31話 氷喰

 マリウス大河の流れに逆らうように北へ。東方に位置する国、グンロギ。領内の多くが穀物地帯で、豊富な資源を近隣国へも融通している。そのぶん軍事力が薄いのが欠点だ。だから《首喰い》に──〝氷喰〟によって支配下に置かれてしまったのだろう。

 グンロギに足を踏み入れた瞬間から、ピリピリとした緊張を感じた。住人たちは農耕に勤しんでいるが、誰ひとりこちらを見ない。それどころか、敢えて視線を逸らしている。テミス達も異様な雰囲気に呑まれて無言だった。

 農耕地を通り過ぎて、中心街を進んでいく。庁舎のような施設と集会場と、食堂や売店がいくつか。最低限の施設が並んでいる合間を通りすぎていくにしたがい、テミス達の周囲を歩く人々が増えていった。誰もが武器を持っている。誘導されていた。警戒しながら道なりに進んでいくと、広い空間が開ける。中心にただひとり、男が立っていた。



 金髪と青い眼を持ち、高貴な身なりをした大柄の男。目を瞠るような美貌を持っていて、一見すれば虫も殺せない優男にも見えるが──微笑む男が誰なのか、全員が悟っていた。テミスが一歩、進み出てその名を呼んだ。


「久しぶり……〝氷喰〟」


 すると〝氷喰〟は、微笑みから一変。憎くて憎くてたまらない、そんな憤怒に満ちた表情を見せて、重暗い声を発した。

「黙れ……『アナンシの炎』。俺の仲間の命を奪ったこと、許されると思うな」

 〝氷喰〟は懐から剣を抜き、テミスに向かってゆっくりと構えた。

「〝氷喰ひょうしょく〟って名前は……こっち側の〈魂〉の資源を削り取る役ってこと? 来る日のユリアスのしもべって意味ね」

「答える義理はない、と言うところだが……流石に鋭い。俺は《首喰い》達とともに、あの方の為に動く、それだけだ」

 テミスは静かな問答をしながら黒い刀を抜いた。呼応するように、カスター達も武器を構える。住民を装ってここまで誘導していた《首喰い》達は、じっと立って動こうとしなかった。息をも殺した睨み合いが続く。



「……僕が!」

 痺れを切らしたポールデューが果敢に飛び出していく。高く跳躍して、鉾槍ハルバードをくるくると回し、〝氷喰〟に襲いかかった。

 ところが、ポールデューが振り下ろした地点に〝氷喰〟は居なかった。忽然と姿を消した瞬間は、誰もが目を疑った。確実に傷を負わせられると見えた鉾槍の先は、土を抉っただけだ。僅かに逸れた先に立った〝氷喰〟は、天から降りるポールデューの身体に合わせて剣を掲げ、突き刺した。


「……ポールデュー?」

 ロミネが小さく聞いた。返事の代わりに発せられたのは、宙吊りのような形で〝氷喰〟に身体を貫かれたポールデューが、激しく吐血する音だった。〝氷喰〟は感情の揺れなく、汚れを払うようにして剣を振り、ポールデューの身体を地に放る。

「いやあああ! ポールデュー!!」

 アルヘナが叫んだ。〝氷喰〟は意に介さず、ポールデューが取りこぼした鉾槍を拾い上げ、手元でくるくると回しながら槍先を確認する。


「この槍がティハの亡骸を破壊したのか……。ちょうどいい。お前も同じ姿にしてやろう」

 テミスが駆け寄ろうとするより早く、〝氷喰〟は手慰みのようにポールデューの槍をくるくると回してから、地に伏せったポールデューに突き刺そうとした。両者の間にカスターが飛びこみ、大剣を前方に構えて槍を受け止めた。

「アルヘナァ! ポールデューを!」

 カスターが鋭く叫び、アルヘナが走り寄ってポールデューの身体を引き摺った。ロミネもすぐに駆け付けたが、ポールデューにはすでに息がなかった。傷口は心臓の真上にある。剣で狙って一突きにされ、即死だった。アルヘナもすぐに察したようで、涙が零れていった。


 カスターは〝氷喰〟の持った槍を大剣で塞ぎ、押し合う。カスターの表情は驚きと動揺で染まっていた。適当に扱っているようにしか見えない槍に、大剣が力負けしそうになっている。〝氷喰〟の方は嘲りも怒りも見せず、涼しげに美しいままだった。

「〝氷喰〟!」

 側面からテミスが決死に斬り込んだ。〝氷喰〟は空いている片手で剣を抜き、易々と受け止める。〝剛剣〟のカスターとテミスを、たった一人で相手取っていた。そして〝氷喰〟は微笑みを浮かべると、魔法のようにしてその場から


「っ!?」

 これまで力比べしていた対象が突然居なくなったため、カスターとテミスがよろける。二人の後方、背中側を取って〝氷喰〟は立っていた。

「後ろ!」

 ロミネが叫び、二人が振り向いた先で〝氷喰〟が剣を振りあげた。カスターとテミスが受け止め、刃が交錯する。間一髪だった。〝氷喰〟は忌々しいという顔を浮かべて、塵でも払うかのように二人の武器を弾いてから、やや後退する。

「あの女、リウを使った俺が見えるのか。ノア人だな」

 〝氷喰〟はそう言うと、テミス達を背にしてロミネとアルヘナを振り向いた。ロミネはびくり、と固まり、アルヘナは槍を持って気丈に睥睨する。


「……ああ……イズンの相手から逃げた〝土の民〟の女か。そのまま座っていれば、弟と一緒に死なせてやれる。今は後ろの女を寄越せ」

 アルヘナはすぐに首を振って拒絶する。

「死んでもお断りよ」

「ふん……」

 〝氷喰〟が剣を振り上げた時、アルヘナの身体をロミネが抱える。そして、〝氷喰〟がしてみせたように。ロミネとアルヘナは〝氷喰〟から数歩離れた地点に現れる。


「……今の……」

「アルヘナ。隙を見てポールデューを馬に積もう。いつでも逃げられるように」

 ロミネは冷静に言った。

 テミスの機械体を動かし、〝氷喰〟の身体能力を引き上げている、ノア文明の力──リウを使用することができるのは、ロミネも同じだった。

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