第41話 堕ちた勇者と西の寺・一

出て行けっ、と熱い茶をかけられる。それは当時流行していた悪魔祓いの作法だった。青年は泣きながら故郷を去り、アテもなく何日も歩き続けた。自分がどこにいるのかすら分からない旅は、何の思い出も生まなかった。

やがて時も場所も分からなくなった頃、青年は生まれて初めて美しい音色を聴いた。立ち止まると、木陰で一人の男がハープを弾いている。

青年は隠れて耳を傾け、久方ぶりに顔を上げる。目の前には美しい空と山、そして、人々が協力して暮らす小さな村だった………。



(失われつつある記憶)





良い天気だった。レオナはその建物を肉眼で捉え、サングラスを掛ける。

視界に映る場所。そこは『西の寺』と呼ばれた建物。寺には有名な解呪師がいて、その人に呪いを解いてもらうのだ。

「これで悪魔生活ともおさらばだ!」 

レオナは両手を広げて完全に浮かれていた。ジェリーはフーンという顔をしている。色々あってレオナは悪しき呪いで悪魔になっているのだが、こんな所で解けるとは到底思えなかった。それくらい彼の呪いは強力で複雑だ、とジェリーは見ている。

昼寝をしていたソロが目を覚ます。彼もまた寺の外観に感嘆して

「わぁ……教会と全然違うリン」

「絵本に登場する家みたいだろ?」

その建物は、決して大きくないがどこか神秘的な見た目をしていた。壁と屋根は薄いオレンジ色をしており、大胆な模様が描かれている。また、寺の周辺には小さな家屋や屋根付き広場が見える。

三人は寺の領地に足を踏み入れた。そこは開放的な雰囲気に満ちており、まるで公園のように感じられた。

屋根付き広場の近くで、複数の参拝者が話し込んでいる。ソロが不思議そうに

「あの人たちも呪いにかかっているの?」

「さぁなぁ」

レオナは曖昧な返事をした。呪いというのは見た目で分かるものばかりではない。レオナのようなタイプは比較的珍しく、グラサンがなければきっと他の者にジロジロ見られていただろう。

「………いや、見られてるな」

レオナは苦笑した。しかし見られてるのはレオナではなくソロだった。ソロは事情を知らない人間からすると「飛び跳ねる謎のつぼ」でしかない。なので動くたびに、参拝客から嫌な視線を注がれる。

