第四章 おわたい

おわたい 第一話

 翌、十五日の四時半。


 まだ明けやらぬ濃い灰色の空の下、おわたいを見届けようと山田とシロ先生は爽果と共に起きた。


 簡単に食事を済ませてから、爽果に付いて吉宝さんへの道を辿る。


 爽果が成継さんに言われて、“橘の宝玉”を紙袋に入れて持って来ている。


「それ、おわたいをするときに持って行くんですか?」


 つくもが爽果に訊ねた。


「わたしじゃなくて、引き船のスタッフの人に渡しておいて、防波堤の陰に入ったら受け取ることになってます」


 ふむ、と白が考え込んでいる。


「で、そのみかんをほかい様にお供えすると言うことですね」

「御郷島に渡るなんて、昔話ですからね。こういうふうに昔もやってたんじゃないですか?」

「昔は“橘の宝玉”はなかったんじゃ?」


 山田は会話に加わり、紙袋を指さした。


「三宅はみかんの産地だから。昔の人は、柑橘類なら何でもいいと考えたんじゃないかな」


 爽果の言葉に、山田は妙に納得した。


「それに、本当におわたいをするわけじゃないから。おわたいのまねごと。何も起こりません」


 爽果が笑ってみせた。


「緊張してる?」


 無理に笑ってないか心配になって、山田は訊ねた。


「うーん、してないかって言われたら嘘になるけど、父だったらこの村の為になるなら、何を言われても復興させるって思っただろうって……」


 それがお父さんへの最後の親孝行だから……、と爽果が呟いた。


「複雑だね……」


 掛ける言葉がなくて、山田は口ごもる。


「心配しなくても良いよ。舟に乗ってみかん持って戻ってくるだけだし。あとは、ほかい様のところへ行って、“橘の宝玉”を供えるだけ」


 たったこれだけ、簡単だから、と爽果が笑う。


 無理に明るくしている感じがして、山田は爽果の横顔を見つめた。


 父を亡くして、目の前で草津が変死し、山田自身もショックを隠せない出来事が続いた。


 それなのに、何事もなかったようにおわたいの乙女役を任されて、心は穏やかではないだろう。


 爽果が健気に頑張っている姿を目にすると、成功してほしいという気持ちが強くなった。


 白が坂道を下りながら海を見ている。木々の枝の間から、太平洋が望める。


「本当なら、あの向こうまで行くはずなんですね……。御郷島へ渡る条件がなんなのか分からないですが……」


 山田はぼんやりと海を眺める白を見やる。


「先生、本当に流されたら、親潮に乗って流されるって照男さんが言ってたじゃないですか。御郷島に辿り着く前に遭難しますって」

「普通はね」


 まるで、御郷島が本当に存在するかのように白がにやりと笑った。


「おわたいを何度も繰り返したのは、成功体験があったからだよ。でなかったらこんなに長く続いてないだろう。だいたい、戻ってくること自体、奇跡に近い。おそらく、おわたいの舟には自力で漕ぐ道具は一切ないからね。潮に乗ったらそのまま沖に流される」


 山田はそれを想像して不安になる。


「こう言うときにそんなこと言わないでください。もしも、何かあったとき、怖いじゃないですか」

「山田君は怖がりだなぁ」


 すると、爽果もクスクスと含み笑った。


「大丈夫。漁港から防波堤まで五十メートルくらいしか離れてないんだもの。遭難しようがないってば」

「そうですけど……」

「なんか、山田君が乙女になったみたいじゃない」

「あはは、本当だね」


 山田は爽果にも笑われて、気まずくなり、そっぽを向いた。




 吉宝神社に着くと、すでに成継と維継が待っていた。もう一度、おわたいの内容を復習して、乙女の誂えの衣装を身につけた。


 朔実や他のおわたい振興会の人達は、漁港で会場の準備を始めているそうだった。この日の為に屋台の準備もしたらしく、町内会の婦人部もてんやわんやらしい。


 まだ一回目と言うこともあって、テキ屋などには頼まずに、村のアットホームな雰囲気を前面に出すという計画だそうだ。


「今、五時半だからそろそろ移動だ。すぐに舟にスタンバイしてもらうことになる」


 衣冠姿の成継がそう言って、十二単のような衣装で歩きにくそうにしている爽果の手を取った。


 維継も車椅子で後に続く。


 こうして見ると、本当に厳かな雰囲気が醸し出される。


 まるで昔からこんなふうにおわたいをおこなっていたような、不思議な感覚に陥った。


 漁港の敷地にロープを張って、観客席と会場の区別をしている。爽果達は会場の中に入った。すでに数人、カメラやスマホを構えた観光客がいて、遠目から爽果達を写真に収めている。


 それっぽいひな壇があり、赤い毛氈もうせんが敷かれてある。脇には、狩衣姿に和楽器を持った青年団が控えていて、音合わせをしていた。


 控え室の代わりに、御簾が掛けられたテントがあって、爽果達はいったんその中で待機することになった。


 観光客が次第に増え、漁港に準備した駐車場が一杯になっていく。


 時刻はすでに六時を回っていた。


 太平洋の水平線がまばゆく煌めき、朝日が顔を出した。朱色にたなびく東雲しののめをかき消すほど、太陽が輝いている。


 おわたいの舟が、防波堤の陰から現れた。五色の布と鈴が垂れる屋形船のような形をしている。


 観光客が朝日に照らされて煌めいて見える舟に歓声を上げて迎え入れた。


 それと同時にこの日の為に練習したであろう雅楽の曲を青年団が演奏し始め、テントから成継と爽果が現れた。


 朝日を背にしているせいで、後光が差しているように眩しい。


 爽果が頭にかぶっている金色の飾り物が揺れる度に、キラキラと美しく光った。


 成継と爽果が朝日に向かう。


 曲が太鼓の音に変わり、成継と爽果が二礼二拍手一礼を行い、この日の為に準備した祝詞を成継が唱えた。


「へぇ、凝ってるね」


 村おこしの為に創作した祭りでも、長く計画していたことが分かる。


 祝詞を奏上し終えると、しずしずと爽果が舟に乗り移った。


 今度は観客のほうを向いて、布のかかった屋根の下に座る。


 舟に結ばれた綱を、小型漁船が曳いた。ゆっくりとおわたいの舟が動き出す。


「朝日がいい演出をしてるね」


 白が感心したように呟いた。


 悔しいけれど、山田もそう思った。


 恐ろしいほど美しくて、畏怖を感じさせた。これが創作のおわたいだとしても、朝日が神聖さを引き出している。

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