第1話 堕ちた勇者と謎の訪問者・上

かつて せかいを おびやかした まおうを


うちほろぼした 勇者 


ここに たたえる


石碑にはこう刻まれているが、これが本当のことなのかは誰にも分からない。勇者、そして魔王が実在した根拠はどこにもなく、またそれが発見されるきざしもない。

それでも人々は信じていた。この世をおびやかす魔王の存在を。そして、それを打ち倒し世界に平和をもたらす勇者のことを。



石碑のそばに小屋があった。しかし石碑は各地に存在しているので、小屋は特別でもなんにもない。

小屋に住んでいる一人の青年が、鏡台の前に立っている。余計な物がない簡素な小屋のたった一人の住人だ。

「フー…………ン」

鏡に写るのは褐色の肌と、真っ黒に染まった白目。髪は深い緑の色。体型は一見スレンダーだが、腕の筋肉が異様に発達している。

毎日同じ、いつもの見飽きた。姿だ。

とつぜん、扉をドンドンたたく音がした。

「珍しいな」

小屋の住人はストールを首に巻く。

「冷やかし以外の客なんて……」

扉を開く。

「よォ、勇者様」

と、そこに妙な物言いのする男がそこにいた。とても痩せている。服装もボロボロだが、長い髪だけは不思議とツヤめいていた。

小屋の住人は一瞬めんどうそうに顔をしかめるが、追い払うわけにもいかない。

「誰だアンタ」

「魔王の刺客さ」

「はあ?」

首を傾げる小屋の住人に、訪問者は「嘘だよウソ」と笑いこける。ずいぶんと馴れ馴れしい。

「魔王なんて、いるわけないジャン……!あんなものは貧乏を嫌う民衆の都合の良い夢だものな。それともアンタ、信じてたりするのかい?」

「………」

小屋の住人は黙っている。訪問者は彼の顔を指さして、意地悪く笑う。

「どうやら信じてなさそうだな。近くに石碑があるクセに、変なヤツ……」

「何の用かな」

小屋の住人は腕を組む。少しイライラしている。用がないのに、こんな所をわざわざ訪ねるはずがない。

実を言うと、彼は冷やかしではない来客にちょっぴり期待していたのだ。そうでなければ相手はご丁寧に扉を叩いたりせず、壁に石や土を投げて一目散に逃げるはずなのだ。しかしこの男はそうしなかった。きちんとした、小屋の住人に会う理由があるのだろう。その理由を早く知りたかった。

訪問者はニタッと笑ってから

「カラダを分けて欲しいんだよ、勇者様」

そんなこと、初めていわれた。

「身体だって?」

とうぜん勇者と呼ばれた青年は面食らう。目の前にいる訪問者は、どう見たって五体満足だ。

「そんなもの、もらってどうするんだ」

「俺の足しにする」

わけが分からない。青年が口を開けずにいると訪問者はヤレヤレしょうがねえ、と言わんばかりにボロボロのケープの中から片腕を見せる。

「うわっ……」

それを見た青年は思わず声をあげる。

その片腕は細く、うっかりすると骨まで見えそうだった。

訪問者は満足そうに笑って

「ほら、俺ァゾンビだから身体が腐っちまうんだ。放っておくと、ずるりと地面に落っこっちまう」

だからアンタのような健康な肉体が欲しい。そう言って、訪問者は青年の鍛え上げられた身体を舐めるように見つめた。

「新鮮な肉を食えば腐敗は防げる。それどころか、更にパワーを得られるかもしれねえ」

訪問者の目は本気だった。とても冗談や嫌がらせの類とは思えない。

しかし

「待て、ゾンビなんて聞いてないぞ」

「なんだって?」

「勇者はともかく、ゾンビなんていっこもタイトルに書いてないじゃないか」

「そりゃー読んでからのお楽しみってやつだろ」

どういう理屈だよ。

「それから、カラダなんてどうやって分けるんだ」

青年が純粋な疑問を口にした。謎の訪問者は青年の身体を自分の筋肉にしたい、とのことだが、一体どのようにしてそれを成すのか、全く想像できない。

すると訪問者はクックックと喉を鳴らして

「そりゃ知らねぇよな……。ま、アンタは何もしなくていい。ちょいと血肉をもらうだけだ」

「血肉って?んっ」

青年が言い終わる前に、二本の指が彼の口内に突っ込まれた。訪問者の細い肉が、ぐちゅぐちゅと猥雑な音を立てながら青年の身体をかき乱す。

「ん、んんーー!」

喉に熱いものを感じた青年は声をあげる。そして猛攻から解放されると、とっさに首筋に手を当てた。もしや血が出ているのではないか。

いっぽう訪問者はそんなことは気にもせず、自分の指を乱暴に舐めとった。

「な、何してるんだ」

「アンタの唾液を摂取してる」

訪問者は嬉しそうだった。唾液の摂取?これが血肉を分けるということなのだろうか。青年にはさっぱり分からない。

「ほら見ろよ」

訪問者は腕を差し出した。

「さっきと違って健康になっただろ?」

本当だ。青年は驚いて目を見開いた。

訪問者の両腕には、しっかりとした筋肉がついていた。どう頑張っても骨など見えそうにない。痩せてはいるのが健康な身体になっていた。こころなしか、頬や足も少しふくよかになっている気がする。

このようなイリュージョンに青年は無意識に目をキラキラさせながら

「まさかおれの唾に、こんなチカラがあるなんて……」

「違う違う、これは俺様の力だ」

訪問者は冷静にツッコむ。すると青年は不思議そうに

「お前、何者なんだ?ただのゾンビとは思えない」

「いやタイトル見ろよ。ちゃんとバッチリ書いてるだろ」

訪問者はキヒヒと笑い

「な?可哀想な勇者様」

その呼び方は今日で二度目だった。勇者と呼ばれた青年は急に静かになって相手を見つめかえす。真っ暗な白目と金色の光が、その男を冷たく射抜いている。

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