29話 亀裂

 トリアの暗い夜が過ぎ、一行はグンロギへ発った。トリアとグンロギは隣り合っており、グンロギをさらに北上すれば法王領がある。法王ユリアスと〝氷喰〟の親密な関係が透けて見えた。

 道中、生死をかけた戦いを目前にして、ロミネから見た面々はやや落ち着きを欠いていた。ポールデューはどこか浮ついているし、アルヘナは不安でたまらないという顔をしている。カスターとテミスは通常運転で、この二人はどこか似ているな、と思った。戦わないロミネが場を取り持つのも気が引けて、乾いた砂地を静かに踏み進めていた。


 そろそろグンロギが見えてくるかという段階で、やはりというべきか。《首喰い》の一軍が待ち構えていた。カスターが一番に気付いて、止まるように言った。

「三将の残りか。剣を持ってるな。……俺が前に出る」

 騾馬を蹴ってカスターは先頭を走って行く。その後ろ姿をどこか羨ましそうに見ているポールデューと、心配でたまらないという様子のアルヘナ。ロミネは不安に駆られ、助けを求めるようにテミスへ視線を向けた。

「……テミス……」

「うん……これは私が続くわ。二人が危うければ止めてくれる?」

「了解だよ」

 テミスもまたポールデューとアルヘナの異変を感じ取り、ロミネに面倒を頼んでからカスターに続く。




「よっ、僕はアウリム。《首喰い》で三将って呼ばれてんだけど──お兄さん、臨戦態勢だね。無駄なおしゃべりは省こっか」

 《首喰い》の一段から進み出て現れたのは、茶髪、青目の長身の男。戦場に立っているとは思えない、間の抜けた笑顔を浮かべている。その姿勢も言い分も、カスターにとっては癪に障るものだった。

「……お前は邪悪だな。誰でも簡単に殺せる男だろう」

「うおっ、初見でそこまで? 〝剛剣〟は伊達じゃないね。じゃあ、表面を繕っても意味がないか〜」

 アウリムは驚いてみせると、すかさずカスターの目前まで跳んだ。カスターは僅かに眉間に皺を寄せてから大剣を抜き放って、盾のように扱い首元に迫った凶刃を受け止めた。

「あらら、惜っしい。ま、そう楽にはいかないよね〜」

 気の抜けた口調でそう言いながら、くるり、と後ろへ宙返りして戻っていくアウリム。体躯があるので想像がつかなかったが、軽業師のような動きをする。暗殺者アサシンのそれに近い。カスターは大剣を手の中でぐるりと回してから無言で睨んだ。アウリムの方は嬉しそうに微笑んだあと、格闘家がするような奇異な構えをして見せた。

「三将アウリム、お相手仕る! ……なんてな」

 アウリムは無邪気に笑ってから、砂地から跳ね上がった。


 

 

 不思議な感覚に包まれていた。ここは戦場で、相手の身体を抉って打ち倒し血潮が飛び散っているはずなのに、何も音がしない。心臓から送られる血液が、じわじわと全身に巡っていくのを感じる。旅商団が夜に掻き鳴らす音楽のように、鼓動はとても早い。まるで僕だけが踊っているみたいだ──。


「ポールデュー! ねぇ‼」

 アルヘナが何度呼び掛けても、ポールデューは反応を見せなかった。穏やかな笑顔を浮かべながらポールデューは無心に戦っている。先日ティハという男と戦ってから明らかに様子がおかしい。まるで戦いに憑りつかれてしまったようだ。

 

「アルヘナ、いったん放っとこ! テミス見てくれてるし、戦えるならそれでいいと思うし」

「ロミネ……」

「アルヘナが怪我する方が怖いよ。無理しないでね」

 愛馬で後ろに跨がっているロミネに諭され、アルヘナは戸惑いながらも頷いた。当初、カスターとともに《首喰い》に向かっていったテミスは、ポールデューの危うい状態を気にして側にいてくれていた。 

