38話 意志

『コルヴァがカイン達を連れてノアへ向かっただと? どういう意味だ』

『そのままだよ。やつの目的は私にもわからない、殺すつもりかもしれない。これから『アナンシの炎』でコルヴァを足止めに向かう。カイン達は助けるよ。多分時間稼ぎ程度にしかならないだろうけど……そうしたら後のことを、託せるね?』

『おい待て、勝手に決めるな。死ぬつもりか?』

『……それから、皇帝ハイデンベルグと〝劫火〟が接触した。恐らく〈魂〉は乗っ取られただろう、すぐに戦争だ。カイン達が無事逃げたとして、そちら側に戻るのは三日後だ。何とか皇帝を止め、彼らを救ってくれ』

『テミス……おい! 待っ……』


 突然始まった思念通話は、ディルの言葉はまるで無視して一方的に終えられた。舌打ちする。出会った時からだが、対処を心得られている気がする。テミスと友人だったという父親がそれほど似ているのだろうか。


『どうするんだ?』

「法王領へ戻る。幸い、帝国内に皇帝が居ないことは分かってる。戦争をしたいなら法王領の近くにいるだろう」

 不安げなオラドの声に返答して、ディルは踵を返す。三日で戻れる見込みはないが、急ぐしかない。水の都トリアでレオ達と遭遇してから、皇帝の動きを探るためにエルムサリエ帝国までやって来ていたが、思わぬ形で役立った。皇帝は突如、私兵と大部隊を率いて国を出たと聞き及んでいた。当然、示し合わせて戦端を開くつもりでいるのだろう。レオ達は法王ユリアスや皇帝ハイデンベルグがノア人に乗っ取られていることすら知らないのだから、遭遇すれば無事では済むまい。

 

『〝黒鬼士〟はカイン達の敵で、コルヴァを殺せれば何でもいい、っていうフリはやめるのか?』

 オラドはいつもの揶揄う口調で話し掛けてきたが、ディルはしばし逡巡したのちに答える。

「……娘と親友の命より大事なものなどないさ」

 盛大なため息が頭に響くなか、ディルの視線は法王領の方角を強く睨んでいた。


 




 同じ頃、【ノア】研究施設。


「テミス、思念通話は終わったのか?」

「うん。イブ側のことは託したよ。ディルとカインとクリスティがいれば、きっと大丈夫」

 『アナンシの炎』の仲間に聞かれ、背を向けたままで答えるテミス。『アナンシの炎』は、研究施設の奥方へ向かって走っていた。迷路のような内部構造はすでに把握済みだ。コルヴァがどういう目的で彼らを生かしているのか知らないが、何かを明かすつもりなら最奥部にいるだろう。あそこにはノア人達が仮死状態で眠っている。


 テミスは 『アナンシの炎』の仲間達と研究施設内を駆け抜けていたが、テミスは不意に走りを緩め、立ち止まる。仲間の一人が怪訝に思って声を掛ける。

「どうした、テミス?」

「皆は、……一〇〇〇年前から付いてきてくれてる。私たちは死地に向かう。未来ある【イブ】の地なら生き残れる、だから」

「今更だろ。俺達はいつでもテミスに従って戦うだけだ」

「……そう」

 自らが進むあとを付いてくる仲間達。ユリアスと対立することを決めた時、何を棄ててもいいと思った。だというのに、イブで出会った友人たちを喪ってからのテミスは、足を止めてばかりだ。今の自分に命を背負う資格があるのだろうか。迷いを払う時間すら、持てない。


「……行こう。あの化物を止めて、【イブ】の解放を……!」

 テミスは絞り出すように言って、走り出した。




 

『アナンシの炎』たちが最奥の保管室に辿り着いたとき、カインが剣を抜いてコルヴァと睨み合っていた。

「構えろ!」

 テミスが叫ぶのに従って、『アナンシの炎』はカイン達を庇うように陣形を展開し、薄気味悪く笑うコルヴァに銃口を向けた。


「あんたは?」

「私は、イブの協力者。ディルとマキナにも力を貸している」

「ディルとマキナに?」

 クリスティを庇い、剣を向けたままカインが聞いてくる。

 随分と大きくなった。アルヘナにそっくりだ。瞳の色こそ違うが、生真面目で優しそうな目元はよく似ている。意志の強い瞳、揺らがない精神。カスターとポールデューを失ってからのアルヘナは常軌を逸した様子だったが、『この子は絶対に死なないように』という彼女の意思は、体現されていたのだ。……良かった。


「……うん? テミスさんか。一〇〇〇年前に、反乱分子は根絶やしにした、と聞いていましたが。どうやって?」

「私の名も、きちんと記憶域メモリに入っているのか。さすがユリアス肝煎りの機械体サイボグ。」

 コルヴァが水を差すように尋ねてきたのを混ぜっ返す。明らかに不満そうな顔を向けられるが、コルヴァのあれは演技のようなものだ。隙をできるだけ作らないようにと、半身だけ振り向いてクリスティへと要件を伝える。


「君の首飾り、マキナから貰ったやつだね。それがあればイブへ戻れる筈だ。奴が言った通り、これからイブ世界で虐殺が起きる。早く戻って、止めて」

「何故だ。あんたはどうして、俺達を助ける? それに、あいつを相手できるのか?」

「こいつらの、ユリアスの行いは、人間のする事ではない。自分たちが生き残る為に、あなた達の世界全てを苦しめた。それに、私の姉妹も……。もう終わりにしなければならない、だから協力する。コルヴァの機械体は、当時最高峰の技術が詰まっている。我々も勝てるか分からないが、あなた達より抵抗できる。さあ、行って」

 カインからの問いに応じていて、テミスは声が震えそうになった。


 〈魂〉の侵略を憂いたルネアは、自殺行為のようにして国とともに滅びた。イブとノアを繋ぐ赤い首飾りは、命懸けで戦っていたマキナからクリスティに受け継がれた。故郷を守るために戦っていたカスター、彼の息子が〝黒鬼士〟として〈剣の神子〉を守っている。危険な世界で生き残れるようにと願ったアルヘナによって、カインが育てられ、クリスティを守っている。


 テミスはようやく自分自身の生きた意味を悟った。ロミネに助けてもらった命は、どこで消費すべきなのか、とずっと考えていた。命は消費するものではない。意志を、継ぐものなのだ。

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