第35話 堕ちた勇者とお菓子の家
むかし、むかしあるところに、ひとりの錬金術士がおりました………
(賢者のむかしばなし)
迷った。
ここは森の中。終わりのない道を歩く三人は、じりじりした雰囲気の中で眉をしかめる(約一名は眉がないが、それはそれ)。
「迷ったなコリャ」
「だよなあ……」
「僕もそう思う……」
ジェリーの言葉にレオナとソロが同意する。三人とも声に力がない。さっさと西の寺に行きたかったのに、どうしてこうなったのだろう。
先頭を歩くレオナが、ガックリと肩を下ろし
「さっきからずっと同じ道を行ったり来たりしてる……」
「無限ループってヤツか。クッソ気に入らねえ……」
「………スヤ」
そして一人脱落した。ジェリーは眠ったソロを抱きかかえて、少しペースを落として歩く。不可解なことに、ソロの身体はいつもより重かった。
「なァ勇者様。コイツちょっと太ったんじゃねえの?」
「気のせいだろ……珍しく疲れてるんじゃないのかジェリー」
「ハァそうかな。確かにこの光景は疲れるが……」
二人は心の底からげんなりしていた。行けども行けども森の中。道しるべもなければ出口のアテもない。体力よりまず精神が参ってしまいそうだった。ジェリーはクシャクシャと草や花を踏み潰しながら
「これは、なんらかの精神攻撃を受けてる可能性があるぜ」
「精神攻撃?」
「そうそう、呪いとか魔法とか。無限ループの呪いってヤツ。ははは」
そう言ってジェリーは虚しく笑う。もし呪いなら解けないことはない………と言いたい所だが、レオナもジェリーも無限ループの呪いなど聞いたことがない。いくら勉強しても、ローカルな呪いはまるで手に負えないのが現状である。
「………?」
ふと生じた違和感に、レオナは立ち止まって鼻を動かす。
「妙な匂いがする」
「おっ、確かに焦げ臭い」
普段は火事現場など近寄りたくもないが、迷いの森を打破する手がかりになるかもしれない。二人は足を速め、匂いがする方へ向かう。
そこには
「うわっ……」
あまりにも非現実的な光景が、目の前に広がっている。
お菓子の家があった。文字通りの意味である。
スポンジケーキ、堅パン、クッキーなどありとあらゆるスイーツで出来た家が、そこにあった。
「す、すげえ……」
腹の音が鳴る。一瞬のうちに、鬱屈していた二人の脳が強く刺激された。延々と続く森の中に突如あらわれた甘味の家なのだ。甘美でないはずが無い。
「あーははははっ」
とうに判断力など失ってしまったのだろうか。ジェリーは眠った仲間を放り出し、壁の装飾を剥がして食べた。美味い。塩のクッキーだった。
「お、おいっ!」
レオナは止めようとする。いくら腹が減っていてもこんなの、誰が作ったのか分からない、野外に放置された食べ物を口にするのはどう見ても危なかった。
「何やってるんだ、ばかっ」
しかし止めてもジェリーは手を止めない。彼は食欲に取り憑かれたように大きなお菓子をむさぼり食う。
「ふーん、勇者様も食ってみろよ。このキャンディーとかすげー美味いぜ」
「虫がタカってそうだから却下だ!なぁ頼むからやめてくれよジェリー。せめて食うならおれにしてくれよ。な、な?」
目を潤ませながらレオナは懇願する。しかしジェリーはそっけない眼差しで
「え〜勇者様の肉体、最近は唾液ばっかで飽きてきたんだよなァ」
「じゃあこれでどうだ、えいっ!」
「うわグロ」
血の匂いが鼻腔をつく。しかしジェリーは変わらずお菓子の家を食べ続けた。困ったことになった。こうなっては力尽くで止める以外の方法がない。レオナ拳を握って構える。すると
「おやおや」
知らない人間の声がした。
レオナは振り返ってその姿を確認する。背の低い、人の良さそうな老婆だった。桃色の頭巾を被り、華美ではない服を上品に着こなしていた。
老婆は、甘味を貪るジェリーの姿を優しく見つめながら
「お腹が空いたのかい?なら、うちにおいで」
そう言ってお菓子の家の中へ招き入れる。
「…………」
レオナはとうぜん警戒するが、ジェリーは二つ返事で老婆の誘いに乗る。足音を聞いた彼はくるりと振り返って
「あれっ勇者様。アンタはついて来なくていいんだぜ?」
