16話 終幕
ルネアは王都郊外に築かれた要塞へと向かいながら、手首に付けている、神剣『デュランダル』の欠片を触った。神子である者なら、〈剣の神子〉より断然範囲は狭いが、〝雨〟の浄化の力を発現できる。もしも〝雨〟が降ったとしてもある程度は持ちこたえられるだろう。
敵軍を今まさに待ち構える王都の防衛最前線で、先に待機していた兵士長が声を掛けてくる。
「ルネア様!」
「待たせたわ」
「いえ。しかし、ルネア様。本当にこのまま戦われるので? 何度も申し上げておりますが、あまりにも危険です! はやく、お逃げになってください!」
兵士長は会ってすぐさま、必死に説得にかかった。ルネアはぽかん、と呆けたあと、くすくすと笑い出した。
「ふふ、ありがとう。もう居ないのよね、お小言担当。今頃何て言ってるかしらね……」
「ルネア……様……」
兵士長はルネアの言葉を聞き、悔し気に視線を落とす。近年王国に降りかかる出来事は、長く王家に仕えてきた兵士長としても想像しがたいものばかりだっただろう。
「大丈夫。私は王なのだから、民を一人でも多く護ることが務めよ」
ルネアは明るく言い切ると、兵士長がルネアに渡すために持参した剣をその手から奪い、鞘から抜いた。兵士長は狼狽え、諦めたように肩を落としている。
「……もう、いいわよね、ジョゼフ」
ぼそり、と囁いた言葉は、誰の耳にも届かない。
ルネアはずっと考えていた。ジョゼフの……ジョゼフと、姉さんの言う通りだ。間違っている。自らが生んだ息子娘の〈魂〉を乗っ取り続けるという行い。
ルネア自身も、はじめは吐き気を催すほどに、恐ろしく感じていた。何回も繰り返される中で、麻痺していった。〈魂〉を喰っている際のおぞましい叫び声すらも聞き慣れて、やがて耳を傾ける事を辞めてしまった。
王国の為、愛するオーデンの為、ノアで眠る人々の為と、自らに言い聞かせた。前の身体が危うくなったら〈魂〉の乗っ取りを行うことが当たり前になった。許されてはいけなかったのだ。命の尊厳を辱め、血族で住民を増やし自身の勢力を行き届くようにして、何百年に渡って続く国の支配をただ一人で行った。自分がしてきた事は、侵略だ。
なにがノアの未来のため、だろうか。ノアが救われれば、ティ・ルフ王国の人々は殺されてしまうというのに。素知らぬふりをして、高潔で平等な国を築こうと献身したのは、罪深さから逃れる為だ。だから本当の意味で差別はなくならなかった。そうして、全てを呑み込んでいてくれた従者すらも裏切ってしまった。
もうやめると決めた。
神剣『デュランダル』の欠片を使って浄化をしている間は、リウによる〈魂〉の乗っ取りは出来ない。死に至る苦しみで、もし本能的に子供達の〈魂〉へ逃れようとしても叶わずに済む。
戦いは出来なくても、女王本人がこの場に居れば敵の目を引く事くらいは出来るだろう。人々が法王領に逃れるまで、時間が稼げればいい。罪深い自らの命を、我がティ・ルフ王国、そして愛する我が民に捧げるくらいは、許してもらえるだろうか?
愛するオーデン。どうか彼らをよろしくお願いね。
王都トリアイナの南側に、数万とみえる軍勢が現れた。ルネアは前線の兵よりさらに一歩前方に立ち塞がると、声を張り上げた。
「エルムサリエ帝国の民よ、聞け! 我は〝永妃〟ルネア! ティ・ルフ王国を興し、率いてきた、偉大なる女王の名を持つ者!」
ルネアの叫びは普段見せる姿とはかけ離れた、王らしい威厳に溢れたものだった。ゆっくりと近付いてくる帝国軍は、その足を止めはしなかったが、ルネアは構わず続けた。
「ティ・ルフはお前達には滅ぼせない。焼こうが抉ろうが、どのような兵器を扱おうとも! 私がこの国の、王である限り
言い切ると、剣を抜いて気勢をあげた。ちょっとだけ彼女らしさが出てしまったことに苦笑しながら、ルネアは兵士を扇動した。
ティ・ルフ王国の兵数や武装は帝国軍に及ばず、結果は見えていた。三年をかけて削られた兵力の差は、比べるまでもない。だが王国兵たちは迷いなく、ルネア女王に続いた。戦いは一晩続き、陽昇りと合わせて〝雨〟が降ったことで終わりを迎えた。ティ・ルフ王国は壊滅、兵士は殆ど残らず、ルネア女王も捕虜になる間もなく首を落とされた。
ティ・ルフ王国の民たちは、〈剣の神子〉エンジとともに無事、法王領内へ逃れた。国の滅亡とルネア女王の死が知らされると、民達は皆、哀しみに伏せった。
法王ユリアスは、女王ルネアの死に大いに動揺していたという。驚きは怒りへと変わり、法王領内で密に造らせていた兵器を持ち出して、兵とともに迎撃に向かった。これまで誰も見たことのない先進的な兵器が大量に扱われたという。
ダムナティオ皇帝を斃し、帝国軍をほとんど壊滅させても、法王領からの攻撃は一方的に続いた。戦場となった大陸南東部は、ほとんど焼け野原になってしまった。事態を重く見たタン・キエムの王族から停戦の仲介が行われ、第三次北南戦争はようやく収まりを得た。
この時代の法王ユリアスは、宗教的教えにも神子優位の考えを取り入れ、より差別意識を強めて行く。一方南部側では、ダムナティオ帝の唱えた褐色肌優位の考えが風習的に残り、肌色による差別意識が薄れる。皮肉にも、人種差別政策の流れが文化として残ったことで、差別が無くなっていったのだ。
〈剣の神子〉エンジが王国から持参した神剣『デュランダル』は、法王領に献上された。戦争の終結後、大陸西端の港町に『デュランダル』は預けられた。神剣の名は徐々に訛っていき、『ドゥリンダナ』と呼ばれ──港町の名もまた、後にドゥリンダナという名となった。
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