第42話 堕ちた勇者と西の寺・二

古びた教会の最奥部、少年は膝をつく。それから目の前に広がる惨状に怯えながら、かわいた口を開く。

「どうして」

多量の血液。細い断末魔。積み上がる肉体。少年はこの人たちをよく知っている。昨日まで共に笑い、共に語らい、共に戦った人達だった。

「どうして……」

転がる四肢、流れる体液、途絶える声。一人また一人、どこかとおくへ旅立って行く。しかしいくら待てども少年の番は来ない。少年のみが何も変わらない。

やがて音が完全に止み、彼は自分だけが生きていることを認識した。

「どうして僕だけ……」

少年はうわ言のようにつぶやいた。絶望に支配されたその後ろ姿を、人には決して見えないものがじっと見つめていた。




(失われた記憶)

 




本当に人間に戻りたいのか。

レオナはその質問、いや確認を投げ掛けられて何も言えなかった。彼はしばらく目を泳がせて

(そりゃあ、戻りたいに決まっている)

本当はこう言いたかった。しかし口が開かないし、たとえ開いたとしても声が出ないだろう。こんなにシンプルな答えなのに。

「ふーん、その顔は悩んでる顔やな」

心の中を見透かすように解呪師は言った。

「まあええ。最終決断は待ったるから明日までいっぱい悩んどき。なんならドタキャンも許したるで。後悔されるよりはマシやからな」

そう言って解呪師はアハハハと笑いながらその場を去る。

「……………」

取り残されたレオナはただ呆然としていた。

「おーーーい勇者様」

「兄さーーーん」

「…………あ、すまねぇ」

レオナは二人に悩ましげな視線を送り、浮かない顔のまま「しばらく一人になりたい」とどこかへフラフラ歩き出した。

「……………」

寺に来たときの元気はどこへやら。今の曇り空はまるで、彼の心情を表しているようだった。

そして残された二人は

「………なぁ元金ヅル、賭けようぜ」

「汚いことはやりたくないリン」

「ッはぁ〜〜〜つまんねェ奴!じゃ俺様は勇者様の呪いは解けない、オメーは解けるでいいな」

「え?うん。でも賭けって何を……あれ」

気がつくとジェリーはいなくなっていた。ソロは一人ぼっちになったので、少しだけ心細くなる。


今にも雨が降りそうな空の下。

かつて勇者だった青年は目的もなくふらふら歩き、かと思えば急に立ち止まる。解呪師の彼に言われた通り、悩んでいるのだ。

「…………………はあ」

人間に戻りたい。が、いざ現実で戻れるとなると二の足を踏んでしまう。本当に、本当に戻って良いのだろうかと悩んでしまう。また彼には、悪魔である自分に愛情のようなものが芽生えていた。金色の瞳に真っ黒な白目、山羊のようなツノ、つまり不便ながらも愛おしい自分。果たして自分は、これらをなんの躊躇もなく捨ててしまえるのか。

いや、出来ないだろう。真面目に考えれば考えるほど胸が痛くなる。

「そうそう特に御立派なツノ。それがなくなるとアンタのシルエットは超地味になるし、最悪マジで誰か分かんなくなるぞ」

「うるさい!お前におれの苦しみが分かってたまるか!!」

脳内にいるジェリーに笑われて必死に言い返す。それはそうと、シルエットの地味化はどう足掻いても逃れられないだろう。

「それに、前回のことを忘れたか」

「………っ!」

痛い所を突かれた。レオナが前回のピンチを打破できたのは、彼の中に流れる悪魔の血のおかげなのだ。もし彼が普通の人間だったら、あれほどすんなり魔女の錬金術を攻略できたハズがない。

彼は嘆くように、片手で顔を覆いながら

「そうか……おれは、知らないうちに悪魔の恩恵を受け続けていたんだ………思えばジェリーと出会う前から、ずっと……」

ぼんやりとした記憶。故郷を追い出されて何日か後、レオナは名もなき村の近くで一人で暮らしていた。家は捨てられた山小屋、食料は山の木の実や獣の肉で沐浴は数週間に一度。村人とは一切関わろうとしなかった。食事どころか水を飲まない日もあった。そんな生活をしていても健康を損ねず生き延びたのは、間違いなく自分が“人間ではない”からだろう。