 アルヘナも本調子ではなさそうだ。《首喰い》との戦いで〝三将〟という者達と戦ってきて、結果的に精神的な安定を失っているような気がする。むしろ彼らの目的はなのかも。常にこちら側が少数で不利な状況に変わりはないが、個々の強さで持っているだけに、今の状況はかなりマズい。とりあえず、今の自分が出来ることは、みんなの精神面を支えることくらいだ。



「お、非戦闘員? ラッキー」

 突如、気の抜けた、しかし冷たい声が聞こえてロミネは戦慄した。非戦闘員に見える者など、自分一人しかいない。

「ロミネ!」

 テミスが上擦った声をあげ、ロミネにアウリムが襲い掛かる。瞬間、カスターが飛び込み、大剣でアウリムの刃を受け止めて退ける。間一髪、護ってくれた。

「カスター!」

「戦えない女に手を上げやがって、クソ野郎が」

 カスターは忌々しそうに毒づいた。アウリムの方は剣二本をくるりと回して、あー、と呟きながら、首をゴキゴキと鳴らした。

「僕さぁ、楽、したいんだよね。戦いも働くのも面倒で。家もそこそこ裕福だったけど、普通に働くのとか面倒で出てきちゃった。殺すのが一番楽だよね。目の前に剣ひと振りで死んじゃうコがいたらどうするかって……わかるでしょ?」

「下衆なのはわかった」

 カスターは大剣を片手で握り直し、半円を描くようにして剣先をアウリムに向ける。空いた方の手で、ロミネに〝下がれ〟と示していた。


「あ、ありがとう。カスター」

 ロミネがそう言うと、アルヘナが手綱を引いて馬を下がらせる。彼女は槍を手にして、テミスとポールデューが《首喰い》を相手取っている方へ向かっていく。

「ロミネ、出来る限り外れで逸れ者の処理に徹するから、身を乗り出さないように気を付けて」

「うっうん! わかった」

 アルヘナは前を向いたまま、落ち着いた口調でロミネに伝えた。今しがたのやり取りで、意図せず安定を取り戻したようだ。




 アウリムとカスターは互いに譲らず、傷を負うこともなく斬り結び続けていた。カスターは、相手の命を何とも思っていないこの男が、妙に腕の良い戦士であることに辟易とする一方で、興味を持ってもいた。疑問が頭をもたげたので、カスターは大剣を振るってアウリムを後退させてから、口を開いた。

「一つ聞きたい。面倒面倒と口にしている割に、〝氷喰〟に従っているのは、何故だ?」

「おお? あ~……そっだな。僕ほら、殺すの上手いし一番楽だったから、金が欲しくて《首喰い》やってたんだけど。お頭……〝氷喰〟には、アロダイトで声かけられてさ」

 アウリムは一瞬意外そうにしたが、すぐに両手の剣の構えを解き、手の中で弄びながら飄々と喋った。

「従う限りは生活を保障するから、部下になれ、って言われたんだ。最初は何言ってんのかなって思ったんだけど、まあ悪くない条件だし……ってやってたらね。なんか、離れづらくなって……」

 自身でも迷っているかのような素振りを見せるアウリムに、カスターが怪訝な視線を向けた。だがアウリムは所在無さげにしていた視線をぴた、と正面へ戻すと、邪悪な笑みを浮かべる。手先で何かを引くような動作をした。


「でも僕、見境ないからなあ〜?」

「!」

 瞬間、カスターの左足に痛みが走った。地面に罠が仕込まれていたらしい。突出型の罠で、太い針が数本、足を貫いている。

「……」

「あれ? 全然怒りもしないんだね。まあ、じゃあ折角なんでやらせていただきますけど」

 カスターは何の感情も表に出さず、じっとアウリムを睨んだ。足が動かない。この怠惰な男のことだ、毒くらい塗ってあるのだろう。アウリムの方は弄んでいた剣を持ち直すと、カスターに襲いかかる。


 二対の剣が、カスターの左側面を狙って振られる。しかしカスターは、斬りかかるため前屈みになったアウリムのを直接、鷲掴みにすると、力のままに地面に叩きつけた。巨大な大剣を片手で振り回す男の持ちうる力が込められた一撃で、アウリムの頭は割れた。

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