楽しそうに笑っている。レオナは呆れて
「ついて行かずに、どうやってお前を守るんだよ……」
レオナはショルダーバッグにソロを入れる。老婆はきっと悪意のある存在だろう。そんな人間の根城へ自ら赴くレオナ。意識のない仲間を巻き込むのは少し気が引けるが、ソロだって起きていればジェリーの後を追いかけるはずだ。レオナはそう確信していた。
そこからの、記憶がない。
「………………ハッ!」
長い眠りの末、レオナは目を覚ます。そこは森の中でもなく、ましてふかふかのベッドの上でもない。
「…………」
そこは牢屋だった。暗くてひんやりしている。窓がないので、地下室かもしれない。
一体ここはどこなんだろう。レオナは心の中で呟いてから、今までの記憶を探る。あの時おれたちは森で迷って、それから……。
「家に入った途端意識を失った」
「そうそれ………って、え?」
格子越しにジェリーがいた。暗い場所だが彼の姿はよく分かる。レオナはびっくりしながらパチパチとまばたきする。
「おはよう勇者様、よく眠れたかい?」
ジェリーは座ってニタニタと笑っていた。彼のそばにはスープに満ちた皿がある。レオナはちらりと視線を動かして
「おい、それは」
「ああこれ?エサだよ」
「エサぁ?」
「クックック」
だいたい察しがついた。このスープは、レオナの食事なのだ。
「家畜を餓死させるわけにはいかねーからなぁハーハッハッハ!」
高笑いの後、ジェリーはスプーンでスープをすくい、レオナに飲ませる。レオナは嫌そうな顔をして
「…………予想通りだけど不味い。藁みたいな味だ」
「へー、縋るワラすら液体だなんて、可哀想なヤツ」
ドライな言葉だ。なぜ、なぜジェリーがこんなことをしているのか。なぜ自分を助けてくれないのか。そういったことを、レオナは一切質問しない。きいてもはぐらかされるだけだし、何よりジェリーの気持ちは感じるばかりに伝わってくるから。
「……お前、いま楽しんでるだろ」
「ひゃははは!ご名答!流石は愛しい勇者様だぜ!ご褒美だ。俺様はな、あのババァと契約したのさ」
「契約?」
「ああ!アンタと引き換えにお菓子食い放題」
「……………」
頭を抱える。なんてこった。レオナは善意と友情をもってジェリーについて行ったというのに、ジェリーはなんと菓子欲しさにレオナを売ったのだ。
「お前なぁ……。わざわざそんなことしなくても」
レオナは再度ぐったりする。本当は「おれは菓子よりも価値が低いのか」などと冗談をかましてやりたい気分だったが、軽口をたたく元気がない。
とはいえレオナもジェリーの真意、つまりジェリーが何を考えて何を欲しているかは完全には分からないのだ。実は彼の行動に特に深い理由はなく、単にレオナで遊んでいるだけ………だったら良いのだが。
「で、ソロはどこにいる」
ミシ、とレオナは鉄格子を掴む。ジェリーはその手を愛おしそうにさすりながら
「ふふん。アンタの持ち物は全部ババァのコレクションルームにある。元金ヅルもそこに飾られてるぜ。アイツは見てくれだけは良いし、とりあえず割られたりはしてねェよ」
「そうか……よかった」
レオナは胸をなでおろす。もし無事でなければ老婆はタダでは済まないだろう。もしかしたら、ジェリーも。
ジェリーは鉄格子をぺちぺちと叩き
「さァて勇者様。このまま老婆に殺されたくなければ、頑張ってこの煉獄から脱出することだな」
「えっそんなんで良いのか?」
レオナは信じられなさそうな目をして鉄格子をギュッと掴む。
バキッ。折れた。
「……………………」
ジェリーの冷めた目が痛い。レオナは気まずそうに目を逸らすが、悪いのはどう見てもジェリーと老婆であり、こちらが責められる謂れはない。それに今のレオナには、自分の命よりも守りたいものがある。
「こうしてる間にもソロは寂しがっているかもしれない……行くぞジェリー!」
「あーハイハイ」
手を引かれながらジェリーは激しく後悔する。やっぱり元金ヅルとコイツを物理的に引き離すべきではなかった、とかなんとか。
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