36話 黒鬼
ディルはテミスの率いる集団による簡易的な司令部、要するに天幕内の椅子へと掛けていた。正面でテミスが顎に手をやって考え込んでいる。その間も、赤い瞳から小さくカシャカシャ、という音が聞こえてきた。テミスと名乗った女は、人ではなかった。厳密には人間ではあるらしい。だがディルにはとてもそう思えなかった。機械と金属でできた身体の、人間。
この女が率いている『アナンシの炎』という集団は、ノア勢力に抵抗すべく組織されたのだという。戦備や医療、見たことのない器具や、情報を計算するための機械などを保持していて、勢力の大きさを目の当たりにした。
「貴方は本当に、どうやってその状態を保っているのか……私達にも分からない。頭の中でもうひとりの声がするのよね?」
「ああ。俺の身体に対して直接何かができるわけではないが、感覚や記憶は共有しているらしい」
頭の中でケッ、とオラドが毒づいた声が聞こえる。
「人間の……神子の〈魂〉が宿った心臓部を直接体内に取り込んだから、互いの〈魂〉が心臓で同居しているのか。だから神剣を扱えるように……。あの重症でも死なずに済んだのは、他の騎士達の〈魂〉を
『使った?』
「使ったとは?」
頭の声とほぼ同時に声を発した。
「〈魂〉は……リウという力に変換できる。
『〈魂〉を消費って、んな、バカな……』
頭の中でオラドががっくりと息を付いたのが聞こえた。当然だろう。仲間をディルに喰い殺され、死してもなお〈魂〉を道具のように消費された、など。オラドはこちらには何も言わなかったが、ディルは一生背負わねばならない罪を、またひとつ増やしたことを理解した。
「リウこそが、〝雨〟や神剣、レ・ユエ・ユアンを造った力。ユリアスのようなノア人が他人の〈魂〉に潜ませて他者を操ったり、国を乗っ取る際にも使っている」
テミスが淡々と話を続けるが、またも信じがたい情報が耳に届き、ディルは頭を抱えた。
「待て。……〝雨〟や神剣が造り物で、ユリアスがノア人? 一体、ノアの奴らは何を企んでいるんだ」
受け入れがたい事実ばかりが叩きつけられ、ディルは狼狽していた。しかし、テミスはそんなディルを逃がすまいとするように、両肩をがっしりと掴んで自身へと向けさせた。
「よく聞いて。このままではイブは滅びる。ノア人は、イブの人々の〈魂〉を回収してノアに持ち帰り、リウへと変換する。そうして永い時を眠っている同胞たちを甦らせようとしている」
「……っ!」
赤い瞳がこちらの心の深淵を覗いているようだった。ディルは視線を彷徨わせたが、やがてテミスの強い瞳に向き合う。
「俺にそれを言うのは、なぜだ。同胞を助けたくないのか。放っておけばお前達の望みは叶えられるんだろう? 信じるに値する材料がない」
ディルは疑いの目をテミスへと向けた。するとテミスは何故か目尻を緩めると、哀しげに微笑んだ。
「その言い方、似てるな。やっぱりカスターの息子だね」
「……父を知っているのか⁉︎」
意外なところで思わぬ話題が出て、ディルは動揺を隠せなかった。自分の父は、幼い頃に治安維持隊として活動中に亡くなったと聞いていた。その頃は幼すぎたので、今はもう顔も覚えていない。
「肩を並べて戦ったことがある。信念に忠実で、凝り深いところはあったが迷いの無い人だった」
テミスは、どこか懐かしむような眼差しを見せる。
「……我々は、『アナンシの炎』は望んでいない。同胞の命は確かに尊いけれど、だからってイブを無碍にできない。それに……イブに大切な人を置いてきた、命を預けた友人達も……。滅んでしまったら、彼女達の〈魂〉すらリウとして消費される。それだけは……受け入れられない」
懺悔するように語るテミス。ここまでの彼女の姿勢は無機質で鋭く隙のない、まさに機械そのものだった。ところが今の言葉は違った。ひどく悲観的で、吐き出すこともできない罪を抱え続けている人間のものだった。ユジェを救うことができずに彷徨う、みすぼらしい自分と近しいとさえ感じる。
「……話はわかった。助けられた礼も言う。だが俺は、あの男を追う。妻をああやって苦しめたあいつを、俺は決して許せない」
ディルは頷きはしたが、口にしたのは復讐の決意だった。心と頭に焼き付いて離れない、ユジェの悲壮な死に顔。心臓を抜かれる痛みを感じながら息絶えた妻。彼女の痛みを晴らさずには生きられない、死ぬこともできない。
それを聞いたテミスは、一瞬悲しくてたまらない、という眼差しを見せたが、すぐに無表情な能面の顔に戻る。
「コルヴァ」
テミスが感情の乗らない声で呟いた名が何なのか、ディルは無意識的に悟った。
「男の名は……コルヴァ。アルマスを滅ぼした、私と同じ……最強にして最後の
認識した途端、内臓が煮えくり返るような怒りに包まれた。あの白い男は、
「コルヴァは〈剣の神子〉の心臓を集めている。目的は眠っているノア人たちを目覚めさせるための起動熱量の確保、そしてレ・ユエ・ユアンの断絶。やつはノア末期の技術や機能を内蔵している最新鋭の兵器で、
テミスが続けた内容にディルは驚愕し、そして怒り猛った。テミスの肩を掴んで声を張り上げた。
「お前らは! アルマスが滅ぼされるとわかっていて、見逃したのか! 妻の死も、故郷も、お前が友と言った父の亡骸も……!」
身体を揺すっても、テミスはびくともしなかった。機械だからか見た目以上の重さがある。だがその表情は、悔しさを滲ませ赤瞳の中を薄く濡らしていた。
「……どうにもできなかった。私だけが足掻いても無力で、そのせいで大勢の仲間を死なせた。戦うならやり方を選ばなければいけない。アルマスを護る力を私は持っていなかった」
テミスの懺悔のような弁明を聞いて、ディルは肩を掴む力を弱めた。
「ただし今は、『アナンシの炎』の仲間もいる。コルヴァを起動する膨大なリウを掻っ攫って、仲間達の
「……そうか」
そこまで聞いてテミスの肩から手を離す。馬鹿馬鹿しい。悠長に待っていられるわけがない。ディルはすぐにでも殺しに向かいたかった。そんなディルの姿を見てか、頭の中でオラドがけらけらと嘲笑している。
「待って。戦う気があるなら装備品は提供する。ディル、あなたは騎士達のリウが取り込まれたお陰で、ただの人間ではなくなった。常人を越えた能力を発揮できる。やつを倒せる可能性はある」
テミスは何事もなかったように淡々と言ってくる。ディルは目を見開き、しばし逡巡してから頷いた。
「イブの人々が滅ぼされる、という話はどうなる? コルヴァが全ての凶事を行うわけではないだろう?」
「そっちは別で動いている。帝国皇族を味方に引き入れて、対抗戦力を集めさせている。いざ戦争が始まっても抵抗できるように」
「そうか……」
異存はなかった。ディルは憎い相手をただ追っていればいい。コルヴァとは、恐らく一度、二度の戦いでは済まないはずだ。住人達を守り切れずに巻き添えにする場合もあるだろう。弱い命を見捨てる。心を復讐に染め、ひたすら戦うことを覚悟しなければならない。鬼のようにして。
ディルは装備品に関してひとつ希望を出した。黒い鎧と角兜。民から恐怖され敬遠されるような外見であること。噂が立ち警戒されれば、無駄な犠牲を減らせるのでは——僅かながらの罪滅ぼしのように。
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