27話 爪痕
暗闇に翻る
ポールデューは体験したことのない極地に置かれて、興奮を覚えていた。正面から戦っても全く敵わない兄、騎馬の扱いに長けた姉。両者との模擬戦にも及ばない雑兵との戦い。それらと比にならない命懸けの対決がいま、自分の手の中にある。言い知れない感覚の中で斧を振るっていると、不意にティハが口を開いた。
「お前、なかなかいいぞ……面白いな。辺境の守備隊などやっていないで、自分達のもとへ下るべきじゃないか?」
「……何を言うかと思えば……僕が護るべき兄弟と故郷を放って、《首喰い》になるとでも?」
ポールデューが言い返すと、今しがたまでにっこりと嗤っていたティハは、つまらなそうに表情を無くした。
「馬鹿なことを言うな、興が削がれる。自分は家族が居ないから、どれくらい心惹かれるものかは知らんが……護る? くだらん。そもそも、この世で生きられる者は強い者だけだ」
ティハの言い分には本当に、心の底からの軽蔑の響きがあった。ポールデューは直感だがそう信じられた。
「だから自分は、〝氷喰〟に従っている。奴は考え方は生温いが、強さは申し分ない。自分が知る中では
再び満面の笑みを戻し、ティハは確信するように言い切った。
ポールデューはこの時、本気で恐怖を覚えた。目の前の好敵手・ティハが、殺しと戦いと強さにしか関心を持たない男が、手放しで従うことを選んだ〝氷喰〟。確かににそんな相手に挑んでいったら、自分ぐらいの半端者は無事では済まないだろう。
しかし、尻尾を撒いて逃げ出すわけにはいかない。敬愛する兄と姉、そして故郷を護ることは、ポールデューにとって簡単に棄てられるものではないのだ。
「ティハ、残念だぜ。お前みたいな手強い奴と、ここで別れなきゃならないなんてさ……!」
ポールデューは否定の代わりに、鉾槍をくるりと回して構えた。ティハはこれに意表を突かれたように目を丸くして、すぐに大笑いした。
「ふはは! 貴様、ほざけ!」
ポールデューと話をするために構えを解いていた斧を振り上げ、ティハはその細い体躯に似合わない豪快さで、ポールデューに向けて垂直に投げ下ろした。鉾槍の耐久では持ちこたえられない。何とか躱し、大振りの隙を狙って鉾槍の先を突き出す。ティハはたった今落としたはずの斧先を引き戻すと、刃の断面でそれを受け止めて見せた。
ポールデューは舌打ちするが、その顔は笑っている。ティハの狂気に
舞うような交錯の終わりは唐突に訪れた。ポールデューが突き出した鉾槍が、ティハの大斧の根元を捉えて、ぼきりと折った。重すぎることが仇になったのだろう。この瞬間、ポールデューは仕切り直そうとか、手心を加えようといった考えがこれっぽちも浮かばなかった──普段のポールデューならきっとそうしただろうにも、関わらず。
ティハの方も、折れて堕ち行く斧を見て、子供の様に無邪気に笑っていた。すかさず懐の短剣を抜いて構えたものの、ポールデューの速さの前には及ばなかった。
ポールデューが身体の中心をまっすぐと貫いてしばらくしてから、ティハは血を吐いた。一度吐血したあとは止まらなくなったのか、続けて何回も吐いた。この時になって、ポールデューは自分がいかに残酷なことをしているか理解するに至り、慌てて鉾槍を引き抜こうとした。
「抜くな‼」
しかし、そうする前に当のティハが鉾槍の先をしっかりと掴んで止めた。壮絶な剣幕にポールデューは思わずびくり、と肩を上げてしまう。
「……その顔は、なんだ。何を怯えている……これほど名誉な死があろうか。強い者に討たれ、戦いに死す……」
ぜえぜえと血が混じる掠れた息をつきながら、ティハは笑い、そしてがくりと膝をついた。それでも鉾槍を握る手はそのままだ。
「……覚えていろ。この踊る戦いの心地を、愉しみに満ちた鉾槍を、血の臭いを……そして、自分、の……」
ティハは途切れ途切れに呟きつづけ、喋る途中で、かた、と動かなくなった。眼の光が消えうせ、息がなくなってなお、鉾槍から手を離そうとはしなかった。
「……はぁっ、はぁっ、はっ……」
ポールデューの心境は無、だった。死体となった好敵手を見下ろして、滝のように汗を流して、荒い息をつく。言葉の意味を頭に浸透させるのに、戦闘中の何倍も時間がかかった。それから、生涯最高の相手を
「……悪いな。鉾槍は、置いていけないから……」
亡骸となってもティハが離さなかった鉾槍を、無理やりに引き抜く。斧先に返しがついていて、せっかく綺麗に座り込んでいた好敵手の身体がめりめりと壊れていく。抜いた勢いに負けて、どたり、と前のめりに倒れた死体を見て、ポールデューは激しい虚しさに胸を襲われた。
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