4話 望郷(2)

 ルネアは姉の一件からオーデンとやり取りをするようになり、恋人になった。ユリアスの後を追って連合政府研究所に入所して、管理や経理などの裏方仕事を行っている。いわゆるべた惚れなのだが、全世界を横断する組織の連合政府直轄の研究所所長、それどころか統合政府の技術最高責任者という肩書まで持っているオーデンは、当然ながら多忙を極めていた。


「この前は私に何も言わずに、四日も留守にして……彼にとっての私って何? もう辛いよぉ……ふえん……」

 ルネアの想いの強さとは裏腹に、オーデンとの仲はすれ違ってしまっている。姉テミスは、調整の終わった右脚部を太腿のジョイント部分に、がちゃん、と嵌め込むと、苦笑しつつも妹の頭を撫でてやった。

 「オーデンってほら、私たちより四〇〇歳くらい年上だから、価値観が違うんだよ。あたしから見てると、結構大事にしてるような気がするんだけどなあ。まあ、きっとすぐお誘いが来るって」

 オーデンに限らずだが、ノアでは〝リウ〟のお陰で数百歳の延命は当たり前となっている。ルネアとオーデンには相当な歳の差があった。そうやって励ましてやると、涙目のルネアは何とか頷く。ルネアの動きに合わせて胸から下がった首飾りがぶらぶらと揺れた。姉妹お揃いの、仲の良さを主張するようなお揃いの首飾り。青がルネアで、赤がテミス。オーデンからの贈り物だ。



 その翌日。研究所に出社してすぐに、ルネアはオーデンに呼び出された。何と、姉の言う通りの展開だ。ルネアは胸を期待に膨らませながら、彼に呼び出された第三研究用密閉室の扉の前に立ち、自動で開く扉の向こうを見た。


 眼に入ったのは、研究室の中央に置かれた機械体と、臓器の収められた透明な容器、それから蛇の様に無数に這い出た回路、配線。ルネアは研究者ではないので、何の研究がここで行われているのか把握していないが、一見しただけでも異様なものという雰囲気を感じ取る。期待していたものとは別方向の要件なのだと、すぐに悟った。


「な、何……ここ?」

「ああ、ルネア。朝早くから悪いね。どうしても話したい事があって来てもらったんだ」

 ルネアの様子を見ても全く普段通りの態度を崩さないオーデン。中央の処置台の横に立ち、にこりと笑ってそう言った。

 

「彼は、【ノア】の命運を任された人材さ。僕らが進めていく計画の最終的な柱になってもらう。……自前で脳を持っていないから、半ば強制的に協力してもらう、というのが正しい訳だけどもね」

 オーデンの言葉の意味が理解できない。ルネアは恐る恐る処置台に近付きながら、眼前の光景を受け入れようとしていた。


「僕らが進めていく計画、って……何のこと? 『生殖障害症候群』の事? 貴方が、もう数百年も各地を飛び回って治療方法を模索していたんじゃないの?」

 ルネアはオーデンからちょうど人間一人分程度の距離を置いて、聞いた。近付いてはいても、いざという時に逃げ出すことも出来る距離。彼女は恋人オーデンに恐怖を感じていたのだ。

「そう。その通りだよ。僕らはレ・ユエ・ユアンの向こう側に、楽園を見つけたんだ。その地を支配して文明と歴史を育てて、〝雨〟を浄化してもらう。そして〈魂〉が充分に得られる段階になったら、【ノア】を甦らせるんだよ」

 オーデンは、彼女と逢引して愛の言葉を囁くのと大して変わらない口調で囁いた。


 

 ルネアは、オーデンから計画について打ち明けられた。オーデンは、 『生殖障害症候群』が発見された時代から二〇〇年間に渡って研究を続けてきたが、治す方法は存在しない。このままでは人間は絶滅を迎えてしまう。

 〈魂〉が還る空間と言われている、レ・ユエ・ユアンの中で、自分たちが住んでいる世界とは別の異世界を発見したこと。【イブ】と名付けた異世界に〝雨〟を流して、一度、今存在する文明を滅ぼす。そして研究室の仲間とともに移り住み、宗教的な手法で浄化文明を築かせ、一〇〇〇年後にノアへと統合するという、その全てを。


 ルネアは驚愕するとともに、オーデンの告げた事実の裏で起こったであろう犠牲を思って、足が震えた。普段は見ることも触ることも出来ない空間であるレ・ユエ・ユアンを、物理的に通り抜けて異世界を発見したなんて、どう考えても途方もない量の〝リウ〟が使われている。年々出生数が減り続けていて、近年はリウの過剰使用は避ける様にと通達が出るほどだ。この【ノア】でそんな量のリウを得ようとしたら、手段は一つだ。二〇〇年の間、オーデンの研究のために、一体どれ程の人死にが出たのだろう……。

 そして今度は別の世界で〝雨〟を使って、人々と文明を操ろうとしている。ルネアは、恋人として連れ添ってきた相手が見ていない所で行っていた行為を、何も知らずにいたのだ。


「……僕の事が怖いかい? そうだよね。ただ、僕は……自分が生み出したものの責任を、取らなければいけない、それだけなんだ」

 オーデンは俯いて申し訳なさそうに言った。オーデンが言っているのは〝雨〟のことだろう。仕事や恋人として傍にいるなかでも、オーデンが罪の意識に苛まれ続けていることは明らかだった。その言葉で、ルネアの中で産まれた恐怖心は少し和らいだ。


 「……この、寝ている彼は……何と言うの? 顔が、似てない?」

 ルネアはオーデンにまた一歩寄って、処置台の上で寝ている機械体を指さした。

「彼はコルヴァ。ご両親がそう名付けるつもりだった……らしい。心臓だけの姿で生まれてきたから、精神的な衝撃を強く受けたようで、丸ごと引き渡されてしまったのだけどね。……僕は代わりに、彼の親になろうと思って。彼のすがたは、僕に似せているよ」

 機械体の青い瞳はオーデンのものにそっくりだった。ルネアはオーデンの発言のうち、『子供』ではなくて、『子供』というだけが気にかかった。ほら、また私は置いてけぼり。そのことが無性に腹立たしかった。


「元々は、君のにコルヴァと同じ役目を担ってもらおうかと思っていたんだ。だけど、とても仲が良さそうで、引き離すのも酷だった。だからあの時は一旦諦めた」

 オーデンは続けて衝撃の事実を口走った。姉テミスは、もし自分が居なければ同じようにされていたのだという。ルネアは、服に隠れている青い首飾りをぎゅっと握った。

「……私のこともあった?」

「それは、勿論」

 ルネアはこんな時だというのに、オーデンが自身を本当に愛しているのかどうか、そこに引っ掛かるのだ。口先だけとはいえオーデンから肯定されて、心の内が少し落ち着いた。

 

「……計画は、わかったわ。私に話したいことは、それだった?」

「そうだね。大事なのは、ここからだけど」

 オーデンにそう返されて、ルネアは思わずごくり、と息を呑む。これ以上の事実なんて受け止めきれる自信がなかった。だが彼の口から告げられたのは、思いも寄らぬ言葉だった。


「ルネア。僕は君にも共に、【イブ】へ渡ってほしい。一〇〇〇年という年月は余りにも長いが……僕には君が必要だ。力になってほしいと思っている」

 ルネアは驚いて、言葉を失った。

 果てしない犠牲を生む計画、まさにその一員として自分が参加する。動揺を押さえきれないまま、行き場のない視線が寝たままの機械体に向けられた。

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