13話 袂別(1)

──「グンロギ地方は前線が壊滅し、帝国側の勢力に領地のほとんどを占領されました。付近住民はすでに王都に避難していますが、あの地は穀倉地帯ですので今後の食料備蓄にも響いてくるのではと予想されます」

「分かったわ。報告ありがとう」

 王都トリアイナの王宮内、謁見の間にて、ルネアは前線から帰参した兵士より報告を受けていた。兵士の鎧は傷だらけになっていたが、長きにわたって戦いの指揮を強いられたルネアもまた、険しい顔付きへと変貌していた。


 北南戦争が始まってから、三年が経過していた。境界門のすぐ傍に在ったリットゥ国は占領され、隣に位置するティ・ルフ王国自体も侵攻されつつあった。それでも流石に、歴史ある大国ティ・ルフの名は伊達ではない。領地を侵略され、取り返して、といたちごっこを繰り返しながらも、帝国の侵攻に対抗している。


 だが、今回の被害は深刻だった。ティ・ルフ国内では南のグンロギ地方、西の【エルミの瞳】地方が前線となっていたが、国内の食料の多くを産出しているグンロギが奪われた。この土地が奪われた以上、今後の備蓄は期待できそうにない。そのうえ真っすぐ北上すれば王都は目と鼻の先だ。


 報告を聞いたルネアは考え込んだ後、兵士長を呼び寄せる。

「王都住民の避難は?」

 ルネアの問いに、兵士長は非常に言い辛そうにして口を開いた。

「通達は終えておりまして、あらかた準備が済みました。が、〝雨〟も近いですので、〈剣の神子〉エンジ殿とともに動かす必要があるかと……」

「そうよね……。エンジには万が一を伝えておいて。あと、欠片を神子の兵士達に出来るだけ持たせてくれる? 私の分も頼むわ」

「かしこまりました」

 神子に神剣の欠片を持たせるという事は、〝雨〟に晒されても何とか逃げる可能性は残すように、という意味に相違ない。〈剣の神子〉が死ぬことも、王都が帝国側に占領される事も想定した動きだった。兵士長の方も予感はしていただろうが、ルネアからの指示に苦々しい様子で、下がって行った。



 謁見の間に残されたのは、ルネアとジョゼフの二人のみとなった。城内も、城下街からも、人々が慌てて避難の準備をしている様子が聞こえてくる。不思議と、どこか遠い所の出来事のように感じられて、二人はしばし無言となる。


 この三年、ルネアとジョゼフはひたすら侵攻に備え、戦いの指揮をして日々を浪費していった。

 身近な人物の裏切りに端を発した戦争。境界門を開いたのが当の国王ヘラクだったという事実は、古傷の様に国を苦しめている。

 国王の行いが原因でリットゥが滅び、今現在も北部全域が脅威に晒されている以上、ティ・ルフ国は帝国軍の相手をすることで、批判を免れている面があった。法王ユリアスも当然助けようとはしてくれたが、表立っての支援が出来ない状況だ。ユリアスから出来る助けは、装備品や備蓄の支援程度に留まった。恐らくは、その辺りまでダムナティオの策略の内なのだろう。



「……姫。ここに残られるおつもりですか? 王族の皆様は法王領へ退避されるとのことですが……」

「そうね。王族が誰も残らなかったら士気にも影響するでしょうから」

「……」

 控えめに問いかけてきたジョゼフは、答えを聞いて黙りこくってしまった。常日頃、お小言が多い彼の事だ。わざわざ危険に飛び込むなとか、そのようなことを言いたいのだろうとルネアは予想していた。次にジョゼフが口にしたのはやはり、予想通りの内容だった。


「わざわざ、貴方様が残られる必要がありますか? 兄上様ですとか、兵士長、騎士隊長に任せるべきでは」

「いいのよ。肩書なんて、実際こういう時にしか役に立たないわ。後は、三年前まで貴方と一緒にやっていた、世直しの時とか?」

 冗談を言ったつもりで、ルネアはそう返してにんまり笑った。だがジョゼフは全く笑わず、むしろ、暗く澱んだ瞳をしたまま俯いてしまった。


「世直し。本当に、そうですか? 肌の色如きで人の命を奪い、貶める、溝鼠どぶねずみどもを野放しにしておいて……。一匹残らず駆除すべきです。今回の戦争で、ついでに彼らを矢面に立たせてしまえば宜しいのでは」

「……え?」

 直後、普段の彼から全く想像できないような、痛烈な口調で批判をぶつけてきた。確かに行動を共にしていて、ジョゼフが自身の褐色肌について傷ついている場面を見たことはあるが、ジョゼフ自身冷静に対応しようと努めていた筈だ。突然の豹変にルネアは狼狽えていたが、ジョゼフの方は無視して続ける。


「……そうでなければ、貴方はまたそうして、英雄のように命を無くして、そして……王女殿下を乗っ取り、また〝永妃〟として生きられるのですか。同じ、『ルネア』様として」

「‼」

 ルネアは言葉を失ってしまった。

 ジョゼフは、のだ。ルネアが、この大陸に存在する文明とは異なる力を用いて、代々子息の身体を乗っ取り続けてきた事実を。


「姫は当然、隠しておられましたが、我々従者の一族は皆、悟っておりました。これだけ日々、お傍に付かせていただければ、だという事は分かります。何百年も過去の出来事に詳しく、先々代の名前と間違われたり、妙齢のわりに国政に慣れ過ぎておられている……」

 ジョゼフは淡々と喋った。依然、その澱んだ瞳は瞬きひとつもしない。

「ですが、それでも貴方様はこの国を護り続けてくださった。実の子を乗っ取り続けている理由は分からずとも、このティ・ルフの為になるならばと……。我ら一族は口を閉ざしました。王女殿下が『ルネア』様になる瞬間を、毎代心に刻み付けながら」

 ルネアはこれまで人々に隠し通し、自らも耳を塞いできた罪を、改めて突き付けられる。徐々にジョゼフの顔を見ることが出来なくなっていた。いつの間にか視線が下がり、謁見の間の床模様を力なく見ていた。


「ただ、私は……。貴方様が国の為に動いていることは、存じております。ですが、肌の色による差別で人を貶める外道どもを、全員駆逐しようとはされなかった。何故ですか? 彼らに生きる価値などありますか。私は絶対に許さない。貴方様が、彼らを赦す方針を取られ続けるなら、この永劫に続く緩やかな支配を終わらせなければいけない。……今は、その絶好の機会です」


 ジョゼフは、静かに剣を抜いた。

 ルネアは彼の怒りを受け止めるように、しばし黙った。再び視線を上げてジョゼフを見た時には、瞳にはもう力が戻っていた。それは苦楽を共にした従者に対して、ではなく──女王としての、冷徹な瞳をしていた。

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