28話 眩惑

 同じ頃、テミスが最後の一人の身体を薙いで黒い刃から血を払った。煙を吸って意識を失っていたカスターも目を覚ましたようだ。彼はアルヘナとやり取りをしてから、ロミネとテミスの傍へやって来た。


「戦いは終わったらしいな……お前、平気だったのか?」

 カスターがお前、と言って睨んだのはテミスだ。『火の中で平気だったのか』の意だと理解したテミスは、こくり、と頷いた。

機械体サイボグだから。人体より丈夫なのよ」

「火でも殺せないのか、お前。恐ろしい女だな」

 カスターが吐き捨てるように言うので、傍らで聞いていたロミネは顔には出さずに苛ついていた。冗談のつもりなんだろうけど、言っていいことと悪いことがあるでしょ。テミス本人には気にした様子はないが、ロミネはひとり穏やかではなかった。


「なあ、お前ら一体……何者だ? 機械の身体? そんなもの、この大陸にあるわけがないだろうが……!」

 話を終えたと思いテミスとロミネが去ろうとした時、カスターはロミネだけを掴んで引き寄せ、首元に短剣を向ける。

「ちょっ! カスター!」

「……」

 テミスは動揺を見せず、静かにカスターと睨みあった。両者の間でぶつかる思惑は緊張感を伴い、身が危険に晒されているロミネですら、口を挟むことを憚られるほどだった。

 

「……別世界から来た」

「あ?」

「私たちはこの大陸を救う為に、別世界からやって来た。〝氷喰〟は……逆。大陸を滅ぼそうとしている側」

 

 テミスが語った言葉にカスターは眉を顰めたが、ロミネは焦った。だからだ。現地人に真実を伝えるのは、あまりにもリスクが高い行為だった。リウを使用した子孫の〈魂〉の寄生──こちらで法王を名乗っているユリアスが、一〇〇〇年の間に広めたであろう〈魂〉と意思の分身。

 もし目の前のカスターにもユリアスの〈魂〉が潜んでいたとしたら、情報が筒抜けだ。機械体サイボグの情報までに留めていたから、《首喰い》程度で済んでいただけかもしれないのに。テミスが今喋っていることは、ユリアスにとっては伏せておきたい話だ。すぐにでも法王領の戦力、各地の国軍を差し向けてきてもおかしくない。


「テ……テミス! それは……」

「うん。でも彼は、真実かそうじゃないか分かっちゃう人で、真実を言うまで絶対に信用しない。これから〝氷喰〟と戦うのに、寝首を搔かれちゃたまんないから。仕方ない」

 テミスの返答に、ロミネは苦々しくため息をつく。その反応でカスターの信用を得たらしく、ロミネは解放された。


「別世界の名は【ノア】。私とロミネはそこで、反抗勢力『アナンシの炎』として政府と……〝氷喰〟と戦っていた」

「反抗勢力……お前らが大陸こっち側だという根拠は?」

「【ノア】の目的は〝雨〟の浄化。私たちは二人だけで行動してて、〝氷喰〟は王族かつ《首喰い》を動かす権力を持ってる。どっちが目的を果たすのに近いと思う?」

「……」

 カスターは無言だったが、視線が逸れる。考えているようだ。

 ロミネはこのとき、無骨で乱暴なだけという評価を下していたカスターという人間が、真実であると判断したら疑いなく信用する人間なのだと、初めて知った。イブの人間からすれば、いまテミスが語った内容は荒唐無稽なものだろうが、カスターはなじったりすることはなかった。

 

「……〝氷喰〟を殺すことは、お前らを助けることになるが、アルマスを救うことに繋がる。それでいいな?」

「うん」

 テミスが短く返答すると、カスターの赤い双眼はふたたび彼女たちの方を向いた。

「悪かった。……今後はお前達を疑いはしない。今後も力を貸してほしい」

「……もちろん」

 あのカスターの口から発せられたとは思えない言葉に、ロミネは仰天してしまった。ロミネを護るように前に立っていたテミスはゆっくりと頷いた。この時ロミネは初めて、カスターという男に信を置いたのだ。



 襲撃を経て、疲労を引きずりながらも一行はジョーユーズを発った。おおよそ景観の変わらない砂漠をじりじりと進んでいくと、突然降って湧いたのように見えるのが、マリウス大河だ。巨大な大河をはしけに乗って越える。一日かけて対岸に流れ着いたあと、すぐ側に聳えるトリアへと入った。


 しかしそこで見たのは衝撃的な光景だった。『水の都』トリアは酷く攻撃を受けていて、あちこちが崩れて廃墟のようになっていた。

 トリア軍の軍隊長に話を聞けば、《首喰い》の拠点となることを迫られ断ったところ、攻撃されたのだという。被害は甚大で、軍も総出で復旧にかかっているような状況だった。


 

