40話 管理者
ディルが戻って【ノア】で見たのは、機械体という人間であったはずのテミスがばらばらに砕かれて残骸と成り果てた姿だった。周囲にはねじ曲げられたかのような無残な亡骸も転がっている。中心で相変わらず下手くそな笑顔をつくっているコルヴァが待っていた。
(テミス……)
ディルは一度、思念通話を試みた。当然返事はない。
父の知り合いだったという彼女は、イブのために多くの犠牲を払って死んでいった。『アナンシの炎』の所属者からも、ただの一度も【ノア】を救ってくれ、と言われたことはない。彼らは彼らなりに罪を償おうとしていた。時間稼ぎをしたのは、自分が来ると信じていたからだ。カインがユリアスを倒すと信じているからだ。
「遅かったですね……ディルさん。ちょうど、皆さんを殺し終わった所でしたよ」
一方で、水を差すように平坦に喋るコルヴァには、同情の念を覚えた。
憎くて憎くて、妻の仇として殺したくてたまらない相手は、つまるところ独りで【ノア】のために命を捧げさせられている犠牲者でもある。残虐にテミスを殺したのも、ディルには幼子が癇癪を起こしているように見えた。この侵略者を最も理解しているのは恐らく自分であろうと、ディルは考えていた。
『情にほだされんなよ』
(わかってる)
『しかしまあ、憐れではあるがな』
オラドも注意を促してから、切なそうに呟いた。
その後は、ディルとコルヴァの間で誰のためでもない語らいが少しだけあって、殺し合いになった。
機械体のコルヴァと複数個の〈魂〉を持っているディル、人の身を超えた二人は数日を跨いで戦い続けた。力尽きた方が死ぬ、隙を見せた方が死ぬ、そういう戦いだ。
しかしディルは、コルヴァにこれまでにない異変を感じていた。何か、惑っている。ほんの僅かだが、衝動的と思われる力の入れ方をしている。だからディルは、やがて見つけ出すことができた——勝機を。巨大な大剣を振るい上げ、白い男の身体に打ち付けると、決着が付いた。
後は限界を迎えた身体とともに朽ち果てるつもりだったのが、思わぬ形で、殺し合った相手と一体化することとなり、ディルは生き延びた。
◆ ◆ ◆
【ノア】に溜めこまれていた〈剣の神子〉の命を使い、イブとノアを分断した。カインとクリスティ——レオとメアリに最後に会えて本当に良かった。
ディルはノア人の保管庫に大剣を刺し込んで、眠っているノア人の最後の一人を始末し終えた。
ディルは今、青目と赤目を持つ、白肌の男の身体になっている。その中でディル、オラド、コルヴァの意思が同居している状態となり、身体を動かす主人格はディルだ。【ノア】に眠っている人々を殺すと決めた時、ことを終えたら死ぬつもりでいたのだが、存外にオラドとコルヴァが楽しそうにしているので、少しくらいはこのままで、と考え始めていた。
『終わったか? ご苦労だったなディル』
『お疲れ様でした。これでノアでは唯一の生き残り、最後の生存者となりましたね』
『本当かよ、コルヴァ。お前あのアナンシの奴ら、見逃してたじゃねーか』
『彼ら、毒素だらけの地上に眠ってたんですよ。遠すぎて探知できなかったんです。機械体っていう利点をうまく活かしてますよねえ。一応、地上まで見に行きますか?』
『いい、いい! 面倒くせえ!』
性格的に真逆ともいえる二人が話していると滑稽で、ディルは苦笑してしまう。まるで子供の頃のレオとユジェみたいだ。役目を終えた大剣を放り棄てて、ディルは施設内の床に大の字で寝転がった。
『……ノアは滅亡ですねえ。どうしましょうか、この後』
『どうしましょうって、そりゃお前…………、あれ……?』
その時、何気なくコルヴァが口にしたことに対し、オラドが動揺を見せた。ここまで会話に口を挟まずにいたディルだったが、妙に気になった。
「どうした?」
『……なんか、オレらが次にするべき、っていうか、ルール? みたいなのが……分からねえか? 【ノア】って世界が終わって、滅んだだろ。そうすると
『それは創世記の話をしているのですか? 五〇〇〇年近く前の言い伝えなのですが……いや、オラドさんはイブの方ですから知らないはずで……?』
「……何だこれは」
どちらかといえば感情的に話すオラドらしからぬ物言いでコルヴァもディルも戸惑ったが、次第に様子が変わっていった。
ディルの中で、誰かに教えられたわけでもなければ、覚えたこともない知識が急に浮上してきたのだ。それはただの思い込みや勘違いと考えられないほどはっきりと意識に刷り込まれ、浸透した。三人のうちの誰かではない、もっと巨大で超常的で不可侵のもの——いうなれば、神に近い——そういった力が働いていると、直感的に悟った。
次の瞬間、信じられないことが起こった。
鈍色に染まった空、機能だけが詰められた施設、塔、ここからでは見ることもできない遠い地上。それらが白い光に包まれ、ゆっくりと時間をかけて消え去ったのだ。次いで、何もない世界に空が生まれ、大地が生まれ、水が生まれ——決まっていたかのように創造されていく全てに恐怖すら覚えた。まさに神の所業だった。
ディル、そしてオラドとコルヴァはそれらを呆然と眺めながら、しかし何が起きているかだけはよく理解していた。
ある世界が滅んだ際に、最後の一人になった者。もしくは三つの〈魂〉を持つ存在となった者は、次世界の《管理者》となる。定められた契約のどちらとも合致したディル達は、当人達が望まないにしろ、神に近い存在へと創り変えられてしまったのだ。
ディルは夢物語のような光景を目にしながら、自らに課せられた生ある者の苦しみが継続すると知って、笑わずにいられなかった。犯した罪にこれ以上相応しい刑罰もあるまい。遙か遠くとなってしまった親友と娘の姿を思い浮かべながら、涙を零した。
《了》
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