19話 安穏(3)
──「できました~、今夜はグラタン!」
陽が落ちてから、ロミネが二人分の料理を持ったまま、上機嫌に小躍りした。テミスは薄く笑顔を浮かべたまま、食卓に並べられるのを椅子に掛けて待っている。
「懐かしいわね。故郷の味ってやつかな」
「そう! 在り合わせグラタンだから、あれほど美味しくはないかな~。材料が
グラタンを並べて、自身も席につくと、ロミネは『命に感謝……』と雑な祈りを述べて食べ始める。
「私もよく妹に作ってやったっけな。好きなんだよね、妹も」
テミスがそう話すと、食卓の下でロミネの手がぐっ、と握り込まれた。だが、ロミネは表情を全く崩さないまま、へぇ~!と笑って返した。
「今度はテミスが作ってよ! 忘れたころに!」
「うん? そうだね、そうしよう」
グラタンを頬張りながら、穏やかな笑みで応じるテミス。愛する人の喜びに満ちた表情に、ロミネの心も解される。ひそやかながら、幸福感に包まれた食事の場。いつまでもこのまま、変わらなければ良いのに。そう思ってしまうのは罪深いことだった。
テミス達はノアで目覚めてから、永妃ルネアの持っていた青い首飾りの記録をもとに、イブで起きた歴史や出来事を探っていた。世界各地を旅しながらイブの文化と歴史に触れ、暗躍するユリアス達の勢力が誰で、どう動いているのかまで綿密に。
三年前からはリットゥに家を借りて定住し始めた。彼女たちの調査の結果として、次は大陸南東部で大きな戦いが起こるだろうと予想されたからだ。【イブ】はおよそ二〇〇~三〇〇年の周期で大戦が起きている。ユリアス達は一定周期で戦争を起こして戦線を広げ、神子達による〝雨〟の浄化を満遍なく行い、浄化効率を上げている。
前回の大戦がティ・ルフ国滅亡の際の第三次北南戦争で、これは法国歴七〇四年に起きた。そこから三〇〇年経過している。他地方の情勢から見ても、次はこのリットゥ周辺が危ない。テミス達はユリアス側の戦力を削ぐ目的で、あらかじめ潜伏しているのだ。
ユリアスを止めるために組織された『アナンシの炎』。いまも多くの仲間が眠ったまま、時機を待っている。使用可能なリウ量が限られているため、仲間たちはあと数十年後に目覚める予定だ。
【ノア】の末期、ユリアスの恐怖政治で人々が弾圧される中、政府と戦ってきた。ロミネは戦闘部隊ではないが、あらゆる力を尽くしてテミスを支えてきたつもりだ。
だがこうして二人で仮初の平和を享受するうち、愛する人と戦いを離れ、生きていきたいという気持ちは徐々に大きくなってきていた。何もかも忘れて、リットゥの住人として隠れて生きて行く……という道もあるのではないか、と。
「……」
ロミネは先にグラタンを平らげ、整った口元へとグラタンを運び咀嚼するテミスの様子を見つめている。
「なに?」
「ううん、何でもないよ」
ロミネはにっこり笑顔をつくる。本心は胸に仕舞われたままだ。口にすることはないだろう。
愛しているからこそ、テミスがどれほど妹ルネアを愛していたかを、ルネアが愛したイブの人々を代わりに救いたい、と考えているのを知っていた。例え気持ちを伝えたとしても、テミスが選び取るのがどちらなのか、分かっていた。
「……ねぇ、こっちへ来て」
「ん~?」
夕食の後片付けを済ませ、身体を拭き終わって、いよいよ寝るといった頃合いに、テミスが声を掛けてきた。誘われた寝台の端に腰掛けた途端、ロミネは背後からテミスに抱き締められる。
「わっ!」
不安定な場所に腰掛けていたため均衡を崩したロミネは、後ろのテミスごと、どしん、と寝台に転がった。揃ってけらけらと笑い声をあげる。
「びっくりした~! 急に来るんだもん!」
「ごめんごめん。ちょっと寂しそうだなと思っていたから」
テミスの機械の腕が、きし、と鳴る。漆黒に染めあげられた身体。機械体は外では決して見せないが、家の中では惜しげもなく晒されている。ロミネは彼女の身体が好きだ。ひんやりと冷たくて、洗練されていて美しい。黒い腕を擦りながら囁く。
「……好きだよ」
「うん……」
明日なんて来なければいい。ロミネは泣き出したいほど心からそう思った。
「……」
くうくうと寝息を立てるロミネと背中合わせになるようにして、テミスは寝台で横向きに寝ていた。夜更けにも拘らず目を開けて眺めていたのは、赤い首飾り。しばらく考え事をするように首飾りを見つめていたが、枕元に放って寝返りを打ち、寝息を立て始めた。
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