第37話 堕ちた勇者と煉獄・中
男と出会った錬金術士の心には、それはそれはかぐわしい花が咲きました。そして彼女は長い逢瀬を重ね………
(賢者のむかしばなし・3)
「さァーて、それではババァとの壮絶バトルが始まるぞ!」
ジェリーは決闘のゴングを鳴らす。
コレクションルームと呼ばれたその部屋は、これまでのどの部屋よりも広かった。薔薇色の内装に、展示棚の上にはたくさんの物品が置いてある。花瓶、リュックサック、ペットボトル、ペン、銅像。
ジェリーは眠ったままのソロを床に置く。それから、前方を指差して
「あの辺が俺らの持ち物だ」
「……………信用出来ねぇ」
「フフフ」
ジェリーは怪しい笑みをこぼす。一体なにがおかしいのか。
「おやおや、どうしたんだい?」
突如聞き慣れない声がした。レオナは反射的に拳を握り、空いた手でジェリーの手を取って、ソロを庇うように右足を少し動かした。
「お腹が空いたのかい?悪い子だねぇ」
そこにいたのは、やはり例の老婆だった。あの時と変わらず穏やかな笑みを浮かべているが、その笑顔が今は恐ろしい。
「メッ、でしょう。家畜を逃がすなんて」
老婆はあくまで優しい、柔らかな声色と表情で叱った。相手への親愛を感じる言動だった。
その相手というは、もちろん……。
「ごめんなさい、お婆ちゃん」
「え、今のセリフ誰?」
バシッ。突然生じた痛みに、レオナは迂闊にも手を離してしまう。虚しく空振る指先。ああ、この痛みはよく覚えている。まるでカロの村、最初に訪れた村でやられた、あの鋭い痛みのようだ!
「ジェリー!」
必死に手を伸ばすがもう遅い。離れゆく彼、血がぱらぱらとカーペットにしみる。嫌な予感というステージはとうに越えて、これから起きることを確信したレオナの体内は、激しい絶望と渇きを覚える。
「………ジェリー!」
名を呼んでも愛しい彼は帰ってこない。レオナは目の前が真っ黒になりそうだった。
今のおれは、心と身体、どちらがより痛いのだろう。
対照的に、老婆の隣に並び立ったジェリーはとても無邪気な笑顔で
「ひゃー、ゴメンな勇者様〜〜〜!俺、今はバァさんの味方だから〜!契約には逆らえないんですう〜〜!このまま家畜として大人しく死んでくれい!!」
「こらこら、まだ殺しちゃ駄目でしょう?もう少し太らせた方が……」
老婆はまるで慈しむようにジェリーの頭をよしよしと撫でる。ジェリーもジェリーで、この関係を楽しむように老婆と肩を組み、甘い声で
「けどよ〜錬金術士様ァ。あんなエサじゃ痩せる一方だぜ?ここはやっぱり……」
「一時撤退だ!!!!」
レオナは大声をあげて一目散に駆ける。床で眠るソロを抱え、振り返ることもなく書斎へ戻る。『最悪のタッグ』という言葉が頭の中に浮かんでは消えた。
どうしよう、目頭が熱い。
「ハァ、ハァ………」
ドカドカと乱暴な音が響く。レオナは書斎とコレクションルームを繋ぐ扉を、適当な本棚で塞いだ。これでしばらくは入ってこれないだろう。腕力にものを言わせた籠城だった。
「あああ………」
バラバラに散らばった、たくさんの本に囲まれて深いため息をつく。苦しい。なんど呼吸をしても、乱れる心が収まってくれない。煉獄という言葉が頭に浮かぶが、何を悔い改めてもダメそうだった。
「兄さん、兄さん」
「あっ……!」
飛び跳ねるソロを見たレオナは、安堵の笑みを浮かべる。起きたばかりのソロは視線をキョロキョロさせて
「ところでここはどこ?僕たち確か、森で迷子になって……」
「ジェリーに売られた」
「えっ?」
「アイツはおれを裏切って、菓子欲しさのあまりポッと出の婆さんに乗り換えたんだ」
「兄さん、何を言ってるの?」
意味不明かもしれないが、全部事実だから仕方ない。
レオナは拳を握りしめる。さっきからジェリーのことを思い出すだけで胸がチリチリする。なんだあの言葉は。なんだあの態度は。なんだあの声は。なんだ、あの親密そうな表情は。なんだあれは。なんだなんだあれは。
レオナは膝を丸める。
「それだけじゃない……ジェリーのやつ……錬金術師“様”って言ったんだぜ。おれ以外のやつに……。錬金術士、様、かあ……はははは」
