第38話 堕ちた勇者と煉獄・下
ある日、男は大病にかかりました。熱が下がらないその姿を目の当たりにした彼女は、寝る間も惜しんで看病して、病を治す方法を調べ、あらゆる薬を試しました。
そして、すっかり元気になった男はこう言いました。
「助けてくれてありがとう。ところで君はだれ?」
(賢者のむかしばなし・4)
菓子を貪る音がする。
コレクションルームと銘打たれた部屋、老婆と契約したその男は、胡座をかいたままショートケーキを手づかみで食べていた。一応この家はフォークを常備しているが汚れているので使わない。
「なァ婆さん」
ジェリーはグチュ、とイチゴの上半身を噛みちぎって
「アイツのこと、どうするつもりだ?」
「ほほほ」
揺れ椅子に座る老婆は上品に笑っている。その表情は丸く、とても他人を『家畜』呼ばわりするような人間には見えない。
「とうぜん殺すんだろ?けど、俺様が気になるのはその後だ」
そう言ってジェリーは紙の皿に盛られた塩クッキーをつまむ。彼の目の前にはありとあらゆる種類の菓子がある。それらをジェリーは好きなだけ食べて良い。それが、二人の間に交わされた契約だった。
ジェリーの食べっぷりを見た老婆は善良そうな笑みを浮かべたまま、そっと口元に指を当てて
「それはねえ……食べてもらうの」
「食べる?誰が」
「全能の魔王様」
「へェ……!」
魔王というと、あの伝説の魔王である。あの、ずっと昔に勇者に倒されたとかいう魔王である。この老婆の口から魔王などという単語が飛び出てくるなんて、意外な繋がりだった。
「ふうん?その魔王はどこにいるんだ」
ジェリーは少しワクワクしていた。彼はその辺の人間よりは長生きしているが、魔王という伝説の存在は見たことがない。もし拝めるなら拝みたいものだ。
老婆は、少しだけ声のトーンを落として
「それは、私の影……」
「影ぇ?」
ジェリーはじっと目を凝らす。よく見れば、老婆の影……の色は一律ではなく、細やかなモザイク模様になっていた。
「へぇ面白い。婆さん、これも錬金術なのか?」
「そうねえ……」
老婆はあいまいに返事をした。ジェリーは影の中の魔王(仮)をじっと見つめる。モザイクは時々ザワザワとうごめき、ときに虫の集合体に見えた。
「ふうん………」
少し気持ち悪い。だがそこがかえって良い。ジェリーは、レオナがこの魔王を老婆ごと殺す光景をぼんやり夢見る。
「サァて……!そろそろ行くか」
「ええ」
二人は立ち上がった。扉が堅いもので塞がれてから、かれこれ数時間が経過している。二人が狙っているのはレオナの飢餓、端的に言うと兵糧攻めだった。
「ふふん勇者様ったら、今日はあのマッズいスープしか飲んでねェからな」
ジェリーは楽しそうに笑う。書斎〜地下牢エリアに食べ物は置いてない。さっきまで菓子をバクバク食っていた自分とはトコトン対照的だ。
老婆に促されるまま、ジェリーはベタついた手でドアノブを握る。すんなり開く扉に違和感を覚えるが、取り敢えず前に踏み込んでみる。すると
ポフッ
頭上から黒板消しが降ってきた。が、それだけではない。ありとあらゆる家具がこちらをめがけてドンドン飛び込んでくる。
「おいおい……!」
ジェリーはククククと喉を鳴らし
「俺たちを殺す気か……!面白ェ……!!」
が、家具たちはギリギリの所でぶつかって来なかった。そういう風に計算されているのか、あるいは偶然か、それらは永遠に空振りを続ける。しかし代わりに、とんでもないモノがこの書斎を舞う。
ホコリだ。ホコリまみれの家具がビュンビュン降ってくるせいで、ここから一歩も動けない。ジェリーは大きく舌打ちする。呼吸器もそうだが、ホコリは目に入ると厄介である。
