34話 交織

──法国歴一〇一九年、南部コルーテナ付近、聖地レ・ユエ・ユアン前。


「では聖地に入る。お前も同行しろ」

「はい、兄上」

 赤毛の偉丈夫と少女が、形式ばったやり取りを交わしている。体格と年齢こそ違えど、二人の顔立ちはとても似ている。暗い表情の少女は、採取用の器具を抱え、馬に乗っている兄の後方に立った。


「マキナ様、乗せてやればいいのに……」

「しっ、殿下に睨まれるわよ」

 臣下達がこそこそと噂立てしている。赤毛の少女は兄上に申し訳ないな、と考えていた。赤毛の少女――マキナは生まれながら身体が弱く、特異体質で〝雨〟の気配がわかる以外には、特段皇族らしい才能を持ち合わせていなかった。だから兄・フォルクハイムが自身に冷たく振る舞うのも仕方ないことだ。


 兄と臣下たち、神子に続き、聖地レ・ユエ・ユアンの領地に足を踏み入れた。〝雨〟が防雨用の外套に当たってばつばつと音を立てる。雨音で互いの声は聞こえないため、皆黙々と作業に没頭している。

 マキナも〝雨〟を採取し、薬剤と反応するのを確かめてから、腰に装着した雑嚢に仕舞いこむ。二本、三本と集中して作業を進めているうち、マキナは周囲に異変が起きていたことに気付いた。〝雨〟が消失し、淡い薄黄色の空間が広がっている。臣下達や兄の姿が見えなくなり、数メイルおきに光球がぷかりと浮かんでいる異様な世界。そして無音だった。


「なにこれ……」

 マキナは呆然とする。神隠しだろうか。全く知らない土地に迷い込んでしまったようだ。


「ここは〝隔世の隧道〟。イブとノアの双世界を繋ぐ、〈魂〉の世界よ」

 動揺するマキナに、さらに予期せぬ出来事が起きる。聞いたことのない女の声が響き、話しかけてきた。声のした方向へ振り向くと、そこには黒髪、黒い服を纏った女が立っていた。女はほんの僅かに笑みを浮かべていたが、瞳はまったく笑っていなかった。

「私はテミス。ノアの戦士……」

「ノア……?」

 マキナが聞き返すと、テミスは静かに語り始めた。

 もう一つの世界【ノア】の存在と、法王の正体。すでに進んでいる〈魂〉の侵略。これからイブ世界に起きるであろう出来事。南部アルマスから〈剣の神子〉を狙った襲撃がはじまり、数年で世界中に広がる。ノアの勢力は帝国と法王領を支配するようになり、大陸中から人々をノアへ連れ去っていき、彼らの〈魂〉を資源として消費する……。


「未来予知……? アルマスが狙われるって、どうして先のことが分かるの?」

「ノアとイブのこれまでの統計、歴史や傾向から推測する仕組みがある。敵からすればアルマスは今、ラフェトゥラ大戦の影響で戦力を消失していて、最も攻めやすい土地だから。……帝国皇族であり、強い影響力を持つことができる貴方に、イブを託したい」

「託すって……」


 テミスの言葉に、マキナは無意識に俯く。今の自分に影響力があるとは思えない。どちらかといえば役立たずの皇族として、後ろ指を指される存在だろう。そんな様子を見かねてか、テミスは衝撃的なことを口にした。


「がむしゃらにやる以外、あなたには無い。敵はあなたの命を利用する。……、帝国と法王領は戦争を始めるんだ」

「‼️」

 マキナは息を呑んだ。つまりそれは、自分の命は狙われていて、先が短いということ。確かに敵にしてみれば、戦うことのできない皇族を仕留めるのは容易いだろう。どちらにせよ自分に選択肢は残されていないのだ。


「テミス、私はどうすればいい? 一体どうしたら、イブを救える?」

「皇族の立場を使って、各国の〈剣の神子〉や為政者と繋がりを作っておく。そして後継者を見定める。あなたが死んだ後も、後継者はあなたが繋げた勢力で団結し、ユリアスに対抗できるはず。奴らは今、イブ人を分断することで意のままに操っている。逆をやるんだ」

 自らがするべきことを理解し、マキナは頷く。どうせ殺されるならやるだけやった方がいい。皇族としての矜持にかけて、覚悟を決めねばならなかった。


「……皇帝にはすでに敵の手が及んでいる可能性があるから、協力を仰ぐなら兄までにしておいて」

「わかったわ。……ねえ、聞いてもいいかな」

「何を?」

 マキナが尋ねると、テミスは僅かに首を傾げて聞き返してきた。ノア人だという彼女は、どこまで信用できるのか定かでない。マキナは生来から持つ体質で、人の本性を直感的に見分けられるが、テミスは『無』だった。淡々としていて、機械のように感じた。

「どうしてノア人の貴方が私たちに協力するの? それに、なぜ兄上でなく私を選んだの?」

 その瞬間、ここまで能面のような表情しか見せなかったテミスの顔が歪んだ。深い深い絶望と、孤独と悲壮を感じる表情。多くを喪った者の心の動きを見た。


「……〈魂〉の侵略を、身勝手な故郷ノアをどうしても許せなかった。あの男には、両親と妹を、友や愛する人を奪われた。あの男が、望む世界なんて……」

 絞り出すような声でテミスは答えた。私怨。復讐心。そして自らを正義と信ずる心。彼女はいったい何年、戦っているのだろう。不安定で崩れかけている心情を感じ取り、それでも信用に値すると判断した。テミスは『無』ではない、そう取り繕って何とか戦っている、ぼろぼろの人間なのだ。


「……マキナを選んだのは、弱くて聡明だから。痛みを知らない人に弱者との信頼関係は構築できない」

「なるほど」

 次に口を開いた時には、テミスはすでに能面の顔に戻っていた。彼女の言葉はマキナにとっては納得できるものだった。感情的であるからこそ、真実。皇族として生まれて、居場所を見つけられずにいたマキナにしてみれば、天命のようにさえ思えた。


 するとテミスは無言で、何かを差し出した。両手を広げて受け取ろうとすると、ちゃりちゃりという音ともに手渡されたのは、赤い宝石のついた首飾りだった。


「あなたの後継者に渡して。それはイブと【ノア】を行き来できる力を持ってる」


 首飾りを受け取った途端、マキナの周囲の様子が慌ただしくなる。薄黄色の空間が捻じ曲がり、テミスの姿も折れ曲がって映った。


「託したよ、マキナ」


 テミスの祈るような声を最後に、マキナは〝隔世の隧道〟から送り出された――。










「殿下! お戻りになられました!」

「マキナ!」

 マキナがレ・ユエ・ユアンから戻ると、調査団がどよめき、兄のフォルクハイムが駆け寄ってきた。


「無事か? 姿が見えなかったので探したぞ」

「兄上……」

 心配そうにこちらを見下ろすフォルクハイムに、マキナは胸の底がじんとする感覚を覚えた。兄は体面として冷たく接しているだけで、本来はとても自分のことを想ってくれている。聖地で起きた出来事を反芻し、マキナは再度兄を見上げて口火を切った。


「帝国に戻りましたら、お伝えしたいことがあります。兄上と、クレフェルド兄様にも……!」

 フォルクハイムは、マキナの眼差しの強さに思わず息を呑んだ。皇族に生まれたばかりに生きがいを奪われている妹。それが、まるで死地を見てきたかのような壮絶な決意を灯している。クレフェルドは事情が分からぬままに頷いた。良からぬことが、何かが起きる予感だけを抱いていた。

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