正直、悪魔のままでいる方がいい気さえしてくる。

「おれは……」

とはいえ悪魔にはデメリットもある。悪魔だと先ほどのように神聖な場所に入れなかったり、人々からあらぬ誤解を受ける恐れがある。あとツノのせいで兜が被れない。

「おれは…………」

けどそれは正しい感情だろうか。レオナは曇天を見上げ、心の中に語りかける。おまえ、今までの旅を振り返ってみろ。彼が助けた人達は、誰もレオナを迫害しなかったではないか。案外勇者というものは、悪魔のままでもやっていけるのではないか。教会で祝福を受け、王に感謝されるだけが勇者じゃない。本来ボロボロになってもおかしくない手のひらを見つめながら、レオナはぼうっとする。もし雨が降っていたら、この場て泣いていたかもしれない。

「おれが人間に戻りたいって思うのは、よこしまな感情なのか………?」

考えがまとまらない。もうしばらく歩くことにしよう。勇者にも悪魔にもなりきれない男は、今は何も決断できなかった。

「ん……?」

足を止める。少し遠くから声が聞こえるのだ。複数人の声。振り返ると、ここを訪れた時に見かけた参拝客たちがいた。痩せた老若男女が十人ほど。彼らも皆、呪われているのだろうか。

「んん……?」

レオナは違和感を覚えて更に目を凝らす。雑談する参拝客の中に見覚えのある顔があった。いや顔ではなく、すらりとした姿があった。

「何やってんだアイツ……」

レオナは走る。参拝客たちは一瞬どよめくが、ちらりと彼を見て大人しくなる。

「ソロ、何をしてるんだ」

「あ、兄さん!」

ソロはご機嫌そうにレオナの腕の中に飛び込んだ。

「この人たちに、歌を教わっていたの」

「歌ァ?」

「地元の聖歌だよ。練習していたら、この子が参加したがっていてね」

リーダー格らしき杖をついた老人がソロを見る。ソロは嬉しそうに、うんうんとうなづいた。

レオナはたじろいだ。自分がうだうだ一人で悩んでいる間に、ソロは知らない人間と仲良くなっていたのだ。なんだか己の小ささを思い知ったような気分だった。

「あんちゃんのソレは呪いだろう?聞いたよ」

「あ、ああ……」

レオナは力なく返事をする。彼が呪われてるのは見ただけでも分かるが、参拝客たちの外見におかしな所は一つもない。彼らはどんな呪いをかけられているのだろうか。レオナは少し気になったが、流石に聞くことは出来ない。

「ね、兄さんも練習しよう!皆と歌声を合わせると、とても心地が良いの!」

突然のソロの提案にレオナはギョッとする。しかし断る理由もない。周囲を見回すと参拝客たちも歓迎しているようだ。レオナはおずおずと人々の輪に交わり、手を繋ぐ。

「よろしく」

「よろしく!」

「あ、ああ……」

この行為は、現実逃避かもしれない。重大な決断を前にして怖気ついた男の末路かもしれない。そんなことを考えていると隣の人間から「ちゃんと声を合わせろ」と怒られた。

合唱は一人では出来ない。皆と声を、心を一つにしなければならない。そうしないと神様に届かない。そう言われたレオナは深呼吸して、心を落ち着かせる。



うるわしき終末を

薔薇色の鎧を身にまとい

あなたの心は荒野を駆ける

丘に神がおわします

眩い光が包みます

うるわしき終末を

うるわしき終末を………



ぽつりぽつりと雨が降ってきた。レオナは肩を叩かれて我に返る。みんなが雨宿りをしようと言うので近くの屋根付き広場へ足を運んだ。雨にうたれたせいだろうか、少しだけ頭が痛い。

