幕章 託される意志への案内文

……女王ルネアが生きた時代から、幾ばくかの時が流れた。約三〇〇年後、法王歴九八五年。


 【ノア】世界の地の底、過去に棄てられた大地。厚い濃霧と雲に閉ざされ薄暗闇に沈んだ世界。生ある者が姿を消した地表では、無造作に鉄の箱が散らばっていた。等身大の長さと五角形の造形は、嫌でも死者の棺を連想させる。


 鉄箱の蓋は、一つだけ開いている。開いた箱の横に、生身には猛毒となる土にベタリと足を広げて、座り込んでいる女性が居た。長い黒髪の女性は、赤い首飾りの宝石から宙に映写される映像を観ている。


「……ルネア…………」


 黒髪の女性の瞳から、涙が零れ落ちた。首飾りを掴む手を握りしめ、ぎりぎりと軋む音が鳴っている。





 彼女の名は、テミス。永妃ルネアの実の姉だ。


 テミスは記録映像を見終わった後もしばらく泣き続けた。数刻してから、意を決したように立ち上がり、棺の鉄箱に向かって歩く。蓋が開いた鉄箱のさらに奥側、もう一つ置かれた箱に近付くと、鉄箱表面を撫でるようにして操作盤を開き、操作し始める。すると、密閉された空気が逃がされる音とともに、鉄箱の蓋が開いた。


「……おはよう、ロミネ……」

 テミスが見つめる視線の先で、徐々に開いて行く鉄箱から、女性の顔が現れた。梅鼠色の鮮やかな髪を持つ女性は、眠ったまま目を開かない。身体も生身ではなく、つるつるとした素材の防護服のようなものに包まれている。頭から首まではいっそう固い硝子のような球状の物体が覆っていた。


 テミスは前屈みになると、眠った女性の顔に近付き、頭を覆う球場の物体越しに口づけした。反応が無いことは承知していたのか、特に感慨もなく離れる。そして鉄箱そのものを片腕で抱え込むと、頭・肩・腕の三点を支えにして、いとも簡単に持ち上げてしまった。常人の力では不可能な運び方だ。テミスは、その箱一つだけを持ったまま、何処かへと向かって歩いて行った。

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