第三章

第一話

 バタバタと廊下を走る音と、慌てふためく爽果と万智の声で、山田は目を覚ました。


 枕元のスマホで時刻を確認すると、朝の六時だった。


 隣を見ると、すでにつくもは起きていて、シャツにベストセーターを着て座っていた。布団も丁寧に畳んで片隅に置いてある。


「お、おはようございます!」


 山田は慌てて起き上がって布団から出た。


「おはよう。なんか大変なことになってそうだよ」


 どうやら白はずいぶん前に目を覚まして待機していたようだ。


 いきなり、ふすまが開けられて、爽果が真っ青な顔をして入ってきた。


「先生、すみません……。父が……っ」


 よく見てみると目元が真っ赤になっている。


 泣いているのか、と山田はドキリとした。照男に関係する、何か恐ろしいことが起きたのか? と、山田は恐る恐る訊ねる。


「何かあったんですか」


 爽果の顔がぎゅっと顰められた。


「父が、死んでて……朝、起こしに行ったら……寝てると思ったら」


 それを聞いて山田は心の底から驚いた。


「照男さん、亡くなった?」

「病院と警察には?」


 白が落ち着いた声音で訊ねた。


「連絡しました。もうすぐ振興会の人も来ると思います……」


 山田を振り返り、いつになく急かしだす。


「山田君、急いで着替えて」


 山田は慌てて枕元に置いておいた服を掴んだ。


「わたし、母のところに行ってます」


 爽果がふすまを閉めたのを見てから、山田はパジャマを脱いで着替えた。


 表に出て、手伝えば良いのか、こうして呼ばれるまで待てば良いのか、山田が迷っていると、白が立ち上がって廊下を覗いた。


 連絡を全て終えてしまったのか、今度は恐ろしく静かになった。


 山田もふすまの隙間から顔を出して、様子を窺う。


 家人がどうしているかも分からないのに、のんびりと過ごして良いのか、山田が迷っていると、白に、「とりあえず、誰か来るまではこのまま待機していようか」と言われた。


 いつでも手伝えるように、荷物を手早くまとめ、畳んだ布団を部屋の片隅に寄せる。


「それにしても亡くなったって……」


 山田の言葉に白も困惑顔で応える。


「そうだね。朝、気付かれたみたいだから、もしかすると昨晩にはもう……」


 廊下をペタペタと足音が近づいてくる。


 誰だろうと、山田が膝を畳に擦りながらふすまを開けて廊下を見た。


 憔悴した顔つきの万智が、こちらにやってきて、山田に気付くと声を掛けてきた。


「すみません、バタバタうるさかったでしょう? ご飯の準備出来てますから食べてください」

「でも……」


 山田が躊躇していると、白が静かに答える。


「すみません。あの、照男さんは?」

「寝室に寝かせてます。朝ご飯ができたと呼び行ったときには……もう……」


 最後の言葉に嗚咽が混じり、万智の目に涙が盛り上がった。


「万智さんは照男さんの側にいてください。お言葉に甘えて、食事をとらせていただきますね」


 涙を拭いながら、万智はこくりと頷く。


「何かあったらお呼びしますね」


 二人は万智が教えてくれたダイニングに入っていくと、確かに朝食がテーブルの上に配膳してあった。


 六人分の手つかずの朝食は、すでに冷めているようだった。


 客用の箸と茶碗が置いてある席に座る。到底、食事をする雰囲気ではない。


 死が、この家にやってきて照男の魂を奪っていった、と少なからず山田は衝撃を受けていた。


 箸を持つ気にもなれずぼんやりしていると、白が炊飯器から飯を茶碗によそって、朝食を食べ始めた。


「え」


 こんな状況で飯が食えるのか、と山田は驚きながら、白を見た。


「こんな時に何してるんですか」

「ご飯食べてます」


 目玉焼きに醤油を掛けて米と一緒に咀嚼している。


「でも……」

「だから食べてます。多分お昼食べられないかもしれないよ」


 白の神経は思っていたよりも図太かった。無神経だ。


 山田は呆れた目つきで白を睨みつける。


「うん、こういうことはよくありうるよ。で、ご家族が亡くなってしまったら、人は余裕なんてなくなる。こういうときは食べられる人間が食べて、ご家族が疲れたときに代わりに動けば良いんだよ。特に、病気でも何でもない方が急死したらね」


 山田は食べたい気持ちも空腹感も引っ込んでいた。


 米を一粒残さずに完食して、「ごちそうさまでした」と白が手を合わせている。


 まもなく玄関が開かれて、どやどやと振興会の人達が家に上がってきた。


「万智はん、爽果ちゃん! だいじょっ大丈夫か?」


 すると、奥の方からタタタと足音を立てて、爽果が走ってきた。


「朔実さん、お父さんが……! あと、警察と救急車呼んでます」

「救急車が来るの、せかもしれんから、準備だけしてくれ」


 おそらく、照男に付き添って家を出ることになると言いたいのだろう。


 山田は椅子から立ち上がって、何かできないかそわそわした。


「あの、ぼく達に何かできることはありますか?」


 爽果が弱々しく笑いかける。


「大丈夫。先生達はゆっくりしてて下さい」


 ゆっくりも何も、人が亡くなったのだから、そんなふうに悠長に他人事でいられない。


「でも……」


 朔実が会話に入ってきて、優しげな笑顔を向けた。


「まぁまぁ、おきゃっさあ客様じゃっで、ゆっくいなさってたもし。どっちにしてもきゅ今日は一日せわしじゃっで。とねさんもうちに来てもらうし」

「じゃあ、お邪魔にならないようにしますね」


 そうしてくれ、とでも言いたげな目で、朔実が白と山田を見つめたあと、青年団員を一人連れて、奥の寝室へ向かっていった。


 山田がモヤモヤとした割り切れない気分で立っていると、白にこっちに来てと肩を叩かれた。


 居間に入り、こたつの電気を付ける。


 二人で卓上に置いてある急須にお湯を入れて、出がらしの茶を湯飲みに注いで飲んだ。


 お湯の味しかしない。


「多分一日このままだと思うよ。葬儀屋が来たら、少しだけ余裕ができるかもしれないけど、私達の世話なんて焼いてる場合じゃないからね」

「でも」

「はっきり言うと、こういう大変なときに私達、部外者は邪魔なんだ。特にこういう村では彼らのやり方がある。そのやり方を知らない私達は、むしろいないほうがいいんだ」


 ごねる山田を、白が強めの口調でなだめた。

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