37話 血誓

 ディルはしばらくの間ノアに滞在した。『アナンシの炎』やテミスからは、他にも様々な情報を受け取った。〈魂〉を乗り移るノア人が相手の場合の対処法、リウの扱い方。遥か上空に見える塔、その最上階にある建物をコルヴァが行き来していること。


 ある時には、悪いけど目を閉じてじっとしてて、と言われたと思うと、テミスに口付けされた。何事かと思ったが、互いの持つリウを交換したらしく、必要に応じて頭の中で連絡が取れるようになった。思念通話、と呼ばれていた技術なのだという。

 

「私のリウがあれば、貴方も隔世の隧道からノアへ入れる。思念通話は助けが必要な時、情報共有すべき時、いつでもしてくれて構わない」

「ああ」

「君は私にとっては、友人が唯一遺した大事な人だから。『アナンシの炎』も含めて、上手く使って」

 テミスは相変わらず無機質じみた顔をしていたが、ディルはその奥底に灯る懐の深さを理解しつつあった。


 


 身体が癒えると、ディルは【イブ】へ戻ることにした。醜い身体は黒い鎧と角兜に覆われている。ディルは悪魔のようなおどろおどろしい鎧の奥に、心も隠した。どんな手を使ってもコルヴァを殺す。

「ありがとう、ディル。感謝する」

「礼を言うのはこちらだ。次に会うのは、いつになるか分からんがな」

 ディルがテミス達と握手を交わしあい、別れの挨拶をしている間も、頭の中ではひっきりなしにオラドが嘲笑してきていた。見た目だけ整えても無駄だ、お前には殺せない。ディルが言われたくないことばかりを選んで喋っているようだった。

『お前ェ、娘と親友に会ったらどうするつもりなんだ? 同盟相手の〈魂〉喰って生き延びました、なんて言えるか? 哀れだよな』

「……」

『……んん? お前……』

 理屈は分からないが、〈魂〉が融合するというのは、心も共有するものらしい。ディルが隠しておきたい本音は、オラドには常に筒抜けだった。ディルがいずれ果たそうとしている目的——目の前のテミス達の将来をも裏切る選択を、このとき察したようだった。


「ディル?」

 テミスに呼ばれて、はっと現実に意識が戻る。オラドと会話していると集中力が散漫してしまう。

「悪い。オラドと話していた」

「ああ、そう……」

 テミスは僅かに微笑む。すると彼女は突然、ディルの頬に手を添えてじっと見つめてきた。ディルは父の知り合いだというこのテミスを、協力者としては信頼しているが、人間としてはやや面倒だと思う。先日の思念通話の件もそうだが、無口が過ぎる。


「赤い瞳……。これは、オラドのだったね。彼の〈魂〉は、意外と私に近い間柄かもしれない。私の祖母はかつて【ノア】を独裁して牛耳っていた勢力を打ち破った英雄だった。私の機械体からだは祖母に似せている」

 思わぬ話題を投げられて、ディルの中のオラドも動揺したようだ。言われてみれば確かに、黒髪と赤眼が両者の外見的な特徴としては共通している。

「〈魂〉が近い間柄……?」

「レ・ユエ・ユアンが〝魂の還る場所〟と呼ばれるように、〈魂〉は流転し、繰り返し転生していくものなんだ。そして、生まれ変わった人間は、前世と外見的や性格的に似た特徴を持つらしい。人から聞いた受け売りだけど」

『へえ』

 頭の中でオラドが感心したように声を発した。〈魂〉は何度も現世に生まれ変わるということか。それなら、リウとして消費された〈魂〉は? わざわざ消費、と言われるくらいなのだから、戻りはしないのだろう。では、ユジェは……。

「テミス、ひとつ教えてくれ。消費された〈魂〉は、どうなる?」

「……消えるよ。生まれ変われなくなる。〈剣の神子〉は恐らく皆……」

 ディルは思わず視線を逸らした。ユジェはどちらにせよ消える運命だったということか。いや、もし隔世の隧道を閉じるのに、ユジェや〈剣の神子〉の〈魂〉を使うのならば、真の意味でのはディル自身だ。出来るだろうか、そんな事が。


『あ? じゃあ、やらねーのか? 【ノア】の奴らが目覚めて、数年したら世代も変わる。いつか同じことが繰り返されるだろうな?』

 オラドの言う通りだ。誰かが止めなければならない。そしてこの役目だけは、レオやメアリに背負わせられない。ディルは泣き出しそうな心を唾とともに無理矢理呑み込んだ。絶対に終えなければ。どのような憎しみを背負う事になっても。悲壮な決意がディルとオラドの間で誓いとして交わされ、ディルは〝黒鬼士〟を名乗るようになった。

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