おわたい 第九話

 暖かな部屋の掃き出し窓は、外との温度差で結露している。窓ガラスの向こうの冬枯れた庭を鶏が右に左に行き交うのが見える。


 テレビが昼のワイドショーを流している。テレビの音とこたつの暖かさが心地良いのか、とねがうつらうつらしている。


 颯実そうまの切ってくれた無骨な形のりんごが、深皿に盛り付けられてこたつの上にある。


 先生が考え込みながらノートを付けていて、山田はそれを眺めてぼんやりとしていた。


 廊下から、ゆっくりと歩くスリッパの音が聞こえてきた。


 山田はなんとなく気になって顔を上げると、廊下を爽果が通り過ぎた。


「爽果さん」


 休んでいるのではなかったのかと驚いて、山田は爽果を呼び止めた。


 爽果がくるりと山田を振り返る。


「山田君。ちょっと、わたし、出掛けてくる」


 元気なく黙り込んでいた爽果とは見違えるほど、言動がしっかりしている。


 爽果が起きてきたことに気付いた万智も、台所から廊下に出てきて声を上げる。


「爽果、あんた、ちゃんと休んでなさい!」

「ううん、おわたいの最後のお祀り、やってないでしょ? あれやんないと」


 山田が立ち上がるより早く、つくもが立ち上がる。


「ついて行きますよ。一人じゃ危ないから」


 白が、あわよくば秘儀であるほかい様のお祀りを見ようと思っているのが、山田には透けて見えた。


「先生が行くなら、僕もついて行きます」

「駄目です」


 先ほどまで我ここにあらずという様子だったにもかかわらず、爽果がはっきりとした意思を込めて断ってきた。


 けれど、万智が爽果の腕を強く手に取り、外に出すまいとする。


「私は反対。行くなら明日にしなさい。そうよ、ほかい様のことは成継さんに任せなさい。あんたがわざわざ行かなくてもいいから」

「そういうわけにはいかないの。乙女としての役割なんだよ。むしろ、成継さんは必要ない。わたしだけでやんないといけないの」


 頑なに爽果が言いつのる。


「それに、お父さんとわたしは乙女をやるって約束したんだよ。それは最後までしっかりやれって意味じゃないの。おわたいが成功したなら、お父さんは最後まで責任持ってやれって言うんじゃない?」


 万智が照男のことを引き合いに出されて怯む。それを見逃さず、爽果が続ける。


「ほら、お母さんだって、お父さんの遺志を大事にしたいって、本当は思ってるじゃない。私もお父さんとの約束を守りたいから乙女を引き受けたんだから、ちゃんとほかい様のお祀りをしておわたいを終わらせたい」


 万智は不服そうに唸ると、やがて諦めたように大きなため息をついた。


「吉宝さんに電話する。それでいいって言われたら行きなさい。でも吉宝さんまで、お母さん、付いていくから」


 納得できたのか、爽果もそれ以上言い返すこともなく、万智が吉宝さんに電話するのを横で見ていた。


 山田は、おわたいの乙女役を照男に頼まれたと、爽果が話していたのを思い出す。亡き父の遺志を引き継いだのは父親への最後の親孝行なのだと、強い意志で決意していた。


 白にも視線を送る。爽果の頑なな態度に興味を持っている様子だ。成継がどう答えるのか知りたいようだった。


 万智が爽果の言い分を成継に伝えると、電話越しからでも良く聞こえる声で成継が答えた。


『ああ、そうだった。爽果さんに問題がないようでしたら、ほかい様のお祀りをお任せしますよ。“橘の宝玉”を持って来てもらえたら』


 今年は、三宅ミネラルみかんではなく、“橘の宝玉”をお備えに使用するつもりらしい。


 白が、万智に話しかける。


「今回爽果さんが持ち帰った橘の実は? あのまま奉納するんですか。ほかい様にお供えしなくても良いんですか?」


 白の声が聞こえたのか、万智を通して、成継が言った。


『同じ物ですから、問題ないでしょう。“橘の宝玉”だっておわたいで持ち帰った橘の実ですから』


 万智が納得いかないという様子で電話を切った。


「やっぱり吉宝さんまで、車で送る」


 万智が断固として譲らないので、結局、爽果に“橘の宝玉”を六個持たせて、山田と白もいっしょに軽自動車に乗せると、西浜の外れにある吉宝神社まで連れていってくれた。


 爽果と山田達は、吉宝神社の一の鳥居を潜り、成継がいる作務所に向かった。


 作務所の引き戸を開けると、もったりとした暖気が流れ出てきた。三人は急いで中に入る。


「すみません」


 山田が声を掛けると、目の前のドアが開いて、成継が顔を出した。


「待ってたよ。注連縄しめなわ祝詞のりととこれがお供え物を置く三方さんぽうね」


 それぞれを二つの紙袋に入れて山田に手渡してくれた。結構重たくて、山田は思わず「重っ」と呟いた。


 それを聞いた成継が爽果を見る。


「一人で持って行けるかい?」

「大丈夫です。これを教えてもらったとおりにお祀りすれば良いですね」


 爽果の言葉に成継が頷く。


「今日は晴れてて良かった。それにしても、大丈夫かい? 体の調子は」


 まるで何事もなかったように、爽果が笑顔で答える。


「大丈夫です。今朝は疲れてただけですし。少し休んだら疲れが取れました」


 山田が本当にそうなのかと危惧して、爽果を見つめていると、シロ先生が爽果の後ろから話しかける。


「一人で持って行ける? 私も手伝おうか?」

「いえ、わたし一人で大丈夫です。心配は要りません」


 かなりきっぱりと言われて、さすがに白もしつこくできないようで口を閉じた。


 つまらなさそうに白が先に作務所から出た。


 吉宝神社の裏手まで、成継が送ってくれる。


 赤と白の縞模様のパイロンを退けて、紙袋を持った爽果が岩場に降りた。


「気をつけて」


 成継と白が声を掛けた。


 山田は崖の洞窟へ歩いていく爽果を、心配と不安の入り混じった気持ちで見送った。


 岩場はかなり起伏が激しい為、爽果の向かう先は岩に隠れて見えない。やがて爽果の姿も岩場の先に見えなくなった。


「これでおわたいも無事に終わりましたね」


 心なしか表情を明るくして成継が言った。


「今回のおわたいは初めてでしたし、過去のほかい様のお祀りも多分こうやって乙女がやったと思いますよ」


 山田は成継の言葉に疑問を持った。


 おわたいから帰ってきた乙女は六人以外いないのではないか。実際に過去二百年のうちでおこなわれた藁舟のおわたいでも舟は戻ってこなかった。


 戻ってきたことでおわたいは成功とみなされる。帰ってきた乙女は過去六人。ほかい様の数だけ成功した。


 成功したのがいつの頃かも分からない、記録に残っていないと維継自身も言っていた。


 毎年父親の維継がやってきたことに、成継にはどこかしら不信心があるのかもしれない。


 でなければ、自分が率先してお祀りをすると言うだろう。


 むしろ、封じなければならないようなものに畏怖を感じないと言うだけで、三宅村に連綿と受け継がれてきた民間信仰への侮りを感じる。

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