第二話

 まだ心が通じ合っているのか、それは謎だが、綿子は怨霊になったのだ、と腑に落ちた。


 非業の死を遂げた人が怨霊になるらしい。


 もし、恨みの念を抱いて怨霊と化し、成仏できないのならば、自分が成仏させれば良いのではないか。


 けれど、山田自身に霊感などない。綿子の言いたいことを理解するだけの何かが足りない。


 思考錯誤しているうちに、怨霊信仰や御霊信仰のことを知った。心霊に関する心理学にも行き着いた。


 霊感がないならば、山田にできることをしてあげるしかない。


 そう思うから、山田は文化人類学部のある、大学に進んだのだ。


 けれど、本当に大事な部分。綿子の死に対して山田は目をそらしていた。


 綿子を怨霊にした何か。何が綿子の身に起こったのか。それから目をそらして、正面から向き合ってこなかった。


 死の原因を探れば、綿子の自殺した理由、怨霊になってしまった原因が分かるのではないか。


 綿子に尋ねて教えてもらえなかったら、自分で調べれば良いだけのことだった。


 降車する駅に着き、山田はホームに立った。


 駅から十五分ほど歩くと母親のマンションに着いた。


 二十階建ての高層マンションの八階に部屋がある。エレベーターで八階まで行き、角部屋のインターホンを鳴らした。


 事前に行くと伝えていたので、母親がすぐに出て、部屋に招き入れてくれた。


「久しぶり。元気にしてた?」


 母親が穏やかな笑顔を浮かべた。


 電話で綿子の遺品を見せてほしいと告げたとき、母親は沈んだ声で、「良いけど、昔見たとおり、何もないわよ」と言った。


 何もないというのは、遺書が無いという意味だ。だから、山田は遺品が見たいだけと伝えたのだ。


「お母さんは?」


 元気よ、と母親が答える。


 お互い嫌いではないし、普通に過ごせるが、綿子に似た面差しの山田を見ると気が滅入るのだろう、母親と会うのは久しぶりだった。


 綿子の死をいまだに受け入れていないことが、綿子の遺品の整理が途中で止まっていることで計り知れる。


 山田は、母親が見ている側で、引き出しを開けたり、本棚から本を一冊ずつ出して、何か手掛かりがないか探した。


 綿子は読書が好きだった。本棚には様々なジャンルの文庫が詰まっている。一冊一冊見ていくと、綿子が何を思って本を読んでいたか、感じられた。


 段の下のほうには大判の絵本が差してある。何度も読んだのか絵本の端々がすり切れている。


 スッと抜き出して表紙を見ると、それは小さな頃、綿子と二人でよく読んでいたお気に入りの絵本だった。懐かしさが込み上げてきて、絵本を広げて読んだ。


 ペラペラとゆっくりページを繰る。そのたびに綿子とどんな思いでこの絵本を読んでいたか思い出されて、胸が熱くなった。


 最後のページをめくるとき、もう終わりかと名残惜しくなったが、白紙が挟み込まれているのを見つけた。


 山田は不思議そうに紙を持ち、裏と表を確かめる。何も書かれていない。何も書かれていない紙が、思い出の絵本に挟まれていることを不可解に思った。


 じっと紙を眺めていると、母親が、「それがどうかした?」と聞いてきた。


 何故か、白い紙が心に引っかかる。


 この絵本を夢中になって読んでいた時期、綿子と山田はあるゲームに嵌まっていた。


 三宅村で、爽果が、毎年炙り出しの年賀状をいとこの女の子がくれる、と言っていたのを思い出した。


 同じように、山田も綿子とその遊びに嵌まっていたのだ。


 もしかすると。


「お母さん、ちょっとコンロ借りていい?」


 急にコンロを貸してと言われて、面食らっていたが、「いいけど、何をするの?」と白い紙を覗き見る。


「炙り出しだよ。多分」

「炙り出し……、そういえば昔、あなた達、そういう遊びをしてたわね」

「もしかすると、綿ちゃんのメッセージが書いてあるかも」


 山田は台所のコンロで、慎重に炙り出してみた。


 思った通り、年月が経ちすぎて薄いけれど、ちゃんと文字が浮き出てきたのだ。


「お母さん、羊ちゃん、ごめんなさい。ベッドの日記を***て」


 母親は、浮き上がってきた文字列を眺めて、静かに泣いた。


「日記を」に続く文字はにじんでしまっていて読めない。


 早速、山田と母親は、放置されていた綿子のベッドのマットレスを外してみた。マットレスの下にはなかったが、ベッド下の引き出しも外して奥を見てみたら、本のようなものが見つかった。


 取り外して手元でよく見てみる。


 鍵付きの空色の日記帳だった。


「こんなのがあったなんて……」


 母親が驚いて呟いた。


「ねぇ、お母さん。この日記帳、貸してくれる?」

「え? ええ、それは良いけど……」


 この日記に綿子の自殺の原因がきっと書かれてある。でなければこれほど厳重に隠したりしないだろう。


 山田は、母親としばらく過ごした後、日記を持ってマンションを出た。




 その日記帳が今、山田の手の中にある。


 日記自体はB6くらいの大きさ。銅かアルミ製の錠には、金メッキの装飾が施されている。それが本に取り付けられ、鍵をかけることができる。けれど、肝心の鍵が無い。


 メッセージの後半はにじんでいて読めなかったけれど、多分「***見つけて」なのだと思った。綿子は何故、「日記を見つけて」と残したのだろう。


 鍵が無いなら仕方ないと、百円ショップで買った釘抜きやドライバーを取り出し、錠に梃子てこの要領でドライバーを差し込んだ。


 柔らかな金属はあっけなく歪んで、日記から外れた。


 一つ一つこなしていく毎に、山田の中で達成感があった。あと少しで綿子の自殺の原因が分かる。


 ページをめくると、一ページ目には日付が書いてあるだけで、白紙だった。


「え?」


 きっと綿子が自殺するだけの理由が日記に書かれているはずだと思い込んでいた。


 次のページもそのまた次のページも白紙で、日付だけが書いてある。


 まさか、また炙り出しなんだろうか。


 おそらく最後のページまで、綿子は誰にも見せたくなくて、炙り出しでしか読めない日記を書いたのかもしれない。


 多分、どこかにライターがあるはずだ。


 山田は部屋に日記を置いたまま、電話台にしまってあるライターを探しに行った。

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