついた。呆れたようにシロ先生を見る。


「危ないって言いましたよね……」


 山田が慌てて間に入る。


「あ、でも、大丈夫でした。懐中電灯も持ってましたし、引き潮だったし」

「おかげで推測でしかなかったことがよく分かりました」

「まぁまぁ、ほかい様を見に行ったとしても触ったりしてないんだったら、障らないと思うから」


 成継が慌てて仲裁に入った。


「触ると良くないんですか」


 山田は冷や汗が出る思いで訊ねた。


「そういうふうに小さい頃言われてました。だから、この村でほかい様にいたずらする子供はいないんです。口が酸っぱくなるほど注意されるから」


 爽果が疑いの目で白を睨みつけた。


 たくさん触った……あまつさえ動かそうとした。山田は口が裂けても言えないと、黙りこくった。


 もしかすると、白が自分にお願いした、『私が危険な場所に行こうとしたら止めてね』というのは、『危険なことをしようとしたら止めてね』ということも含めてだったのだろうか。


 そう考え至って、じんわりと額に脂汗が浮かぶ。


 だから、白のアルバイトをした過去の学生が失踪したり事故に遭ったりするのだ、と確信した。なぜ、触った張本人に障りが行かず、アルバイトが災難を被るのかは謎だが。


「そうなんですねぇ。それで一体どんな障りがあるんですか?」


 当の本人は涼しい顔をして、さらに食いついてくる。


 迷惑そうに眉を顰めた成継が、ぶっきらぼう日答える。


「昔から、人死にが出たり怪我をしたりすると伝えられているんです。わたしも爽果ちゃんも幼い頃から耳にたこができるほど、言い聞かせられてきたんですよ」

「じゃあ、特に祟られたりした人はいないんですね」

「いますよ。みんな言うことを聞く人ばかりじゃない。祖父の代ではいたずらをした子供が骨を折ったとか聞かされました」

「爽果さんは、村の人で障りを受けた人を知ってますか?」

「うーん、わたしもおばあちゃんから聞いただけで、特には……。でも、あの音だけで充分怖いし、近づかないですよ」

「本当のところは障りがあるかどうかは分からないということですね」

「いたずらをしたら、分かりません」


 爽果が神妙な面持ちで釘を刺した。


 山田は、意気消沈して背中を丸めた。今度は絶対に止めよう。でないと命がいくつあっても足りなくなる。ほかい様の障りがいつ来るか分からないだけに、当分ビクビクしながら生活をしないといけないだろう。


「続きを話しても良いかな」


 成継が呆れ顔で言った。


「どうぞどうぞ」


 山田は慌てて話の続きを促した。


「基本中の基本だけど、過去のおわたい、明治時代からおこなわれたおわたいでは、藁舟に人型とみかんを乗せて海に流すだけだった。もちろん藁舟だから波に攫われるかして沈んでしまったと思うけど、今回は是非とも戻ってきて、手に“橘の宝玉”を持っててもらいたい。後のことは私達がやるので、練習通りにしていれば、爽果ちゃんがは心配することは何もないよ」

「あの、明治時代以前の口伝は他にも残っていますか?」


 維継にも聞いたことを、白はまた訊ねた。


「江戸時代のことですか? 先ほども言いましたとおり、そのときは乙女役を乗せて舟を流したと聞いてます。戻って来たとも伝わってないので、沖に流されてしまったんでしょうね。当時、なぜ、乙女にこだわったんでしょうか。何も乗せずに舟だけ流す選択だってあったでしょう」


 成継が眉を下げた。


「それは分かりません。親父もそう言ったと思いますけど、本来、乙女を乗せないとおわたいではないんです」

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