第9話 堕ちた勇者と天使のつぼ・上
これは なんですか 勇者はきいた
まおうに やかれた おヌシのいえの 写真だ
勇者よ この写真を まいにち みろ
そして まおうへの にくしみを おもいだせ
十字架を想像してもらいたい。
まず、真ん中にあるのがふもとの村。堕ちた勇者レオナが近所の山に住まい、住人に排斥された名もなき村がそこにある。
そこから少し東にあるのがカロの村。かつて二人組のヒーローによって村が分裂し、長い争いを続けていた悲劇の村だ。
そしてここは、カロの村からやや北にある小さな街。
今回の舞台は、街である。
「街と村の違いって何だ?」
「知らねえよ。人口だろ?」
ジェリーはレオナの唾液を摂取しながらこう言った。
「定期的に食わないと肉が悪くなるからな」
「よしよし」
レオナはジェリーの頭を撫でる。まるで雛に餌をやる親鳥の気分だった。
「今度の街は、ちゃんと住める所だと良いが……」
サングラスを掛けながらレオナは言った。何者かの策略で悪魔の領分に堕ちたレオナは、こんな自分でも受け入れてくれる街や村を探している(前回立ち寄った村は訳アリだったので断念した)。故郷にすら勘当されたレオナは安息の地が欲しかった。
しかしレオナはそれと同時に、ジェリーと旅を続けたい気持ちもあった。レオナにとってジェリーはたった一人の大切な友達だ。ともに過ごした時間は短いが、それでも彼は離れがたいのだ。こうして悩み続けてはや数日。青い心は、未だ揺れている。
日差しが気持ち良い日だった。レオナは来たばかりの街の市場で食糧と水を確保する。悪魔になっても、定期的に飯を食わないと生きていけない。ジェリーの場合はそれに加えて他人の血肉が必要だった。不便な身体だ。
この街には大きな教会があった。白い壁が美しく、屋根には大きな鳥が止まっている。田舎出身のレオナは興奮せざるを得ない。
「よっ勇者様」
「ジェリー」
またどこかで遊んできたのか?とレオナは笑う。
「そうそう。この街、面白れーモンがあるぜ」
面白い、といってもジェリーが言うのだからロクなものではなさそうだ。
「名付けて人の善悪を測る“天使のつぼ”。どうだ?行ってみねえか」
「遠慮しておく。今日は頭痛がするんだ」
「そりゃこんなところにいるからだろ。さ、行こーぜ」
ジェリーに手を引かれたレオナの心臓が跳ねる。一方的だ。一切抵抗出来ないなんて今日は本当におかしい。そう考えているうちに白い教会がどんどん遠ざかっていった。
ジェリーが言った“天使のつぼ”は小さな雑貨店のすぐ前、丸椅子のような白レンガの上に置かれていた。
人がそこそこ集まっている。そのうち一人が、すらりとした瑠璃色の、美しい器の口に手を入れている。
「あれが天使のつぼか」
レオナはその美しさに見惚れるように言った。
「確かにあれじゃ天使と呼ばれるのも納得だな。けどなんであの人は手を……」
「おお、金貨だ!」
つぼに手を突っ込んでいた男が叫び、中から金貨を取り出した。
「おおー!」
男を見守っていたギャラリーが湧く。
「善人おめでとう」
「おめでとう!」
善人?どういうことなのかレオナにはサッパリ分からない。
「あのつぼは、善の心を持つ者には金貨を与えるのだ」
急に人の良さそうな老人が話しかけてきた。レオナが緊張しているとジェリーは「な?おもしれーだろ?」と小突いてきた。
「金貨の数はその人の善人ぐあいによって決まるんだ。もちろん枚数は多い方が善い。ちなみに悪の心を持っていると、つぼは臭い匂いをお見舞いするぞ」
老人はウインクして人懐っこそうな笑みを浮かべる。レオナは楽しそうに
「へえ、まるで錬金術だな。おれも手を入れてみようかな」
「いいなそれ。アンタなら絶対おもしれーことになるぜ」
「おいそりゃどういう意味だジェリー」
「馬糞忍ばせてる奴が善人なワケね〜」
「今はもう持ってないって言っただろ!」
くだらない言い争いをする二人に老人は微笑ましそうな顔で
「若い頃のワシとばあさんにソックリだな。さ、行って来なさい」
そっとレオナの背中を押す。ギャラリーは彼に道を作り、レオナは少し恥ずかしそうに前に出る。
「うわ……」
間近で見るとますます綺麗だった。呑まれそうだ。そんなことを考えながらレオナは深呼吸して、天使のつぼに手をいれる。
「ん………」
少なくとも臭い匂いではなさそうだ。指を伸ばすと、硬いものがカチリと動く。
レオナは恐る恐るそれを取り出した。本当だ。金貨が出て来た。しかも………
「十枚!?」
「すげえ!」
「こんなにたくさん、初めて見た!」
ギャラリーが大騒ぎする。この反応だと十は相当な数字なのだろう。
「おめでとう!超おめでとう!」
そうやってチヤホヤされるレオナをジェリーはつまらなさそうに眺めながら
「アイツが善人だと?あのつぼ、頭がおかしくなってんじゃねえの……」
「ジェリー!」
レオナが嬉しそうに駆けよって
「これでしばらくは金に困らないぞ」
「それは確かに良かったが」
手に入れた金貨は好きに使って良いルールだった。金貨が偽物でもない限り、本来は盛大に喜ぶべき状況なのだ。
「おめでとう若人。ワシも鼻が高いよ」
さっきの老人がにこやかに歩み寄り、レオナに温かい目を向ける。
「と、いうわけで……」
そしておもむろに手を出した。
「?」
「アホ!このジジイ、お礼にいくつか寄越せって言ってんだよ!」
ジェリーが小声でアシストする。しかしもう遅い。老人は相手に有無を言わせないアルカイックスマイルを浮かべながら
「善人は善人らしく、ね?」
よく見たら老人はボロボロの服を着ていた。全てを察したレオナは苦い顔をしながら金貨を渡す。
「やや、ありがたい!」
老人はレオナを大声で讃えると、その場から駆け足猛ダッシュで去って行く。とてもエネルギッシュな動きだった。
レオナの手のひらには金貨五枚がある。すべてタダで手に入れたのに、虚しさが残る。
「このカモ」
ジェリーは恨めしそうにレオナを突っつく。
「今からでも追っかけて殺せ!」
「ダメだ。それに金貨が欲しいなら、お前も手を突っ込めばいいじゃないか」
「ボケてんのかテメェーッ!」
二人のやりとりにギャラリーがどっと笑う。そのせいか、天使のつぼがひとりで動きだしたことに誰も気が付かなかった。
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