「《首喰い》の奴らは、もう手段を選ばなくなってきてる。俺達の身も危ういだろうな、この前の三将とかいう……イズンとティハだったか。あれは、幹部だろう?」

 トリアでどうにか融通してもらえた宿に入ってすぐ、カスターが珍しくはっきりとした声色で喋った。

「あぁ。ま、でもアニキとテミス姐さん、それに僕もアルヘナもいるから……平気じゃない? 勝てそうだと思っちゃうけど!」

 そう言って意気がるポールデューをロミネは不安げに見つめる。先日、あのティハとかいう男と戦って以来、ポールデューの様子がおかしい。好戦的になっているように感じる。同じような懸念があったのか、カスターは首を横に振った。

 

「戦いに絶対はない。トリアだってこんな状況だ。いつ死んだって不思議じゃない……今一度、自分に問え。死んでもいいか? 何のために命を懸けるのか?ってな」

 兄であるカスターにぎろりと睨まれ、ポールデューは萎縮する。そのまま、眼光鋭い赤瞳がこの場の全員を見回す。アルヘナ、テミス、ロミネへと視線が移っていく。


 ロミネは命を懸けることになるなんて、正直思っていなかった。これまでも、【ノア】で政府と戦っていた時などは死の危険を感じてはいたけれども、誰かに命を奪われる実感は、ほとんどなかった。

 きっとテミスがずっと傍にいて護ってくれていたから、だと思う。テミスだけではない、今も【ノア】の地表で眠っている『アナンシの炎』の仲間たちや、死んでいった人たちも。だけど今は、テミスとロミネしかいない。自分自身も、のも自分ひとりしかいない──。

 ロミネは一〇〇〇年の眠りを含めた、長い長い生で初めて、命を懸ける覚悟を固めつつあった。



 


 それぞれが思惑を抱えて眠り、深夜を廻った。ロミネは、女三人で入った部屋に、アルヘナの姿がないことに気付いて起き出した。居場所は見当がついていて、客がおらず人気がしない宿の中を迷いなく進んでいく。

「アルヘナ……」

 アルヘナは深夜にもかかわらず、馬宿で愛馬の傍にいた。馬を撫でる手も力なく、ほとんど置いているだけのような始末だ。

「ねえ、アルヘナ……故郷に戻ろうよ。万が一があったらさ、お子さんもさ……」

「うるさい!」

 ロミネが来るなり口にした提案を、アルヘナは鬼のような形相で突っぱねた。馬たちも驚いて嘶いた。


「わたしはッ……カスターを愛してしまっているの」

「え……? えっ、でもお子さんが……」

「夫のことは愛しているわ。でも、養子として同じ家で過ごしたカスターを、忘れることができなかった……」

「……アルヘナがここで戦っているのは、カスターの傍に居たかったから?」

「……」

 アルヘナは力なく頷く。衝撃の告白にロミネは戸惑ったが、一方でやはりそうか、という感情もあった。


「……私には槍も、戦いも、才能がないわ。兄弟は母親だから無理するな、って言ってくれているけど、あれは本当は、戦うと危険だって分かっているから……。でも、傍にいたいの。何としてでも……」

 アルヘナが泣きそうな声で言って、ロミネは息を呑む。カスターが彼女に粗暴に当たるのも、きっとそれが理由なんだ。危険だから遠ざけようとしている。そしてアルヘナ自身も現状を理解してしまっている。


「……死の危険があるっていうなら、なおさらだわ。あの兄弟を死なせるわけには、いかないのよ……」

 闇に溶け込むような低い呟きは、ロミネの心にも刺さる。とんでもない話を聞いてしまった。アルヘナは自分と同じだ。愛する人の傍に何をどうしてでも居たい、その一心で、役立たずだと分かっていても付いて来ている。

 

 じゃあ、私がアルヘナを引き止める権利なんて、絶対無いじゃない——?

 ロミネはそれ以上、アルヘナを引き留める手段を逸して、俯くことしかできなかった。






 同時刻、トリアの首長宅。


 黒い身体の女は、見張りの騎士達の眼を掻い潜って、屋敷内を駆けていた。ふつうの人間には到底不可能な芸当だが、機械体であれば難しいことではない。


 黒い女が抜き取ったのは、蒼い首飾り。倉庫内に仕舞いこまれていたそれを盗んで、女は夜闇に戻ってくると、息を吐いた。


「ルネア……やっと会えたね」


 テミスは涙を流しながら、蒼い首飾りを愛しそうに抱いた。

 

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