1話 女帝(1)

 法国歴七〇四年、ティ・ルフ王国。王国玄関口の街、【エルミの眼】。


「……急げッ!」

 市場を行き交う人の波を押しのけ、男ふたりが慌ただしく走って行く。砂漠の上に建つ街では、騒ぎに依って砂埃が舞い上がって風に運ばれていく。ぶつかられた人たちの怒号を浴びながらも、男たちはそれを気にする余裕さえない。何かから逃げている様子だった。


「早くしろ! 追いつかれちまうぞ!」

「分かってるって! ックソ、何でこんな所に・・・・・・!」

 男たちは何度か後ろを振り返りながら、必死に駆ける。ところが、その先でふたりの行先を止めるように、黒髪の女性と、剣士が立ち塞がっていた。


「姫、お任せを」

「うむ!」

 姫、と呼ばれた女性の手前で、若い白髪の剣士が剣を抜く。剣士は〝姫〟から幾分か勇ましい返事を受けて一瞬苦笑したが、すぐに冷徹な顔付に戻った。男ふたりの元へ走ると、その足を薙ぐ。

「うああ‼」

 男たちは斬られた痛みに呻きながら、走ってきた勢いのまま地面に転がった。白髪の剣士が剣を収めて、〝姫〟のもとへ戻って跪く。

「足は付いたままにしてあります。ただ、健を斬ったので、起き上がることは出来ないかと」

「うん。ありがとう」

〝姫〟は剣士の報告を聞き終え、男たちのもとへすたすたと近寄った。


「奴隷商さん。我が国では、肌の色、身分問わず、奴隷は禁止されているのは知っているね? 悪いけど、お縄にかけさせて貰うよ」

 男たちは震えあがる。〝姫〟の方はどこからか取り出した縄で、男たちの手足を縛り始めた。


「っ……アンタ、何でここに居るんだよ! ルネア女王だろ!」

 奴隷商の一人が縛られている最中、そう叫んだ。ルネア、と呼ばれた女性は、白肌にまんまると浮かぶ赤い瞳をぱちくりと瞬く。呆けた顔をした後、笑い飛ばした。


「女王だもの!」


 ルネアによって縛り上げられた奴隷商人たちは、付き従う白髪の剣士から、【エルミの瞳】の警備隊に引き渡される。ことが済んだ後、住人たちがルネアの周囲に集まってきた。


「女王様!」

「ルネア様ー!」

 あっという間に人だかりが出来る。人々は女王たるルネアと一言でも話をと寄り集まり、口々に思いの丈を訴えた。ルネアは慣れた様子で一人一人の話を聞き、しっかりと頷いてやっている。やり取りが暫く続いた所で、白髪の剣士が傍らから割り込んで、住民たちを制止した。

「失礼いたします。女王陛下は城に戻られるお時間ですので。ここまでとさせていただきます」

「あ! もうそんな時間ね。皆さん、また今度!」

 ルネアがそう伝えると住民たちは残念そうにしていたが、女王様はお忙しいから等との声もあがり、強く引き止める者は居なかった。ルネアは住民たちに手を振ってやりつつ、城へ向かう道を戻っていく。


「姫様、ご苦労様です。お休みになられますか。【エルミの眼】付近が宜しければ、手配いたします」

「ジョゼフ、ありがとう。そうね、お願いしようかしら」

「承知いたしました」

 ジョゼフ、という名の白髪の剣士は、慇懃に敬礼をすると、影を縫うように音もなく街中へ消えていく。ルネアはその後姿を見ながら、立派な剣士になった事を誇らしく感じていた。


(ジョゼフももう、勝手に何でもやってくれるようになったわね~。何代目だっけ? 確か、先代がアランだから……)

 心の中で、彼の一族の顔と名前を思い浮かべる。剣士ジョゼフは代々、ティ・ルフ王国の王族に従者として仕えている一族の嫡男だ。ルネアは女王をやっている年月の間、ジョゼフの一族と関わり続けてきた。


 ──だから今となっては、誰が誰で何代目なのか、顔が似ている事も相まって、分からなくなってきている。


「ルネア様? ルネア様!」

 一生懸命、記憶を遡っていた為か、ジョゼフが自らを呼ぶ声に気付かなかった。

「あ、失礼。ちょっと考え事をしていたの」

 慌ててそう弁明したところ、主を心配してやまないジョゼフの眼が、隠し事を探り当てるかのように、じっと見つめてくる。内心『やばい』と感じていたルネアだが、出来るだけ目を合わせないようにして、追及から逃れる。ジョゼフは諦めたように、ふう、とため息を付いた。

「姫様。王宮からこの【エルミの眼】までも距離がありましたので、お疲れなのでは? 寄り道せずに宿へ向かいましょう。民に呼び止められても止まらないで下さい」

「えっ⁉ うっ、はい……」

 こういう時のジョゼフに逆らうと、更に行動に制限がかけられる。ルネアは背に腹は代えられぬ、と決意して、文句を言わずに彼に従った。

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