第39話 堕ちた勇者と影の魔王


記憶をなくした男は故郷に帰ると言って、錬金術士の元を去っていきました。そして、一人になった彼女は言いようのない孤独感に襲われました。今までは自分と錬金術さえあれば幸せだったのです。しかし今は、あの男がいないとまるで生きている心地がしません。その錬金術士は人前から姿を消し、森の奥で新しい研究をはじめました。


それは、失われたものを取り戻す方法………


(錬金術士のむかしばなし)

 


““恐怖!コウモリ型の影の魔王!モザイク模様が目に痛い!””



レオナは走っていた。老婆の影から逃げていた。影はレオナの命を直接奪おうと、恐ろしい唸り声をあげて迫ってくる。

逃げる途中、レオナはちらりとジェリーを見た。予想通り彼はいつものように余裕ぶった表情でこちらを見ている。まるで自分は安全な観劇者とでも言いたげだった。

「…………あいつ」

思わず舌打ちしてしまう。ジェリーの思惑は単純なのだ。彼の願いは、ある意味レオナと出会った日からずっと変わらない。

(あいつはおれに、婆さんを殺して欲しいんだ)

簡単なことだった。魔王を倒すには器である老婆を殺すのが一番楽な方法なのだ。とはいえ老婆はジェリーからすれば魔王関係なくデスマッチさせたい相手だったろうけど。

レオナは至急ソロと合流して物置部屋に向かう。幸い影の動きは鈍い。倒れたままの老婆の身体が重荷になっているのだ。

バタン!ホコリだらけの物置部屋に閉じこもる。そしてレオナは疲れたようにドカッと座り、大きくため息。

「ハァ……ガスマスクしといて良かったぜ……」

少々息苦しいが仕方ない。ちなみにソロはつぼなのでホコリの影響は全く受けない。

「…………」

二人は顔を見合わせて情報を共有する。

「ソロ、あれは本当に魔王なのか」

「うん、ノートに『仕上げは“にんげん”が必要』って書いてたリン」 

そう言ってソロは、つぼの中から何かを取り出す。

「アッ、いつのまに」

それは丸まった古いノートだった。ソロはページをめくりながら「ドサクサに紛れて」と笑う。

「お前もなかなかやるな」

しばらくして、ドン、と扉が蹴破られる音がした。緊張が走る。それは痺れを切らした影の魔王の仕業か、それとも

「遺言は済んだか?ケホッ、ケホッ」

ジェリーだった。が、真っ先に現われた彼は忌々しそうに口元を覆って

「あークソ。この場所じゃァ不便だな。おい婆さん!」

「!」

レオナはガスマスク越しに目を凝らした。なんと、眠っていたはずの老婆が目を覚ましていたのだ。影はコウモリのままだが、手と口の拘束は解かれていた。

老婆は表情を歪めながら

「本当に手のかかる家畜だこと……」

そう言って床を靴底で叩くと、ホコリだらけの部屋が一瞬で豹変した。清潔で、真っ白な空間に変わる。

「な、なんだこれは!!」

驚いたレオナはジェリーに解説を求める。ジェリーはくしゃくしゃと顔を歪めながら

「なにって錬金術だよ!この『お菓子の家の中』はなーんでも婆さんの思い通りになるんだぜ〜!ひゃはははははッ!!」

えっ、あの家の中ってこんなんだったの?レオナは純粋にびっくりする。

そうしてる間に魔王の影がギューっと伸びる。それから影は鉤爪のようなものを生やし、レオナに襲いかかる。

「ぅあっぶね……!」

レオナは避ける。魔王の爪はガスマスクの表面を抉り、床に落とす。

マスクが外れたので、部屋の空気がレオナの顔面をちくちくと刺す。正直にいうと鉤爪より老婆の魔法の方が怖かったが、それでも攻撃はなるべく避けたかった。

「三対一だぜ」

ジェリーはレオナに向かってそう言った。しかしレオナは何かを主張するような大声で

「ソロ!」

「はーい!」

ソロをキャッチして、つぼの中に手を入れる。ジェリーは目を見開いて

「錬金術か!」

レオナはそれを肯定するように

「“困った時の対処法、魔王が暴走した時は?”!!」

「必要なものは、“天使の笑みと悪魔の血”!」

つぼの口を魔王に見せる。すると中からまばゆい光が発生し、影の魔王を焼き尽くした。

「ぐわーっ」

断末魔と共に呆気なく消滅する魔王。シワシワと、老婆の影が普通の人間と同じになる。それは、たった数秒の出来事だった。