空虚な笑みをもらす。あのジェリーの態度は、まるで祖母に甘える孫のようだった。老婆もそれを快く受け入れていて、とても打算的な関係には見えなかった。いや違う。たとえ打算100%でも、あの光景はショックだった。
「なあ、ソロ。あいつはどうしたら、おれのものになるとおもう?」
情けなさのあまり泣きそうだ。我ながら馬鹿な質問だと思う。こんな状況で、いったい何を聞いているのだろう。
「ええっと……」
一方ソロは困惑したように思考を巡らした。難しいのだ。人付き合いに関する本は何冊か読んだことはあるが今回のケースだと全く役に立ちそうにない。ジェリーはどう見繕っても普通の人ではないからだ。
しかしソロは知っている。ジェリーにも、普通の人間と同じところが(一つくらいは)あることを。
「欲しいものをあげると良いリン」
「欲しいもの?」
レオナは顔を上げる。
「うん。ジェリーはえーと、争いが好きだから……」
「あ……?」
「うん」
「ふ」
ハハハハハ。書斎に、哄笑の音が響く。“争いが好き”という言葉が盛大にツボったのだろう。
レオナは勢い良く立ち上がって
「よし……!」
籠城戦の続きを行うことにした。彼らには大きな目的がある。嫉妬で苦しんでいる場合ではない。
「まずは、あの婆さんの倒し方だ」
おー!とソロが声を張り上げる。ソロにとって老婆は顔も知らない相手だが、やる気は充分だった。
レオナは真剣そのものといった表情で
「例の婆さんは魔法を使うかもしれねぇ。おれが急に意識を失ったのも、魔法の可能性がある。気を付けねえとな……」
レオナは魔法への耐性が異様に低いので、本当に注意しなければならない。
「いや待てよ、ジェリーは婆さんのこと錬金術士って言ってたな……」
「兄さん、ここの本は錬金術に関するものばかりリン」
ソロが散らばった本を見ながらそう言った。レオナが目を凝らすと、本当にそれっぽいタイトルばかりだった。
「あの金ピカ部屋も、もしかして……」
錬金術で作られたものかもしれない。しかし、この情報は戦いの役に立つのだろうか?今のところは具体的な作戦が『不意打ち』しか思いつかない。先手必勝。やはり老婆は魔法を使うかもしれず、ジェリーに関しては何も分からないからだ。ちなみに魔法と錬金術の違いはもっと分からない。
それでもやれることはある。レオナは物置き部屋へ行き、ソロは書斎の本棚や机を注意深く観察する。
「ん……?」
机の引き出しの中に古びたノートがあった。それも一冊だけではない。何十冊という数がギチギチに詰め込まれていた。
ソロは一番上のノートを取り出してページをめくる。そこにはビッシリと、濃い文字が書き連ねてあった。
「“魔王の作り方”……?」
読める箇所だけ読んでソロはパラパラとページをめくる。ノートには具体的な錬金術のレシピも書いてあった。金の作り方、銀の作り方、薬の作り方……。困った時の対処法なども。
「ソロ!素材持ってきたから手伝ってくれ!」
「う、うん!」
レオナが書斎に戻ってきた。今から倉庫から持って来た家具で、ブービートラップを作成するのだ。これは相手がドアを開けると作動する仕組みだった。細かい説明は省くが、家具についたホコリが次々と襲いかかる仕掛けである。
「ケホッ、ケホッ」
「兄さん、大丈夫?」
器官が人間とそう変わらないレオナは苦しそうに咳き込む。そのうえ腹も減ってきた。しかし弱音を吐いてはいられない。レオナは大丈夫だと片目をつむって、最後の仕掛けを設置する。これでブービートラップは完成した。計算を間違えてなければ正常に動くはずだ。
しかしレオナは不安げな表情をしていた。老婆という未知の敵、そしてジェリーという未知数の相手に、こんなものでやりあえるのだろうか。
「ところでソロは何を調べてたんだ?」
「ええと、僕はね……」
ソロは誰にも聞かれないように、そっとレオナの耳元に話しかける。
「…………え?」
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