「さて、と……」

寺の扉の前で立ち止まったレオナな深呼吸する。近くで見ると寺はますます壮観だ。なにより、この先には噂の解呪師がいるかもしれないのだ。レオナは感慨深そうに息を吐く。

ここまで本当に長かった。何故か竜退治をさせられたり友達に裏切られたり、色々あった。

「じゃ、後は頼むぜジェリー」

「は?」

「おれはここで待ってるから、その解呪師がいたら外に連れて来てくれ」

「はぁ?………アンタまさか」

その意図に気がついたジェリーは呆れたような顔をする。するとレオナは大真面目にウンとうなづいて

「おれが建物に入ると、大ダメージを受けるかもしれねぇからな」

「ここは教会じゃなくて寺だッ!」

ジェリーが吠える。下級悪魔であるレオナは、教会に入ると大きく体調を崩してしまうのだ。

「宗教違うから平気だっつの!!」

「け、けど」

もしかして違い分かってねーの?とジェリーはペシペシと頭をたたく。レオナはぐぬぬと唸った。流石に違いが分かってないことはないが、頭の中にある不安は拭えない。

「あのー」

「へっ?」

二人が睨み合っていると、いきなり背後からのんびりした声がした。

振り向くと背の低い男が一人。その男は長い黒髪をまとめ、黒いTシャツにジーパンというラフな格好をしていた。

「曇ってきたなぁ」

男はフランクに挨拶した。レオナは聞き慣れないイントネーションに困惑するが、すぐ申し訳無さそうに一歩退く。自分がここにいては邪魔だろう。

すると男はニコニコして

「アァおーきに……ン?なんやその目」

急にグラサンに隠されたレオナの瞳をじっと見つめる。突然の行動にレオナは戸惑いつつも、反射的に相手を凝視してしまう。妙な緊張感が二人の間に走る。

痺れを切らしたジェリーが

「オイオイさっさと行けよ、俺たち解呪師に会いに来たんだぜ」

「解呪師?それはボクや」

男が自分に指を差したのでレオナは普通に驚いた。しかしさっそく会えたのは幸運かもしれない。

解呪師を名乗る男は軽く自己紹介して扉を開けながら

「解いて欲しい呪いがあるんやろ?はよ入り」

「けどコイツ悪魔だから怖いんだって」

とジェリーはレオナの肩にのしかかる。レオナは無言でうなずいたが、ニコリとした解呪師の男は優しい声色で

「大丈夫やで。悪魔ってのは、もともと精霊や妖精だった者もたくさんおるんや。キミが苦しむことはあらへん」

「本当か!?」

レオナは嬉しそうに顔を上げて、寺の中に入る。

そして一歩目でぶっ倒れた。

「なんでだよ!」

「神様に嫌われてンじゃねぇの?」

「おれはこんなに神を愛しているのに!?」

「宗教違うだろ」

「あ〜ゴメンなァ……キミみたいなタイプは創造神的にNGやったみたい」

「神様ひどい……」

仕方がないので四人は外のベンチで面談する。

「と、いうわけでおれの呪いを解いてください」

そう言ってレオナはグラサンを外す。金色の眼に、真っ黒に染まった白目。それから頭には山羊のようなツノが生えており、緑の髪と完全に一体化している。

解呪師はかなりビックリした様子で

「そ、その頭……髪型やなかってんな……」

「は、はい」

頭をわしわしと撫でられながらレオナは答える。それから呪われた経緯を説明した。

「と言っても、当時のことはほとんど覚えてなくて……」

「まあな。そういう人はたくさんおる」

話を聞きながらレオナはドキドキする。この呪いを、宿命を解呪師である彼は解けるのか、それとも解けないのか。それが一番気になった。

「けど、ボクに任せといて!」

「え?」

レオナとジェリーは同時に顔を上げる。

「この呪いは解けるで」

「!!!」

ジェリーが大きく目を見開いた。信じられん、とでも言いたげに。

「相当に複雑な呪いやけどな、幸いウチにはどんな呪いでも解く薬があるんや。だから心配せんでエエ」

解呪師はフランクな口調で語りかける。どんどん機嫌が悪くなるジェリーとは対照的に、レオナは嬉しそうな顔をした。

おれはこの忌まわしい呪いから、とうとう解放されるのだ!

「や、やった……ありがとうございます!」

「おう、貴重な薬やけどな。格安で処方したるわ」

「え、金取んのかよ」

ジェリーが悪態をつくが解呪師は無視する。レオナはそわそわしながら

「あ、あの!次はこいつ、ソロのことも見てくれませんか?ワケあってつぼの姿なんですが……」

「兄さん……!」

ソロは感動したように目を輝せた。ソロの旅の目的は、本当の自分を知ることである。つぼになる前の自分はいったい何者だったのか。なぜこんな姿になったのか。ソロはずっと知りたがっていた。

ジェリーはやはり楽しくなさそうに

「ふーん。勇者様は元金ヅルが呪われてると思ってるんだ」

「そ、そんなことねえよ!一応だ一応!」

「はいはいちょっと待ってな」

解呪師はソロをじっと見る。それから彼の表面を撫でたり中に手を入れたりしてら

「うーーーん。この子は呪いじゃなくて、たぶん“誓約”やな」

「誓約?」

レオナは首を傾げる。

「そうそう。ナニナニしたら元に戻りますよ、ってヤツ。けど誓約はな、呪いと違って誰もが出来るわけやない。基本的には天使が修行の一環として同族に課すものらしいんや。ボクは詳しいことは知らんけど」

「て、天使!?」

レオナがビックリする。

「た、たしかにソロは天使でもおかしくないよな」

「そ、そうなの兄さん!?」

「落ち着けテメーら」

ジェリーが割り込む。

「まだコイツがそうと決まったワケじゃねェだろ」

「ジェ、ジェリー?」

レオナは少し心配そうな顔で友を見る。今回のジェリーはどこか様子がおかしい。いつもの彼ならもっと酷いことをゲラゲラ笑いながら言うはずなのに。

「なあジェリー、何かイヤなことでもあったのか?」

「……………」

ジェリーは答えない。放っておいた方がよさそうだ。

「で、その誓約ってのは“何か”をしたら元に戻るんだろ?何かって何だ?」

「分かんないリン……」

「ボクも専門外やからなあ。そもそも本物の天使なんて見たことないし」

解呪師がため息をつく。ソロについてはこれ以上の収穫はなさそうだった。少しだけ暗いムードが二人をつつむ。

「けど兄さんが元に戻れるようで良かったリン」

「そ、そうだな!」

「ウンウン。今日は他にお客さんがおるし、解呪の儀式は明日やな」

「…………!」

明日、という現実的な日程にレオナの身体が硬直する。

「………………明日」

胸がずきずきと軋む。明日、自分は悪魔でなくなるのだ。人間に戻り、不便な生活とおサラバする。

そしたら人前でグラサンを掛けなくても済むし、教会にも入れる。名もなき村の人々も受け入れてくれるかもしれないし、もしかしたら、故郷にだって帰れるかもしれない。

「けど悪魔のあんちゃん、分かってるやろな」

なにが、とレオナが言う前に解呪師は釘を刺すような視線を飛ばす。

「呪いを解くにはな、呪われた方の気持ちが重要なんや。どれだけ準備を整えても、どんだけ解呪師が優秀でも、呪いを解きたい!という強い感情がないと効果ないんや。ボクだってわざわざ貴重〜な薬を無駄にしとうない」

だからなァあんちゃん、と解呪師はまるでレオナの心中を見透かすように

「本当に、人間に戻りたいんか?」

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