「どいて」
背後で老婆の声がした。自分に代われというのだ。ジェリーは一応心配する素振りを見せたが(彼女はなんせ年老いているので)、ここは老婆に任せることにした。
前衛に出た老婆は手を前に出し、ボソボソと何かを呟く。
「………!」
目の前のホコリが、炭になった。それはパラパラと無惨な音をたてながら床に落ちていく。
「おおー」
ジェリーは感心する。しかし間髪入れずに次の家具がホコリをまといながら降ってくる。
家具ごと炭になった。炭の塊が、サラサラと砂のように崩れる。
「アハハ、おもしれー」
家具のブービートラップが止む。ジェリーはしばらく笑っていたが、急にイライラしだして
「ンだよ、たったこれっぽっちか?つまんねェ」
「いいえ。まだ……」
老婆が驚いたように目を見開く。時間差で大きなタンスが上から降ってきた。かと思いきや
「うおっ!」
ジェリーも驚いた。なんとタンスの上に、ガスマスクを装着したレオナが乗っていたからである。
「とうっ!」
レオナは着地して老婆を羽交い締めにする。ドカン、とタンスが床にぶつかる音と同時だった。
「ーー!ーー!」
ずりずりと引きずられ、老婆は苦しそうにうめいている。呪文を唱えようとしたが、口を抑えつけられているので上手くいかない。
無力化された老婆を前に、ジェリーはヒューと口笛を吹いて
「これは一本とられた。ホコリ爆弾は目くらましってことか」
「ああ!」
レオナは片足を大きく足踏みさせる。ジェリーは軽い違和感を覚えるが、まァいっかというふうに
「で、勇者様。その婆さんをどうするつもりだ?やっぱ……」
殺すのか、とジェリーの口元がうっそりと描く。するとレオナは呆れ半分に「そんなわけないだろ!」といつもの返しをしてから、まるで迷うようにしばらく口をつぐむ。
かと思いきや
「投降してくれ二人共!じゃないと」
「誰がするかボケェ!!」
願いも虚しく、ジェリーは激しいキックをお見舞いする。レオナにとっては完全に不意打ちで、うっかり手が離れてしまう。
「しまっ……!」
口が自由になった老婆は何事かをムニャムニャ呟いた。するとレオナは猛烈な睡魔に襲われ、身体のバランスを大きく崩す。
しかし眠ったのはレオナだけではなかった。老婆もまた大きな欠伸をして、レオナの足をクッションにして倒れてしまった。
「………?」
ジェリーは不審そうに二人に近づいた。レオナはともかく、さっきのやり取りで老婆まで眠ったのは不可解すぎる。
とはいえジェリーには心当たりがあった。この部屋には、姿を現していない役者が一人だけいる。誰もいない壁をギロリと見つめ、ジェリーは怒るように声を張りあげた。
「テメーの仕業か元金ヅル!」
「とうっ!」
天井からソロが降ってきた。彼はレオナの腹部にゴスンと着地する。
「〜〜〜!!!」
痛みのあまりレオナは目を覚ます。その間ソロはつぼの中から猿轡と帯紐を取り出して、老婆の口と手を拘束する。なんという手際の良さだろう。とてもアドリブでやっているとは思えない。
「いや、なんだこの光景」
老婆を優しく寝かせたレオナはジェリーをキッと睨む。しかしガスマスクを着けているので表情が伝わらなかった。
「やったー!作戦成功リン!」
「オイ、あのババァに何をした」
するとバサリ、と一冊の本がジェリーの頭にぶつかった。タイトルは
「『錬金術の初歩』……?ハァなるほど」
ジェリーは理解したように本を床に捨てる。そう、それはまだレオナたちが準備をしていた頃………。
「兄さん。僕、錬金術が使えるかもしれない」
回想のなかのソロはこう言った。
「れ、錬金術?」
