3話 望郷(1)
翌日、ルネアは騎士ジョゼフを連れて、法王領ラ・ネージュまで足を延ばしていた。ティ・ルフ王国と法王領は領地が隣り合っており、建国以来、親密な関係を築いている間柄だ。
領内に入って大聖堂に向かうと、いつも通りに法王ユリアスが出迎えに見えた。軽く話をしたところで、まずルネアは法王に連れられて『禊』に向かう。これは聖職者と二人きりで話をし、必要ならば
『禊』の為に用意された、小部屋の扉をユリアスが閉じる。ここを閉じれば、全く物音が漏れない。二人で話している内容も、中で何をやっているかも、誰にも知られないという事だ。
平時通り立位を取っているジョゼフが、この扉を閉じる時だけは、とてもつもなく不安と不満が入り混じった顔をしている。ルネアが声には出さず、口だけ動かして『大丈夫』と伝えると、ジョゼフは一応、こくりと頷いていた。
「……よく来てくれたね、ルネア」
「オーデン!」
ルネアは、女王としての威厳を脱ぎ捨て、少女のようになってユリアスに抱き着いた。ユリアスもまた、〝オーデン〟という名で呼ばれて嬉しそうに笑い、ルネアを抱き止める。
「ルネア、国は変わりない? 南部やダムナティオ帝からのちょっかいは掛けられて無いかい」
「今の所大丈夫。ただ、境界線で小競り合いが多いって聞いて、そっちの兵を置いて貰ってるから、様子が聞きたかったの」
ユリアスに抱きしめられたまま、ルネアは顔を上げる。法王領の若き法王と、ティ・ルフ王国の女王は、今この場では、街中で佇む恋人たちと変わらなかった。
「境界線は問題ないよ。確かにちょくちょく戦いは起きているけど、今はすぐに鎮圧できる程度だ。ティ・ルフ王国まで被害が及ぶ事はあり得ない。だから安心して」
「そう、良かった……」
ユリアスの言葉に、ルネアがほっと息をつく。
「ダムナティオは、これまでの歴史上では珍しい人格の皇帝だね。彼は意図的に北部を仮想敵として、
南部の状況を聞いてルネアは唖然としてしまう。命を削っている神子たちが虐げられるなんて信じられない。褐色肌の人々は〝
「酷いわね……」
「仕方ない。
「……」
ユリアスはルネアを抱きしめた手を解き、顎に持っていったまま、頭の中で考えた内容をぶつぶつと喋り続けている。その姿を見ながらルネアは、全く変わらないな、と考えていた。
七〇〇年前、今の世界へと至る未来を決断した、あの時から。
イブより遥かに高い、空に浮かぶ世界。
かつての大戦によって失われた青い空には、〝雨〟による赤雲と汚染された黒雲が入り混じり、太陽の光は失われて久しい。高さを競うようにして、高層設計ながら色味に乏しい建物が立ち並ぶ、文明が発展した都市の一角に建つ病院。その一室で、黒髪の女性は怒りをぶちまけ、紛糾していた。
「お姉ちゃん、聞いてよ! オーデンったら、酷いのよ! 研究室だろうが、逢引中だろうが、いつもいつも上の空! 天才研究者なのは分かるけどね。でも女の意地ってものがあるじゃない!」
半泣きになりながら、女性は愚痴を吐き出す。胸の内が空いたのか、ふうと息を吐いて俯いた様子を見て、向かい側に座っている女性が苦笑した。こちらの女性もまた黒髪で、赤眼だ。
「ルネア、気持ちは分かるけど仕方ないよ。彼、今一番忙しい時でしょう。例の〝生殖障害症候群〟、また何とかしろって言われてんでしょ? 相当に重圧があると思うよ」
もっともな意見を言われて、紛糾していた女性・ルネアは拗ねる様に口先を曲げた。
肩までの長さの黒髪と赤眼で、童顔の女性──ルネア。いま正面の寝台に座って、右脚部分の調子を確かめているのが、ルネアの姉のテミスだ。
テミスは、心臓と内臓以外のすべてが機械で補われている、
四〇〇年前に〝雨〟を開発し、兵器製造競争から成る世界大戦の火種を撒いた張本人でもある。〝雨〟の浄化方法の確立、また日常的に利用できるレベルにまで〝リウ〟を普及させ、世界を救った男。現在は妹ルネアの勤務先、連合政府研究所の所長であり、彼女の恋人である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます