7話 変質
ルネアとテミスが袂を分かったように。オーデン達に付いていくのか、行かないのか。人々がそれぞれに選択を迫られた。
政府とオーデン達は民衆に対して圧力をかけ、方針に従う様に強要した。つまり、もう一つの世界への侵攻に同意し準備に協力するように、との方策だった。
従おうとしない者、抗おうとする者たちへは、やんわりとした要請からはじまって、やがて強硬的な姿勢を現すようになった。世界全体を統括する権力と軍事力を保持している政府は、反対勢力を制圧、時には処刑した。
【ノア】は、恐怖政治となっていく。
ルネアは、一人暮らしとなった自宅から研究所へと向かっていた。ルネアは姉妹が別れたあの日から一〇年の歳月を経ても、二〇代の時の肉体年齢で停止しており、若々しい見た目のままだった。この時代では延命・老化防止処置を受けていることが当たり前になっている。
街の様子はすっかり様変わりした。活気に溢れていた街並みは、人影がなく静まり返り、政府軍の兵士がまばらに警備に立っているのが日常的な光景となった。
「……」
ルネアは兵士や街の様子に目を向けて、悲しい顔をした。致し方ない、オーデンに付いて行くからには、こういった状況もあり得たと理解はしている。だが、それと実際の心情はうまく折り合いが付けられていなかった。
研究所に出勤すると、オーデンが皆を呼び集めて何やら話をしている。人の輪から少し外れた位置に立っていた背中が、こちらに気付いて手招きした。
「あ、ルネア! こっちこっち。おいで〜」
「リザさん」
「あ、今日からアタシ、『リザ』じゃないらしいよ」
「えっ?」
思いも寄らぬ返答をされてルネアが驚くと、リザは肩をすくめながら苦笑した。
オーデンは、研究所の仲間とともに例の異世界、【イブ】への侵攻準備を着々と進めており、このような突発的な会議はよく行われていた。話を聞いたところによると、通達内容はこうだ。
例えば、オーデンは『ユリアス』に。たとえ口に出さなくても、無意識でも役割名を呼ぶことが出来るように、常日頃からそちらで名を呼ぶように。とのことだった。
「リザさん、なんて名前になるんですか?」
ルネアがリザの背中側からこっそり話しかけると、彼女から小声が返って来る。
「『
「なる……ほど……」
ルネアの声を聴いて、どう感じているかを察したのだろう、リザが頭を撫でてきた。リザは変わってはいるが本当にすぐ気が付く人で、面倒見がよくて慕われている。オーデンと同世代で歳もほとんど変わらないらしいが、性格はかなり違う。正直、『劫火』なんて全く似合っていない。寂しく思う気持ちが胸中を覆う。
「ああ、ルネア」
そこへ、皆への通達を終えたオーデンが近付いてきた。最近あまり話が出来ていない。オーデンが寝る間もないほど忙しくしているので、仕方がないが。
「オーデン、お疲れ様。ねえ、私は名前、ルネアのままでいいの?」
ルネアは本当はもう少し後から聞くつもりだったのだが、気づけば口をついて出た。
「? ああ、そのままで良いよ」
オーデンは一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐに答えてくれた。内心、ルネアは傷ついた。長年の付き合いがあるリザには役割名が与えられたが、恋人である自身は未だ、オーデンの信用を得るに至っていないのだろうか。そんな些細なことを気にしてしまう自分に対しても、嫌になってしまう。
「わ、分かった! ありがと!」
何とかそう言って、ルネアはそそくさと退散する。首を傾げるオーデンが残されて、さらにその姿をリザがじっと見つめていた。
ルネアは、誰も来ないであろう、あの第三研究用密閉室──『コルヴァ』が居る部屋で泣いた。
日に日に、オーデンとの心の距離は空いて行く一方だ。世界全体を背負い、侵攻を行う執政者として多忙を極める彼。反抗する者を手段を選ばずに排除しているようで、恐ろしい噂が後を絶たない。本当に自分は恋人なのだろうか? 実は、都合よく扱われているだけなのではないか。
「……私って何なんだろう? ねえ、『コルヴァ』くん。本当にノアは救われるのかな……」
当然ながら、返事も反応もない
***
約四〇年後、古代歴四〇〇二年。
ノア人は、権力者から一般市民までのほぼ全員が、
この時ついに計画は始動。長らく【ノア】を汚していた〝雨〟が【イブ】側に移され、【イブ】にかつて存在していた文明は滅んだ。今後の〈魂〉の量を安定させるため、予め用意していた、〝土の民〟とも呼ばれる〈魂〉をレ・ユエ・ユアンに流し込む。オーデン達はレ・ユエ・ユアンを潜り、【イブ】へと降臨した。
『聖者ユリアス』となったオーデンは、『聖なる従者たち』となった研究者たちを引き攣れ、生き残った人々を探して各地を巡る。人々は、世界を滅ぼした〝雨〟を、神剣を用いて浄化する奇跡を見せたユリアスを、救世主と称えて信仰した。
神剣を背負って彼に付き従う、『聖者ユリアス』の従者のひとりとして、ルネアは居た。
『聖者ユリアス』の皮を何重にも被り、美しく聖なる存在のように振舞っている彼は、いまは遠い背中しか見えない。
もう元には戻れないのだろうな。
ルネアは、切なげに目線を落としてから、
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