「ハァ!?なんだそれ!!!」

ジェリーが地団駄を踏んで文句を言う。あんなに怖そうだった魔王が一撃で倒された理不尽に、それはそれはもう怒りが止まらなかった。

老婆もまた悔しそうに手を震わせながら、レオナたちを睨む。

「まさか……あのノートを読んだのかい?」

「ババァ、テメーの責任か」

ジェリーはもはや取り繕わない。本当は老婆の胸ぐらを掴んでやりたいくらいムカついてたが、どうにか堪える。

「つか悪魔の血はともかく天使の笑みってなんだよ!」

素材のくせに抽象的過ぎるだろ!とジェリーはレオナに抗議する。するとレオナは片腕からダラダラと血を流しながら

「普通にソロの笑顔だが?」

「あれは陶磁器であって天使じゃねーだろ!」

キイキイヒイヒイと言い争いが始まる。老婆は黙ってうつむいてしまった。悪魔の血も天使の笑顔も、一般人にとっては入手難易度が恐ろしく高いはずなのに、それをあっさりクリアされたのだ。

「まだよ」

「え?」

それでも老婆は諦めなかった。清潔で真っ白な部屋が揺れ、ゴゴゴと壁から柱のようなものが次々と生えてくる。

「魔王ならまた作れば良い。私は、決して諦めるわけにはいかない……!」

柱は猛スピードで伸びてレオナたちに襲いかかる。

老婆は大きく目を見開いて

「大人しくして頂戴。あの人とやり直すために……!」

「なるほど、それで“全能”か」

ジェリーは襲い来る柱を避けながら呟いた。

「全能って?」

柱を受け止めながらレオナが質問する。

「ババァが欲しがってるのはいわゆる『ランプの魔人』だ。やり直しっつーからには過去に戻りたいんだゼきっと」

「過去……」

「グレーテル!!私に協力しな!契約はまだ続いているでしょう?」

「グレーテル?」

レオナは引き気味にジェリーの顔を見る。

「あ、うん、一応契約名。ちなみに、契約の内容は覚えてるよな?」

「………ああ」

レオナを差し出す代わりに、お菓子食い放題。何度思い出しても脱力したくなる。

「いや〜錬金術は凄いよな〜、あの菓子ぜーんぶ錬金術で作ってンだぜ?どれも死ぬほど美味ェし。材料はあまり想像したくねェけど」

「…………なあジェリー!さっきおれの血を擦り付けたら柱の動きが遅くなった。奴らの弱点は悪魔の血だ!」

「おい聞けや。あと正直それは焼け石に水だろ。なあ婆さん」

老婆は残忍な笑みを浮かべて

「そうよ。この家はなんでも私の思い通り。中からは決して攻略できない。だから大人しくなさい?」

老婆は呪文を唱え始める。レオナは蒼白した。

「やべっ……」

その時、ずっ、と空間が切断された。驚きのあまり登場人物全員の手が止まる。次に白い柱がパラパラと砂になり、両方の扉からは大量のお菓子が雪崩込んできた。

「な、なんだこれ?」

慌てるレオナを横目にジェリーは菓子のひとつを手に取って食べようとした。しかし

「……!」

菓子はあっという間にただの砂になった。他のお菓子も同じように、食べ物ではない殻になっていく。

「まさか……」

ジェリーは天井を見上げた。いっぽう老婆は呆然としながら、ワナワナと手足を震えさせる。

「まさか……外からの干渉?」

「そうみたいだな」

ジェリーが静かに肯定する。レオナは困惑しながら

「どういうことだ?」

「そのまんまの意味だよ。外部から攻撃受けてんだよ多分」

老婆はさきほど、『中からは決して攻略できない』と言った。それは正しかった。この家の中は何でも老婆の思い通り、本人が願わない限り決して壊れない。

しかし“外から”なら………?

「誰、誰の仕業だい!?」

老婆は狼狽する。レオナはソロを呼ぶ。ソロは駆け寄る。そしてジェリーは頭に電球を浮かべる。

「なァるほど……まさか時間差で効果が出るとは」

ジェリーは一人で納得して、レオナの顔を覗き込む。

「ひひっ、勇者様。アンタお手柄だぜ」

「は?」

「もっと情緒あるリアクションしてくれ〜。えーと、答えは次回だ次回。突如崩れゆくお菓子の家!果たして“外からの干渉”の正体とは!?いえーい!」

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