鈍い頭痛を覚えながらレオナはあたりを見回した。そして屋根付き広場の、屋根を支える太い柱を見て

「これはなんだ?」

不思議そうに質問する。すべての柱に、大きな耳の絵が描いてある。するとリーダー格の老人は、まるで柱にひざまずくように

「これは、創造神さまのお耳だ」

「創造神?」

創造神さま、確か解呪師もそんな言葉を呟いていた。レオナは思い出す。おそらくこの宗教が信仰している神様のことだろう。

「創造神さまは、すべてを聴いている。私たちの話し声や身体の動き、息遣い………もちろん、それ以外もね。たとえ目には見えなくとも、耳を傾けば聴こえてくる」

「…………」

レオナは黙って聴いている。ドクンドクンと、動悸が激しくなるのを感じるが、この音も創造神とやらに聴かれているのだろうか。

「我々はよりよき輪廻を巡るために、よりよき生を送り、信仰を貫かねばならない。その一つが歌だ。我欲を捨て、他者と手を取り、心を合わせる。それが歌だ。そして私たちは調和と善なる心を保ち、その集大成である歌声を創造神さまに届ける。これは我々の最大の信仰の形なのだ」

老人は厳格な口調でそう言った。あの合唱にはそんな意味もあったのか。レオナの肌がピリピリと痺れる。まるで雷に打たれ、それを通して彼の肉体に何かが入り込んでいる。そんな感覚だった。

「寺の中にも、お耳の柱はたくさんあるんだよ」

参拝客の中で最年少の子がそう言った。寺の中はレオナには入れなかった場所である。レオナは憧れを抱きながら想像する。大きな耳が描かれた建物の中。その柱のそばに鎮座する解呪師の姿。きっと壮観に違いない。

老人の話が終わったのか、場の空気が少し和やかになる。すると人々は再び雑談を始めた。

「そう言えばさっき、髪の長い人がここにいたね。何かを必死に探してるようだったよ」

ふと聞こえたその言葉にレオナは反応する。声の主は、さっきの最年少の子供だった。レオナはしゃがんでから

「あの解呪師さん、なんか困ってんのか?」

「?さあ……」

相手は不思議そうに首を傾げる。雨の音が増す。少しだけ嫌な予感がした。


「…………………」

屋根付き広場から少し離れた高台の上。男は雨に打たれながら、何かを求めるようにうろうろしていた。

「おう、何しとんのや」

傘をさした男が、後ろから別の傘を差し出した。お互いの足の動きが止まる。

「そうやってコソコソコソコソ……キミが何を企んでんのかは知らんけど、やめといた方がええで。なんでかってこの土地には」

「…………」

雨に濡れた方の男は何も言わない。

「忠告はしといたで、じゃ」

解呪師の男は傘を置いて去る。雨に打たれていた男はそれを拾い、再びぶらぶら歩き出す。

「ん?」

しばらくして、男は濡れた白髪を揺らしながら目を凝らす。目の前に見慣れた石碑があったのだ。

「へえー、勇者伝説の石碑か。こんな所にもあるんだな」

男はそれをコンコンと叩く。すると石碑は、一瞬のうちに壊れてしまった。

「あれっ」

男が首を傾げていると、バラバラになった地中から見たことのない生き物が現れた。

それは二足歩行で身長は三メールほど。上半身だけが異様に発達し、頭には牛の角が生えている。

「おおー、なんだこのモンスター!」

牛のモンスターは男に襲いかかる。が、男はまるで攻撃を予見したかのようにするりと避け、牛の拳を傘で軽く叩きながら

「そうイキんじゃねェよ新入りィ。そうだ!俺様が一晩かけてイイ事してやる」

ニヤッと笑った。そして一秒もしないうちに牛の表情が恐怖に染まり、にぶい断末魔を響かせる。しかし雨にかき消されてその声は誰にも聞こえない。奇しくもこの時、解呪師は寺の中、レオナは柱のそばにいた。

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堕ちた勇者と竜の呪い 赤菊珠 @akagiku

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