18話 安穏(2)

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※この話だけ百合要素があります。飛ばしても本筋には影響ないです

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 ロミネはもともと、反政府組織に縁もゆかりもなかった人間だ。【ノア】という世界が眠る直前の時期は、場末のバーで働いていた。

 世間はクリオスリープがどうと話題だったが、ロミネはあまりそういうことに関心が持てずにいた。いつ眠ることになっても構わなかった。取り残されちゃったら少し哀しいけれど。徐々に働きに出る人間も減ってきているなか、変わらず笑顔を振りまいて、少ない客の相手を続けていた。



「あ、お姉さん新顔ですね! はじめまして!」

「……」

 初めて訪れる客のもとには、先付けを添えたうえで、必ず一声かけにいくのが自分の決まりごとだった。

 今回の新顔は長い黒髪の女性で、片手に持ったグラスを傾けながらじっと見つめているだけで、こちらを見ようとしない。ロミネは自分の声が小さくて聞こえなかったかな、と不安になる。なにか別のことを話し掛けなければ、と再挑戦してみることにした。

「あのっ、よかったら、おすすめのお酒があるんです。ここの名物で、すきっと甘酸っぱい味でー、……」

「へぇ?」

 今度は、女性はうっすら笑いながらこちらを見てくれていた。黒い髪のなかに浮かぶ、赤眼の輝き。引き込まれそうな瞳の怪しさに、ロミネは胸の内が高鳴るのを感じた。

「はいっ、ええと、この『ケープ・ハンウェム』って名前のお酒です。持ってきましょうか?」

「そうね」

「わかりました、待っていてくださいね!」

 ロミネはぐっと気合を入れ、踵を返してマスターに注文を伝える。何故だろう、胸の高まりが収まらなかった。早く、一刻も早く注文してくれたお酒を持って行きたい。これまでにない感情だった。


 丁寧に作ってくれたマスターに感謝しつつ、ロミネはさっそく注文されたお酒を持っていく。早足で向かうなか、周囲の客から『転ぶなよー』などと心配される声をかけられたが、正直いつものように反応を返している余裕もなかった。


 ところが、席には女性の姿はなかった。貴重品はないが、目印代わりに煙草の箱が置かれている。仕方なく席に注文された酒だけ置いて、しばらくはバーカウンター側に控えていたが、待てど暮らせど戻ってこない。


 ロミネは、マスターに伝えたうえで、一度店の周りを探しに行ってみることにした。煙草を置いたままということは戻る気はあるのだろうから、近くに居るだろうと思ったのだ。

 予想はおおかた当たりで、二軒隣の店の路地、それも本当に誰も来ないような暗くて汚い場所で、女性は誰かと話していた。

 盗み聞きは良くないし、店の客なら尚のことだが、ロミネは好奇心を抑えられない。女性たちのいる路地に向かう手前の道で、建物にべったり張り付くようにして、路地から聞こえる話の内容を聴いていた。


「……は格納済みだ。飛び道具が二十、……が三十、粉と……で十分か?」

「ええ。ご苦労様。……は渡したわね?」

 路地の手前側が女性、奥が男性のようで、ちらりと見ようとしたが顔までは見えない。こんな所で話すぐらいだから、よほど大事な用事なのだろうと思った。

「……した。が貴重な時代だからな、しっかり運んでくれよ」

「ええ、勿論。ちゃんと言い聞かせておくわ。」

 世間知らずのロミネだが、ここまで聞いて察してしまった。針というのは、この時代の【ノア】においてはほぼ、のことを指すからだ。かつては医療や裁縫にも針が使われたそうだが、現在はそれらの分野を機械が担っているので出番が無い。

「ああ。随分と急ぎだな?」

「ちょっとね。もの好きなを待たせているのよね」

 動揺するなか、女性から発せられた言葉にロミネは思わず口を手で覆った。自分の存在を勘付かれている、殺されるかもしれない。息をひそめて、待つしかなかった。


「……ふーん。じゃ、よろしくな」

「ええ」

 やり取りが終わったらしく、女性が話していた男性の足音が遠のいていくのが聞こえた。ロミネは今のうちに逃げなければと思い、駆け出そうとしたが、すぐに誰かに腕を掴まれる。


 黒髪の女性が、そこに居た。


「っ……!」

 息を呑んだ。店で話した時とまるで違う、冷たく剣呑な瞳がこちらを見ていた。

「……」

 女性は腕を掴んだまま、じっとロミネを見ていた。はじめにグラスを眺めていた時のように。身動きひとつ取れずに待つしかなかった。この場は彼女が支配者だ。


 だが彼女が次に取った行動は、ロミネにとって全く予想外のことだった。突然腕を強く引かれ、よろめいた身体ごと抱きすくめられて、唇を奪われた。驚く間もなく舌が割り行ってきて、混乱のなかロミネはされるがままになった。挿し込まれた舌は不思議と硬く、ひんやり冷たい。微かに煙草の味がする。口腔の中を舐られ続けるうち、頭がふやけて熱に浮かされる。


 時間が停まるような感覚に溺れて、長い間そうしていた。唇がゆっくりと離れて行くのを見たのが、どれくらい後だったか分からない。女性は満足げに、唇まわりについた唾液を手の甲で拭きとって、にやりと笑う。今日見た中で、最も楽しそうな笑顔だった。

「待たせて悪かったわね、。えっと、『ケープ・ハンウェム』だったわよね。どんなお酒だっけ?」

「……はぁっ、はぁっ……」

 すっかり身体の力が奪われ、足が震える。立っていられない。ロミネの身体は女性に預けられ、乱れた息を整えるくらいしか自由が無かった。女性の方は、答えを待つように、ロミネの髪をゆっくりと撫でながら黙っていた。

「……あ、あか、くて……あまず、っぱい……」

 ロミネがどうにか、それだけを口にした。女性の瞳に似た、綺麗で少しだけ怪しい、赤色。


「……美味しかった」


 ゆっくりと舌なめずりをしながら、女性が言った。底知れない魅力に引き込まれて、抜け出せない色。『ケープ・ハンウェム』とよく似た赤瞳が、見つめていた。






 ロミネはテミスとそのまま、雪崩れ込むように関係を持った。まさに骨抜きにされてしまった、という具合で、以降のロミネの人生はテミスに捧げられることになったのだ。

 テミス本人としては、当初は情報の漏洩を防ぐための防衛手段のつもりであったそうだが、誠心誠意尽くしてくれるロミネを愛するようになる。気付けば互いに抜け出せないほどの深みに嵌っていた。

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