「だって僕、旅に出る前は金貨とか生み出してたし、あと錬金術士の自伝とか読んでると、自分と重なるところがあるっていうか……」
「そうなのか……」
回想のなかのレオナはなんとなく納得した。あの時のソロの金貨にはとても世話になった。
「この本には強力な睡眠薬の作り方も書いてるリン。お婆さんとジェリーを止めるには眠らせるのが良いリン」
回想のなかのレオナはページをめくる。睡眠薬に必要な材料は木材、鉄、化学染料、らしい。レオナはさっそく木材はその辺で、鉄は地下牢から、化学染料は衣装部屋から調達した。それらを全てソロのつぼ口の中に入れると、何故か粉状に変化した。
「あっミカエルさんからもらったペンダント、入れたままだったリン」
幸いペンダントは無事だった。あれ粉末化の効果があるのか……と当時のレオナはビックリしたが、たぶん現在でもビックリしている。
「こうしておれたちは睡眠薬を完成させた!」
回想が終わる。ちなみに安全確認のため、一応レオナが被検体になったという。
ジェリーはため息をついて
「身を犠牲にしてまでゴクローさん。が、一つ大事なことを忘れてないか?」
背後で、ゴゴゴゴゴと地割れのような音が鳴る。
「まだ俺様がいるってことをな!!」
「チッ、やっぱ駄目か」
レオナは舌打ちする。あの時ソロが睡眠薬をかけたのは老婆だけではないが、効果があったのは老婆だけだった。
ジェリーは悪役っぽい笑みを浮かべながら
「そうだ、俺様は特別なんだ……んなチャチな薬が効くわけねェ」
「ジェリー………」
レオナはソロと老婆を安全な場所に下がらせて、ジェリーをじっと見つめる。そして右手と左手を交互に握ったり開いたりして、それから今にも殺さんとばかりの声色で
「おれとお前、一対一だ」
するとジェリーは穏やかな笑みを浮かべて
「本当にそう思うかな?」
「なんだと?」
「本当の敵は、自陣の中にいる」
パチンとジェリーは指を鳴らす。すると眠っているはずの老婆、いや老婆の影がモゾモゾと、おぞましいほど激しく動き始める。
「な、なんだァ!?」
「アハハ、昔のアンタが欲しがったモンだよ!」
「具体的に説明しろー!」
影がひとりでに動き始める。それに引き摺られるように、老婆の身体は横たわったままズリズリと動き、傷を作る。その様はまるでマオリネットのようで、こちらが何も出来ないまま老婆の影は大きくなり、バサリとコウモリの羽ような形を描く。
「な、なんだ!?」
「こいつは魔王」
「魔王?」
「あっ……!」
ソロはノートの内容を思い出した。例の記述が冗談ではないのなら、老婆は本気で魔王の作り方を研究していたことになる。その成果がこれだというのか。
「兄さん!ジェリーの言ってることは本当リン!」
飛び跳ねるソロにレオナは「そ、そうか」と力のない返事をする。いきなり魔王とか登場して脳が混乱しているのだ。
ジェリーはくつくつと笑いながら
「さあて家畜の勇者様、アンタには彼のエサになってもらう。魔王ってのは存外好みがやかましくてな。ゾンビたる俺様はお気に召さない、無機物たる元金ヅルは論外、器たるババァはもとより不可能。……つまりアンタしかいないんだよ!」
ジェリーの言葉を肯定するかのように“影の魔王”は咆哮を上げる。
それは飢えたものの必死の叫び。今から極上に肉を喰らわんとする捕食者の叫び。レオナは理解が追いつかないが、危険な状況なのはなんとなく分かる。
「サァ魔王様。食事の時間です」
ゆったりとした口調でジェリーは告げる。
しかしレオナは一方で気付いていた。ジェリーが本当は何を欲しがり、彼に何を望んでいるかを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます