35話 復讐

──法国歴一〇二四年、アルマス付近。


 あいつは何処だ。

 ユジェを殺したあの憎い男、あいつは何処だ。

 絶対に殺さなければ。絶対に……!


 全身を濡らす〝雨〟のせいか、全身が枷を付けられてしまったのかのように重く、言うことを聞かない。それでも復讐心のみを焚き木にして、引き摺るように進み続ける。故郷も家族も失い、身体さえ溶けて半崩壊している男——ディルは、自らの身を顧みる暇もなく、アルマスを滅ぼした白い男を追っていた。

「!」

 片眼が見失いかけていた白い男の後姿を見つける。周辺の国や都市からは逆方向に進んでいくので、何処を目指しているのか全く分からなかった。驚くべきことに白い男は、聖地レ・ユエ・ユアンへ真っすぐ進んで入っていくではないか。


「どういうことだ……?」

 ディルは思わず呟いた。この土地は聖地と呼ばれてはいるが、止むことなく〝雨〟が降り続けているだけで、それ以上何かがあるわけではない。白い男の行動は不可解だった。

 とにかく見失わないよう後を追うしかない。故郷から借り受けた神剣『アルマス』が〝雨〟を浄化する。身体が剣を上手く持てなかったので、刀身の先端を折り、横腹に無理やり刺し込んでいる。その処置が功を奏したのか、もともと神子ではなかった筈なのに、気付けば〝雨〟の浄化ができるようになっていた。もしくはコラーダの神子を喰ったせい、だろうか。


『……おま……え……』

 前触れなく、頭に男の声が聞こえた。頭蓋骨を揺らすような不快さを伴っていた。

「っ! 何だ」

『おれを……喰い殺しやがって……バケモノが……』

 反射的に応答してしまったのがまずかったか、頭の中の声が言葉を続けた。

 喰い殺したと言った。思い当たることはひとつしかない。・オラドだ。ディルは復讐を果たそうという一心で、滅びゆくアルマスへ来ていた神子オラドと騎士を殺し、白い男に倣って心臓を喰らった。結果として〝雨〟に溶かされた身体を再度動かすことができるようになり、こうしてあの男を追えるようになった。


『……うまく生き延びたと……思うなよ……オレが永遠にお前を……苦しめてやる……』

「はっ、上等だ。苦しめてくれ。俺を……」

 随分とよく喋る幽霊だ。ディルは可笑しくなってしまって、〝雨〟の降る湿地に足を取られながら、せせら笑った。


 しかしその瞬間、〝雨〟の音も重苦しい聖地の土も、突然にして全てが消え去った。代わりに薄黄色で包まれた現実離れした空間が、目の前に現れたのだ。


 「……」

 思わず額を抱える。先ほどの幽霊といい、もう自分は精神が狂ってしまったのかもしれない。こんな幻影を見ている場合ではない。追わなければ。

 周囲を探ると、かなり遠方にだが男が歩いている後姿が見えた。だが男の身体には〝雨〟が降っている様子もないし、足行きも軽くなっている。まさかこの空間は幻影ではない、のだろうか。ディルが僅かにその考えに及んだとき、また別の変化が襲い掛かって来た。

「っ! うっ、ぐ……」

 急に動悸が起きて息苦しさに襲われる。ディルは胸を押さえたまま崩れ落ちるように倒れた。懸命に息を整えようとするが、ひゅう、と掠れた息しか入ってこない。こんな所で寝ていられない。戦わなければ、追わなければ。逸る気持ちと裏腹に、身体の感覚も意識も遠くなっていく。


『ざまあみろ。お前はここで終わりだ。何もできないまま、な……』

 オラドの幽霊が静かに言った。ディルはあまりの無念さに自分自身を斬り刻みたい想いだったが、もう指の先も動かせない。無様なものだ。だが自分にも死の救いが与えられたことだけは神に感謝した。柔らかい光が呑気に漂う下で、意識を手放した。







「……?」

 どうしてか、ディルは再び意識を取り戻していた。もう二度と目覚めないと思っていたのに。

 視界に入ってきたのは、見たことのない様式の建物の内側だった。天井が低く、支柱の数も少ない簡素な造りなので、簡易天幕のようなものだろうと予想した。ディルはあの無残な身体をきちんと治療されたうえで、寝台に寝かされていた。身体がを取り戻している。


『ちっ、目が覚めやがったか。オレが乗っ取ってやろうと試してたのに』

 頭の中であの幽霊が喋った。声の聞こえ方がかなり明瞭になっている。

「お前はオラドなのか? 何でそこに居る?」

『あ? 知らねーよ。てめーが喰ったんだろ。絶対にオレがこの身体で成り代わってやる』

 しっかり会話までできてしまったあたり、本当に幽霊ではないらしい。しかし、アルマスで同盟調印を進めていた時の印象とはまるで別人だ。どうやらこっちが本性であるらしい。


「ここはどこなんだ……」

 ディルは誰へともなく呟き、身体を起こして寝台から降りる。全身の気怠さもなくなっていた。むしろ、かつてなく身体が軽い。大剣と壊れかけの装備は寝台脇にまとめて置かれていた。ディルは大剣と神剣『アルマス』を剣帯に装着し、腰にまわす。横腹に刺した『アルマス』の欠片が、食い込んで痛みを発した。


 簡易天幕らしき建物から出ると、辺りに同様の天幕がいくつも並んでいた。アルマスやコラーダでも見たことが無い、つるつるとした素材と金属が多く使われているようだ。天を仰いでみるが、空が見えない。厚く汚れた雲に阻まれて薄暗い。ディルが様子を窺いながら歩いていると、遠方で複数人の集団が居るのが見えた。

「テミス! あいつが起きたぞ!」

 声をかけるより早く、あちら側が気付いたようだ。見知らぬ青年が声をあげた。

「……」

 ディルは思わず言葉を失ってしまった。集団の人々は全員見たことも無い意匠の服を纏っていて、素材も予測がつかない。装備も剣ではなくて筒状の細長い武器のようなものを所持している。そしてだ。異常な集団。いや、おかしいのはこちらなのだろうか?


 そのとき、集団から黒髪の女性が一歩進み出て、声を掛けてきた。赤い瞳と黒い長髪。生前のオラドにも似ている風貌だが、全身を黒くつるつるした繊維の服で纏っている、黒い女。


「混乱しているわね。私はテミス。ここのリーダーよ」

「テミス? ……お前達は……何だ? なぜ俺を助けた。ここは、一体……」

 頭がおかしくなりそうだった。狼狽え、後ずさりする。テミスが早足で近付いて来て、肩を支えた。


「落ち着いて。あなたが今いるのは、イブ大陸じゃないわ。【ノア】よ」

「ノ……ア?」

「聖地レ・ユエ・ユアンから通ずる別世界。〝雨〟をつくり、送り込んだ……すべての元凶」


 信じがたい話に、ディルは一時呼吸を忘れた。女の赤い瞳の奥で、金属が動いて擦れる音がした。

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